父は仕事の関係で5年ほど宮崎市に住んでいたことがある
てげてげに暮らすなか、友人もできたし知り合いも増えた
宮崎県の中部、古墳群で有名な西都市からさらに山間を進んだところに
西米良村というところがある
http://www.vill.nishimera.lg.jp/
わが友上米良さんはその村の出身、高校受験の話になると
「近隣に高校がないので中学校を出たら宮崎市内の親戚を頼って下宿
させてもらって通った」「みなそうして15の春に家を出る」という
地方では、こういう話は珍しいものではない
鹿児島の島々でも15になれば、島を出て市内の高校に進むのが普通の話だ
その後、大学に進むためさらに遠方に行き、就職も都会で・・・となる
彼ら、彼女らは15の春に親兄弟と別れて自立していく
また、県央部に木城町という町がある
http://www.town.kijo.lg.jp/index.html
小丸川が滔々と流れる豊かな地区だが、この地区には医療施設が少ない
以前は、地元出身の医師がいたらしいが、その後は宮崎市内から通勤されていたようだ
周囲の方の話では、やはり近隣に進学校もなく、医師を継がせようとすると
高校からは宮崎市内や都会に「留学」させねばならないといい、医師がなかなか住んで
くれないのだという
ひとから聞いた話なので本当かどうかはわからないが、その時は変に納得した
一般的に医師の家系は、代々医師の道を進む例が多いように思え、医療系の大学に
進むにはそこそこの進学校に行くのが通例だと感じていたからだろう
とは言え、高校が少なくなる中で15の春は増えているようだ
[職がない]から[暮らせない]
[暮らせない]から[人がいなくなる]
[人がいなくなる]から[職がない]
と過疎のスパイラルは進んでいる
時々「若者が都市を好む」ことが過疎の原因という人がいる
確かに一因ではあるだろう、でも「やむに已まれず」村を出で行く人の
方が多いように思えて仕方がない
さてさて現在の長期政権は働き方改革を進めている
父は、その延長線に働く場所改革もあっていいのではないかと考える
東京都の法人住民税を極端に引き上げるか、都税として高額の外形標準課税
適用することはできないだろうか
コールセンターや事務センターだけでなくて本社機能を移転することに
大きなアドバンテージを与えることはできないか
なんとか人口を増やして15の春を別れの春にしないようにできないか
(しかし、さすがに西米良村に本社は無理か)