司馬遼最後の長編「菜の花の沖」から
初期へ遡って読むと
あぁ
初期だなぁ
とニンマリしてしまう。
室町幕府、足利体制の失敗は
将軍家に土地がないことと
守護・地頭・管領・公方と
文武を分けてコストアップし
指揮系統を複雑化してしまったこと。
そして権威争いのタネを自らまき散らかしてしまったこと。
農公武が全く別だったこの時代に
これをまとめてコストダウンをはかった第一人者が
最初の戦国大名、早雲庵宗瑞こと
北条早雲。
これに商をくわえてまとめ上げたのが
信長・秀吉かな。
日本史上初の戦国大名というほどだから
疾風迅雷の如く生きた人かと思えば
駿河お家騒動の仲裁に当たり世にでたのが45歳。
興国寺で一国一城の主となったのが56才。
堀越御所を襲撃して伊豆の足掛かりを得たのが62歳。
三崎氏を滅ぼし相模を平定したのが85歳。
韮山城での永眠が88歳と
実にスローライフ!
上巻は京都
中間は大井川~沼津
下巻は伊豆~三崎
相模編より伊豆沼津編のほうがおもしろいのは
関東が平野だけに
起伏に富んだストーリーが難しいからじゃないかな。