5月21日

2007-05-21 06:33:58 | Weblog

    (黄菖蒲 赤塚植物園)

 

  釈迦堂の夕べふちどる黄の菖蒲


  黄菖蒲の憂しと思ふはわが影や

 

昨日せっかく万太郎の句を揚げたので少しお勉強を・・



  ①秋風や水に落ちたる空のいろ
  ②短日やされどあかるき水の上
  ③短夜のあけゆく水の匂かな
  ④ゆく年や草の底ゆく水の音
  ⑤古暦水はくらきを流れけり  
 


この五つの句に共通する水以外のものが有ります
お分かりでしょうが、それは明かりです。
これも常套でありながら、こうして詠みわけが出きる
のは写生眼に他ならないのでしょうね。
カメラレンズと違って、人間は心と眼と両方のレンズで行う
ために、その写生は立体的になると思うのです。
机上、机前俳句というのがありますが、それがけして悪い
わけではなく、過去の体験(既視)を元に頭の中で組み立てる
という作業をします。結果で言えば、机上であろうと、写生で
あろうと秀作であれば良いのです。
机上が駄目なら、病床俳句も駄目ということになります。
これが言いたかったことですが・・・話がそれました。

試しに①~⑤の季語を入れ替えてみましたが、同じ水と
明かりを詠んでも季は動かないのです。それは確かな
作者の眼前の景色を読者に伝えることが出来た秀作
だからでしょう。ではどこが秀でているのか?
それは措辞が決め手だと思うのですが、どうでしょう?
  ① 水に落ちたる空の色
色が水面に落ちたという発見。
  ② されどあかるき水の上
水の上とはなんでしょう?水面でもなく、中空でもない空間
を作者は見たようです。
  ③ あけゆく水の匂かな
「におい」は「匂い」であるように「い」という送り仮名がありま
すあえてそれを取り去り「水の匂」という一個の物にしました
  ④ 草の底ゆく水の音
草の底。この措辞が私には一番インパクトがありました。
  ⑤水はくらきを流れけり
「水は暗いところを流れた」と解釈するのが普通です。
しかし季語の「古暦」でその明暗でないことを暗示しています。


このように措辞こそ、昨日のブログに書いた「語彙の蓄積」
の上にあるのです。
以上の事は私の体験的な感想で、俳論ではありません。


 


 

 

 

  

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5月20日

2007-05-20 06:30:37 | Weblog

          (はなうど  赤塚植物園)

 

     花独活や雨にあらはるけもの道



     花独活に日照雨の脚の早きかな

今日の二句はいずれも雨を詠みこんだ。
いや、その他に詠めなかった。
この花に出会ったのは父の故郷だったと記憶している
山里の天気は晴れるにしても雨にしても激しく、
この辺の草木はそうとう根がすわってるだろうと
勝手な解釈をする。
この「雨」実を言うと私の常套手段で、手持ちの取材が
無くなると度々出てくる。言い換えれば「雨」に逃げる
客観(だれでも体験する)であり、既視感を共有する
もしかすると私だけでないかも知れないが・・・・



去る5月6日は久保田万太郎の忌日、浅草神社の境内
に「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」の句碑がある。
この浅草寺界隈は芭蕉をはじめ多くの俳人の句碑があり
あまり知られていないのか訪れる人も少ない。
この万太郎はそうとうの雨男だったという。。
「傘雨」という俳号もその辺に有るのだろう、万太郎には
水をよく詠んだ句が多いが、そこは私と違いはっきりとした
意識の中(心の根底)にあって詠んでいる。


  秋風や水に落ちたる空のいろ
  短日やされどあかるき水の上
  短夜のあけゆく水の匂かな
  ゆく年や草の底ゆく水の音
  古暦水はくらきを流れけり      久保田万太郎


俳句をするにおいて、常套の語彙をもつ事はけして
悪い事でなくむしろ、語彙を蓄積する努力をすべきだと
考える。吟行なら心してす取材を書きのこすが、ふとした
感動の出会いを見逃すほうが多い。推敲とは違い一瞬の
語彙の選別が一単語だけで記憶に残り、その後句になす
時にそれ以上の上積みはないように思う。これが
俳句における「授かる」で、「授かる」ためには日頃の語彙の
蓄積に他ならない。それは多くの句集を読み、多作をして
備わるものだろう。


   二日目の煮物ふつふつ傘雨の忌    ころころ




 


 

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5月19日

2007-05-19 06:09:44 | Weblog

     (浅草神社 祭り提灯)


     宵にきて女神輿の荒ぶれり


     車椅子のりても氏子三社祭


     この町に住めば町の子夏祭り

 

この三句が初めてGHのお仲間に入れていただいた
思い出の句です。
5年前の5月22日、23日、24日の投句でした。
特に初日の句は「夕づきて女神輿の荒ぶれり」と添削を
うけた上での主宰選にはいりました。
嬉しさの反面、やはり祭りは「宵」だよなぁ・・・
なんて、そのころは少々反骨気味でした。
それ以後も祭の句の投句も多く、互選の結果も良かった
ように覚えています。

     木遣り唄露地から露地へ春祭り


     練り上げて宵の昂ぶる神輿かな


     入相の浜に神輿のもみ納め


     鎮まらぬ祭りの宵のふくらはぎ


     

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5月18日

2007-05-18 19:27:55 | Weblog

     (三社権現大社御旗  浅草神社)

