今年の夏は諸般の事情により、
移動14時間・滞在35時間の
弾丸一人旅にでることに。
まずは朝10時からやってるうどん屋で
醤油うどんをペロリン。
全然讃岐にいるわけじゃないけど、
関東で食う讃岐うどんよりは讃岐の雰囲気。
だし醤油ってほんとうまいよう。
次に備前国一宮「吉備津彦神社」を参拝。
ふむふむ、菊のご紋に五七の桐とは興味深い。
秀吉のゆかりか?
拝殿はこんな感じ。
で、
本殿はこんな感じ。
いい雰囲気だなぁ。
そして車もまばらな駐車場の片隅に
ひっそりたたずむ桃太郎。
全然いい雰囲気じゃない・・・。
犬なんて顔がもうカオスだよ・・・。
気を取り直して今度は、
山一つ隔てた備中一宮「吉備津神社」へ
おおお・・・。
さすが国宝。
△の破風を連ねる造りは
比翼入母屋造といい、
ここ吉備津神社でのみ見られるらしい。
立派な拝殿で天井が高い。
拝殿を右手にすすむと
えらく雰囲気の良いながーい回廊にでる。
この回廊を下ると、
右手にお釜殿なる小屋を見ることができる。
なかでは千年以上火が焚かれていて、
一面煤でまっ黒けの壁に、
巨大な鬼の面、竈、巨大しゃもじと
秘密結社の神事のような空気が立ち込める。
残念ながら内部の撮影はご法度。
この火の直下にご祭神の「温羅」の首が埋まっているのだそう。
古来、神社には征服者が滅ぼした勢力の怨念を削ぐために
建てたものの多いと聞くが
ここではまさに怨念への畏怖のようなものを感じた。
竈殿から北へ抜けると
5・15に斃れた犬飼首相の像がたつ。
犬飼首相の目線上には猫耳のような本殿。
駐車場に戻る途中の土産屋「桃太郎」では
桃太郎の征伐に屈したのであろう、
鬼が屈辱のバイト生活。
お暑い中ご苦労さまです。
また、
「吉備津神社」と「吉備津彦神社」の間には
ご神体の吉備中山が鎮座しており、
頑張って歩くと
宮内庁管轄の御陵へたどりつく。
大吉備津彦命が眠るのだそうだ。
ここから備中松山城を目指し、
高梁川を北上する。
途中、秀吉の水攻めで有名な「備中高松城」址を通る。
なるほどー。
ここがビッタビタになったわけですかー。
城は湖上に浮かぶ島のようになったと聞くし、
こんな沼沢地なら納得の水攻めだけど、
なかなか思いつくもんじゃないな。
如水と秀吉すげえな。
2時間ほどの快適なドライブで高梁市内に入る。
ズンズンと急な勾配をのぼりつめ、
いかにも山城だなぁ
なんて思ってると、
駐車場でさらにシャトルバスに乗り換えて5分。
降りたところからさらに20分の登山でようやく城壁に辿り着く。
よくもまぁこんなところに築城したものだ。
雨上がりのせいか
天空の城ラピュタのような
過去の栄華が偲ばれる
荒涼とした景色がつづく。
勾配がひたすら急なので
石垣から突然人影なんてこともしばしばで
ついつい
敵襲~っ!
とか叫びたくなる。
ようやく天守閣へ到着。
日本に現存する貴重な12天守のひとつではあるが、
国宝ではない。
途中の櫓址からは市内が一望。
もと来た道を辿って下山。
駐車場から車で3分ほどのところに
なんとあの有名な山田方谷先生の家塾跡を発見!
残念ながら当時を偲ぶものはなにも残っておらず、
この石碑が建つのみ。
ご近所の方に話を伺うも、
さら地にする前は工場だったとのこと。
心高ぶる偶然の出会いだったが口惜しいことだ。
さらに車で10分ほどのところには、
尼子十勇士でおなじみ「山中鹿之助」の墓が建つ。
志半ば、
この地で果てたらしい。
憂きことの なおこの上に 積れかし
限りある身の 力試さん
ここも墓以外に所縁のものはなし。
さっきの方谷先生もだけど、
解説版も皆無なのが腑に落ちない。
どんな人でどんな功績があったか
もっとドーンとアピールしたらよいのに。
夕立と登山でビタビタになったので
近くの「朝霧温泉 ゆらら」でひとっ風呂あびて帰ることに。
できたてホヤホヤの温泉で、
いかにも町が建てました風な温泉。
高速で岡山市街まで戻り、
ご当地名物ママカリを頂く。
ご飯を借りてでも食べたくなるから「ままかり」らしい。
なんて骨の多い魚だっ!
翌朝は倉敷まで遠征して、
名物のぶっかけうどんを食す。
釜玉うどんを注文してからの8分を待ち切れずに
ぶっかけうどん冷を頂く。
家庭でもあるような甘辛~い汁で
正直こちらはいま一つ。
お目当ての釜玉は・・・
あー胡椒もあうんだぁ!
とまた一つ新たな発見。
しかしだし醤油最強にうまい。
ここから7時間かけてえっちらおっちら岐路に就く。
お土産はもちろん
お腰につけたきびだんご。
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