ストーカー。
その言葉が存在する前の物語。
高度成長にわく1920年頃のニューヨークを舞台に
繁栄と
その裏に潜む心の満たされなさ
虚無を描いた
100年前の青春小説。
日本でたとえると
バブル直後にはやった
90年代のキラキラした苦悩に彩られた
青春ドラマをみてるかのよう。
もしかするとあれらは
グレートギャツビーを目指して作られていたのかもしれないな。
中国で観た映画「小時代」もそうだったな。
言葉を尽くして
永遠のキラキラと退廃を描いている。
二人は幸福ではなかった。
―
さりとて不幸でもなかった。
キラキラ輝こうとして何者にもなれなかったギャツビー。
虚しさに気づいて身を引いたキャラウェイ。
最初から何者でもなかったデイジー。
未だ輝くことのみに身を投じ続けるトム。
虚しさを知りながら現実と渡りをつけたベイカー。
物語から100年。
人類は少しずつ強くなれているのだろうか。