(椿山荘 水車)
蕉庵の若葉を臨む水車かな
やっとGWも終りました。
取りあえず現場まわりして、一日目。
ころころが水車の俳号を決めたのがこの椿山荘の景色
では、喜多川はというと歌麿から頂いた。
ころころの俳句の底に流れているものは産土の東京下町
自分にとって最も東京(江戸)らしく、粋な姓と思われたから。
その椿山荘は関口芭蕉庵のとなりにあります。
きっとこの話は誰にも話していない。
連衆から、また古い句友からもなぜ、一つの俳号で通さない
のか?と聞かれますが・・
理由は「俳人は無名がいい」という龍太の言葉と
登四郎先生の「佳句は一人歩きする、名前は後から付いて
来る」という教えからです。その時期が来たらそうしようと
最近は思うようになりました。