Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

そろそろ雪が降りだす

2022年11月20日 | 父の戯れ

昨シーズンは足を延ばして白馬八方尾根までスキーに行ってきた。

気ままな一人旅、初日こそ雪が降り続きゲレンデに出る気にならずに八方温泉に浸かっていた。

その後、チェックインの時間まで暇をつぶしてコンドミニアムのようなホテルに入った。

またまた風呂に入り、一人でジントニックを飲りながらまずは身体と心を休ませることができた。

独りだと夕食も1階の食堂に降りる気はしないので、独り占めの暖かい部屋でテレビを見ながら
近所のスーパーマーケットで仕入れた総菜をつまんだ。

ナイターの灯りに照らされたゲレンデを見ながらウトウトし、気が付くと窓の外の雪は上がり
雲の切れ間には無数の星。

翌朝、カーテンを拡げたところに広がっていたのが上の写真の風景だった。

さてさて、膝が笑い出すまで滑ってこようとゲレンデにでかけたのを覚えている。

ゴンドラを7回、立て続けに滑って昨年程度の勘はなんとか取り戻した。

今年も八方に行きたいと思うものの、久しぶりに赤倉や野沢にも行ってみたい。

取得できていないリフレッシュ休暇が1週間残っているので、退職するまでには使いたい。

それにしてもスキー場は天気次第で大きく変わるので、ここは神頼み。

 

今朝、ベランダから遠くに見える富士山の頂が白くなっているのに気づいてとそんなことを考えた。

今年もそろそろ雪が降りだす。遠くに行きたくなる。

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タラとレバで振り返ると

2022年11月20日 | つれづれ

学生時代は部活やサークルに所属せずにバイトばかりしていた。

狭い環境にずっといたために世間知らずで就職活動などあまり考えぬままに最終学年となりかけていた。

あるとき、たまたま学食で同級生たちとランチをとっていたときにそんな話題になった。

自分は6月には教育実習にいくべく出身校に挨拶にいっていた。

中学時代をよく知っている先生が何人か残っておられたし、校長も内部で昇格していたことから歓待してくれていた。

半分、この道を進むつもりだった。

当時、地元から出ていく気はさらさら持っておらず神戸辺りに就職できればいいとだけ考えていたので地元の教員はおあつらえ向きだった。

ところが、教員試験のハードルは高そうで、地元市役所の採用も今年はすくないと聞かれた。

 

大学では、複数の友人が既にOB訪問してきたと語りはじめ、方々で同じような話が出てきた。

出遅れ感が漂い、このまま教員/公務員一辺倒で大丈夫かと不安は募ってきた。

そのまま帰路のJRで少し考えたのだが、焦るばかりで何も浮かばない。

どんな業界?、OB訪問?、会社説明会・・・と、公務員志向の人間には不慣れな言葉ばかりならんでいる。

突然にリクルート社から届いていた就職誌を拡げたら神戸に本社がある会社は洋菓子屋さんやカーディーラーばかり。

なにせ自分がなにになりたいなど真面目に考えたことはなく、仕方ないので就職誌でなんとか見つけた肥料メーカーにあたることにした。

人事の担当者は母校のOBで愛想もよく、ここなら自宅から自動車で小1時間程度、残業もなさそうだしいいかな・・と安易に決めてしまった。

焦っていたので即決だ。

さて、早々に内定がとれたので、意気揚々とゼミ室で会話していたら担当教授がふと全く未知の業界を勧めだした。

この業界は急拡大していてこの後も成長する、ゼミのOBが一人いるので訪ねてみたらどうかという。

内定1社ではこころもとなかろうともいうので、度胸試しにその業界を数社周ってみた。

結果的にこの教授の勧めた業界で得た内定を選択、メーカーの方からはずいぶん叱られた。

あのとき、あの教授の言葉に乗らなかっタラ。

 

それから随分な時間が経ったころの話。

金融業界に就職し、4年目で東京に転勤、取引先も機械系のところからIT系の先を担当するようになった。

そんな中で、ふとしたことから創業したばかりの会社を担当することとなった。

毎日のように通って話を聞いても、なんだかゆめのような話ばかり聞かされていた。

社内で報告しても、直接の上司以外は話をきいてくれない。

ただ、阪神淡路大震災を契機にインターネットの利用が今日拡大する中でその会社は伝説の会社となっていった。

世間が震災復興に沸いている最中、その会社の社長さんに誘われたことがある。

創業者が自ら「いっしょにやろうよ」と声をかけてくれたのだから心が大きく揺れた。

最終的には、条件が合わずに見限られてしまった。

30歳を前にして、父親が亡くなった後は家族の面倒は自分がみるものと意識していたので、せっかく乗ったレールから降りるには勇気がなかった。

まもなく本部内の異動で担当からはずれたのだが、その会社自体は大小の波に揉まれながら、今は立派な上場企業となっている。

 

以前に少し手持ちの資金が余ったときに思いつきでその会社の株式を購入した。

たまたま手元に資金があったので、あまり計算したり検討したりせずに半ば恩返しのように思えて購入したものだった。

貧乏性なので毎日のように評価額を見ているとどんどん株価が上がっていく。

結局、恩返しどころがあのときの手切れ金かと思うくらいに高くなっている。

価格が上がるだけでなく株式分割もあったので、自分のポートフォリオの中では大きく評価益を上げてくれている。

 

あの時、あの会社に移っていタラ。

 

さてさて、そんな話ももう遠い昔話となる年齢になってしまった。

毎日のようにタラとレバを繰り返し続けて今に至っている。

忘れてはならないのは、タラやらレバやらが一つでも違っていたら、こんなに穏やかに
明日の暮らしに不安なく、家族と笑っていられたかどうか。

そう思うと、これからの人生もそんなに考えずにタラとレバを繰り返してよいのかもしれない。

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