日々黙々と仕事を続けている。
定年退職後は延長雇用ということで身分は嘱託社員となっている。
嘱託社員の割には毎日々々残業続きの日々だ。
永年携わってきた仕事なのだが、最近はもう何かに追われる仕事からは
離れたいと思うようになってきた。
昨日、取引先の方が異動の挨拶に来られた。
以前は、同じ会社の代理店としてつきあっていて、色々と開発背景や客先への
説明方法などを教えてもらった方だ。
お互いに、会社が代理店契約を解約したことで仕事の内容が変わり、彼は
定年まで2年ほど残して子会社に異動となっていた。
名刺をいただいたのだが、肩書はなにもなかった。
「**さんはいつまで続けられるのですか」と聞かれたので、素直にもう
追われる仕事はやめたくて、今年いっぱいかと考えているとした。
彼も同様だといい、60歳の定年を迎えると息子も就職する歳なので自由に
させてもらおうかと考えているという。
いずこも父親というのは、家族のことから考えてしまうものらしい。
彼には少し負い目がある。
実のところ、代理店契約の解除は自分が言い出したことで
その話を彼の上席と食事をした際に話したのは自分だった。
元々はこの事業をどちらかに寄せて少し規模を拡大して維持
していこうかという話だったのだが、社内で参道が得られず
にいて、最終的には撤退の道を選んだのだ。
我々の話を聞いた彼の上席は、その後すぐに社内で事態を報告
して、同じ道を進むように仕向けていたのが判ったのは、その
食事会から1ヶ月ほど経った日だった。
半年後に彼と会ったときには、自分は業務から外されて毎日
顧客対応だけしているとしていた。
その後、上席者が異動になり新任からは「なぜ代理店をやめた
のか」と云われて憤慨したという。
あの時、不用意にあんな話をしなければ彼の人生が少し変わっ
ていたのかと思うことがある。
これまでの人生を振り返ってみると、自分は不思議に少し
幸運をつかんで生きてきている。狙って得たものではない。
そして、いつもその陰でなぜだか周りの人たちが少し不幸に
なっているような気がしてならない。
考えすぎだとは思うが、誰かが勝てば誰かが負けるのが必定で
あれば、なにかしらそういったバランスがあるように思えて
ならない。
思えば、大した努力もせぬままそこそこの大学からそこ
そこの会社に潜り込んだだけ。
面白おかしく若いころを過ごしていたら、いつのまにか
会社が大きくなり、収入も適当に増えていった。
結婚して家族に囲まれるなどと若いころには想像もしなかった
ことになり、ずいぶん楽しませてもらった。
図体ばかり大きくて、気の弱い泣き虫の男児にしては出来すぎ
の人生になった。
まさに「在りがたい」ことなので、残りの人生もこのまま
気ままに暮らしていくつもりだ。
あじさいが咲けば、また一つ歳をとることになる。
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