KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

2019年夏の旅~パート3・新潟のかぼちゃ電車編

2019-08-17 17:29:26 | Railway&RailwayModels
 前回の続きです。

新津から新潟へ。1日目はここまでで、駅前のビジネスホテルへ。

夕食は、ビル1階にあったラーメン店で。

旅先でのラーメンって、なぜかおいしく感じるのよね。
・・・
・・


2日目の朝。


カーテン開けて初めて気づいたことだが、自分の泊まった部屋も(ちょっとだけ)トレインビュースポットだったようだ。
朝食後、すぐにチェックアウト。最初は、新潟交通BRT(バス)の快速に乗車。

新潟駅前(万代口)のバスターミナルは、半分新しく、

半分昔のまま(?)

わずかにちらっと見えた、この2連接バスに乗車・・・と思ってたが、

やってきたのは普通のバス。運用上、仕方ないことでしたが。

8時きっかりに出発。万代橋を渡り、

ほどなくして、進路を西に向けて進む。

市役所前からは、かつての新潟交通電車線があった道路を進む。

その新潟交通の電車を偲ばせるバスともすれ違った。

関屋分水路の鉄橋を渡る。歩道部分は、かつての電車線の跡。

左手に見える土手と道路をまたぐ鉄橋は、かつての電車線の線路跡で、左側の木の向こう側に東青山の停留所があった。

20分ほどで、終点の青山へ。大型ショッピングモールに沿うように、各方面からのバスターミナルとなっている。


10分後に出発したバスが終点に差し掛かる最後の交差点を曲がる。時間に少し余裕があったなら10分待ってこれに乗ればよかったかな?

青山からは味方方面、月潟行きのバスに乗り込む。
線路跡は進行方向右手に続いていた。


 新潟交通電車線は、白山前(県庁前)-燕間を結ぶ鉄道線で、中ノ口川に沿って走っていた路線だった。また白山前-東関屋間は、前述したとおり、道路上を走る路面区間となっており映像アーカイブスも多数残っている。1999年4月4日、最後まで残った東関屋-月潟間が営業廃止となった。


バスはその、中ノ口川に沿った道路を進む。電車線の廃線跡をなぞるように。

この角を左折する。中央の空き地が電車線の跡地で、その先に「木場駅」があった(バス停は「木場駅跡」)。

その後も、細い道を右へ左へ進み、出発から45分ほどして、終点の「月潟」に到着。

バス停の前は図書館だった。

少し戻り、川のほうへ歩いていくと、

あった、「月潟駅」。

そして・・・!

いました、いました!3両残った保存車たち。

最後に残った、モハ10型11号。車体は昭和41年更新だが、車歴でいうと開業した昭和8年となっている。
黄色と緑のツートンカラーが、野菜のそれとそっくりなため、「かぼちゃ電車」ともよばれていたそうだ。

こちらも開業から廃止まで使われた荷物電車、モワ51。

そして、雪搔車、キ116。

車内はどれも入ることはできなかったが、外から覗くと、鉄道関係の部品がたくさん保管されているのが確認できた。


また、駅舎の中も入れなかったが、面影十分な感じで残っている。

駅名票や一部の線路、信号機も、そのまま残されている。

駅名票は、燕方面が空白になっていた。燕方面廃線後は、ここが終点だった。

これらはもちろん、保存会さんのお力によるところが大きいと思う。本当に頭の下がる思いだ。

時々、「ズドン!」という、鉄砲のような音が響く。おそらくだが、対岸の水田の(害)鳥対策だと思うが、音の大きさから、こっちに間違って飛んでくるんじゃないかと思うほどビビってしまった。

駅跡の隣に、「角兵衛慰霊碑」というのがありまして、こちらも寄ってきました。


まだ10時を少し過ぎたばかりなので、「月潟商店街」を歩いてみた。

では戻ろうと思ったが、どこをどう歩いたのか、元のバス停の場所を見失ってしまった・・・!

この日はとても暑かった。西日本に接近しつつある台風の影響で、朝のニュースでも、新潟はフェーン現象により気温が37度まで上昇するとの予報だったのだ。
どうなる?この続きは次回・・・!

追伸 明日はひさびさに有明にでも・・・?

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