 

      三社祭この町に夏はじまりぬ

 

      若女将女将にならふ祭所作


昨日は在宅の仕事をしていても、お尻がむず痒く
いてもたっても居られずに、仕事をほっぽらかして
浅草へ出かけてしまいまいまいした。 
そう17日から浅草三社のお祭がはじまったのです
私はこの神社の氏子では無いのですが、子供の頃
から見ていたお祭ですからね。
浅草に着いたのが正午丁度くらいですから、宮出し
もとっくに終わって神輿倉は空っぽ、禰宜さんらしき
人は孫を抱いて寝かしつけていました。
喧騒の裏に静寂あり。嵐の前も後も静かなりです。


私が俳句を始めた頃、俳句の雑誌は仲見世にある
清水屋書店に買いにきていました。
いまはそこのご隠居が亡くなられて、お土産の菓子屋
になっています。雷門から仲見世の大提灯をくぐって
最初の右手のお店がそうです。
そこには「雲母」「馬酔木」「秋」など数種の結社誌があり
ご隠居こと伊藤黄雀(おうじゃく)さんは「秋」の同人さん
で、しきりに入会を勧められました。
そんな風に浅草に関わってきたころころです。


   「炎暑」  伊藤黄雀   昭和57年「秋」十月号より


 喪服着て炎暑の街を一人行く
 縁側でみるアルバムや梅雨ふかし
 赤い靴はいた乙女や街薄暑
 街炎暑背中のあましドレス行く

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5月17日

2007-05-17 07:07:23 | Weblog

      (紫蘭   赤塚植物園)



    紫蘭咲きみつ雨音に起こさるる


    城址には名水のあり紫蘭濃し

 

久々の在宅の仕事となる。雨の日で丁度いい。
ここ数日、ブログは俳句のみ書き込み、時間の許す
限りに俳論集を読みふけていた。
ころころに俳論をのべる技量もなく、ただただ先人の
思いに相鎚をうつばかり。
一編の俳論に偏らず、知識として学ぶことはこれからの
自分には必要なことだと信じて・・また、自分の俳句の
傾向を確かめる上でももっと学びたいと思っている。
その上で、俳人は俳句を詠んでこそ俳人で論者は論者
今の俳句を詠む力で他者の俳句を鑑賞、添削、指導
する。つまり過去どんなに秀句を詠んだ俳人も今を読み
切ることは難しく風は読めないだろう。
俳句を詠む力=選句の力とは言うものの、詠む力も
選句の力も今という同時刻に無ければ不均衡になる。
力は足らずとも互選の意義はそこに充分有ると思う。
高点句も没句も、参加者の「来月も」「来月こそ」の
やる気になればいいだろう。
手元に届いた句会報を見てそんなふうにも思えた。



 

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5月16日

2007-05-16 01:07:06 | Weblog

    (芍薬  赤塚薬草園)


    芍薬の曼荼羅絵図をひろげをり


    芍薬立つ薬草園の門構え

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5月15日

2007-05-15 06:27:43 | Weblog

       (薔薇 赤塚植物園)


     暫くは薔薇に憑かれし詩情かな


     薔薇を剪る迷いいずれば罪深く

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5月14日

2007-05-14 00:17:01 | Weblog

    (たけのこ  植物園竹林)


    竹皮を脱ぎちらかして叱られず


    若竹の伸びざかりなる粉化粧

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5月13日  母の日

2007-05-13 01:59:24 | Weblog

    (大山蓮華の蕾  赤塚植物園)

 

     あすひらく大山蓮華香りけり


     糠床は不変母の日過ごしけり


     末っ子の甘え上手や夏燕



先日のブログでお願いしたら、花のお句を送って
下さいました。ご紹介します。


    過疎村や一本満てる花てまり  ムーさん


過疎は進むばかり、村を離れた人々はこの一本の
花てまりにも心を残していることでしょう。
花は人が居ようと居まいと季節には振り返る人を
あたたかく迎えてくれるのです。 佳句ですね。


    糸引けば踊る人形鉄線花  

   傍らの木の天辺に鉄線花  紫苑さん


上のお句は二句一章で、花の終りの糸くずの様な
蕊に哀れさをも感じたのではないでしょうか?
感性の豊かさを感じます。
下のお句は写生で、ご本人も「に」に説明的では
ないかと悩まれていたようですが、如何でしょうか?
例えば鉄線が木の天辺に蔦をからませ登って行く
ように詠んでみてもよいのですが、写生句に動詞
を使うことによって主観が強く出てしまう場合も
考えられますからね。このままで良いと思います
が。


ムーさん、紫苑さんありがとうございました。
とても参考になりました。
また、どうぞお句をお寄せください。

 

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5月12日

2007-05-12 01:31:13 | Weblog

      (鉄線花  赤塚植物園)

 

     粋人の恋のむらさき鉄線花



     喪ごころの離れぬ日なり鉄線花


鉄線は亡き兄の大好きな花です。
享年56歳はいかにも早く、葬儀は500名近くの
弔問を受け、弟ながらその交友の広さと、人望の
あつさに驚いたほどでした。
仕事の重責からストレスがたまっていたのでしょう。
俳句の道はころころのほうが約1ヶ月ほど先輩であり
よきライバルでもありました。


     御手のべる聖観音や百合の花


     一隅の暗さを飾る百合咲かす     

                       昭和54年 野仏吟


 

    

   

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