KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

合格祈願で湯島へ・・・

2025-02-01 22:50:17 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、母から「姪の高校受験合格祈願をしに行きたい」というので、


今日は湯島天満宮へ行ってきました。
学業の合格祈願として湯島天満宮へ来たのは、ぼくが大学受験の直前に参拝して以来だったかも。


参拝して、姪のための合格祈願お守りを買い、御朱印を貰う。
天神様といえば梅、ということで、もう梅がちらほらとではあったが咲いていた。

参拝を終え、最初の目的は達成したが、まだお昼には早い時間だったので、近くの不忍池を散策がてら、次の目的地の上野東照宮を目指す。

途中、池に浮かぶ(!?)「東叡山 寛永寺」の「不忍池辯天堂」へも参拝。

都電好きなら、昔の景色が見える(!?)場所を見つつ、右手の鳥居をくぐって

次の目的地、「上野東照宮」を参拝。


金色に輝く「唐門」と、その奥にチラリと見える「本殿」。今回は混んでいたこともあって入らず、御朱印を貰う。


参道を戻る途中に見た「旧寛永寺 五重塔」を見る。

 

この後は上野を離れ、少し足を伸ばして、


三ノ輪にある「珈琲館」さんで昼食(店の写真を撮り忘れたので、去年撮影した写真から・・・)。
ぼくにとってここは数少ない、おすすめしたいお気に入り店で、もちろんランチとホットケーキが目的。


ランチタイムだったので、地元の方々と思われるごろう・・・いや紳士淑女(!)がたくさん来店。周囲のテーブルで活発におしゃべりされるのを見た母、自分も負けてられないと何か思いを新たにしたようだ。

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とうきゅうの車両と歴史と文化に触れた話

2025-01-26 22:41:16 | Railway&RailwayModels

 今回は、かなり鉄分(しかも東急ネタ)濃いめの話で、普通の人からしたら「???」な内容がてんこ盛りですので、十分お気をつけくださいませ。

昨日のことですが、東急電鉄さんの「東急8500系 70's→80's Revivial撮影会」というイベントに参加する為、東急の長津田工場に隣接する「東急テクノシステム」へ行きました。
同社が所有する東急8500系「デハ8606号+デハ8506号」を、1975年の登場から80年代初頭の頃の姿に再現し、それを撮影するというものでした。
朝の8時30分に、こどもの国線の「恩田」駅に到着。8時45分に受付を済ませ、安全のためのヘルメットを着用して工場内を進むと、早速目の前にお目当ての「デハ8606号+デハ8506号」がいた。

 この編成、現役時代は、行先表示がLEDではなく幕式であること、踏切対策の排障器(スカート)がないことで、オリジナルの姿をよく留めていたことから、ぼくを含め、非常にファンが多く人気のあった車両だったとのこと。2020年に引退後、10両編成のうち両先頭の2両が前述の会社に譲渡され、教習用として保存されている。
参考までに、現役時代の同車がこちら(撮影は2019年)。

比較すると、窓やその上にある種別、行先、運行番号の表示器の周囲(Hゴム)が黒からグレーとなっていた。この行先表示「など」が、約5分おきに次々と入れ替わっていき、その姿を写真に収めようというものでした。
最初は、東急東横線で活躍していた頃の姿で、「急行 桜木町」行きから「急行 渋谷」行きへの変換から。

あれ、よく見ると「8606」号なのに、赤帯の番号が「8630」号となっている・・・?イベントを主催した解説員さんによると、「8606」号を含む編成は、東横線を走った実績がなく、同線を走行していた「8630」号を再現したとのこと。なお、「8630」号を含む編成の一部「8530号」は、とある病院にて静態保存されている(そのときのブログ記事)。
ところで、このイベントでは、参加するにあたり、この編成(8630F)のNゲージ模型を購入することになっていた。これについてはいろんな意見はあるだろうけど、ぼくは持っていなかったので、まさに丁度いいタイミングでのイベント参加と購入だったと思っている(模型については最後のおまけで)。

その後も、次々と行先を替えていき、都度写真に納めていったのだが、ここでは、ぼくがこのイベントで見たかった行先を取り上げることとする。
昔の田園都市線には「快速」が走っていた。
1978年、営団半蔵門線開通当初から走っていた「快速 青山一丁目」行き。

そして、1979年以降登場した「快速 永田町」行き。どちらも、当時渋谷から先の終点だった。

比較すると、「快速」の文字が、黒地にオレンジ色だったものから、オレンジの地色に白文字へ変化した。
子供の時に見ていた「快速」のは後者のほうで、前者は行先を含め、見たことがなかったので、もうこの時点で満足。
さらに、急行や快速の場合は、両端のランプ(通過表示灯)が点灯していたのも再現されていた。


「快速 永田町」行きのほうには、これまた懐かしのヘッドマーク。これは、「電車とバスの博物館」が、1982年に高津駅にオープンした当時、それをPRするステッカーが貼られていた姿。ところでこのウサギ、名前があったと思ったんですが、ど忘れ(_ _;

最後は、1976年に、鉄道友の会から、優れた鉄道車両に与えられる「ローレル賞」を受賞したときの記念に、渋谷→二子玉川園(現・二子玉川)まで走行したときの姿。

1976年時点では、渋谷から二子玉川(園)までの地下区間(新玉川線)が未開業(開業は1977年)であったため、東横線の渋谷から目蒲線を経由して二子玉川園まで走行したときの臨時列車の姿で、大型ヘッドマークも再現されていた。

そんなこんなで、予定の2時間はあっという間に終わる。撮影だけでなく、合間にスタッフさん(元運転士の方もいらっしゃった)らにマニアックな質問をぶつけてみたりもできて、非常に濃い2時間だった。

その後、その足で世田谷区、砧公園内にある「世田谷美術館」を訪問。

特別展「東急 暮らしと街の文化-100年の時を拓く」を見てきました(特別展は2/2まで)。

東急の鉄道の歴史、多摩田園都市の開発の歴史、沿線に住んでいた芸術家らの作品も展示されていた。じつは、ここにぼくの友人が展示物のジオラマ製作に携わっていたとのことで、それを見るのが最初の目的だったのだが、じっくりと全コーナー見ているうちに気づいたら、1時間半近く滞在し、しかも、

こちらの本を購入(最初から購入するつもりでいましたが・・・)。あとで寝ながらでもゆっくりと鑑賞することとしよう。

最後におまけ。Nゲージ模型の写真を少し。

いずれどこかの運転会でも走らせる予定ですが、その報告はまたいつの日か。

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さいたま鉄道模型フェスタ(13日もあるけど)参戦記

2025-01-12 22:05:21 | Railway&RailwayModels

前回もちょこっと書きましたが、今日(1/12)と明日(1/13)、大宮ソニックシティーにて「さいたま鉄道模型フェスタ」を開催しており、路面モジュールレイアウトの運転会をやっております。

本日ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。例年年末の開催でしたが、今回は都合により年始に開催したためか、年始の挨拶回り(!?)がそこかしこで多くみられたような。

今回のレイアウト全体はこんな感じ。

年末からこつこつ作っていたモジュールも、今回初お目見え。

機関車トー○スもこの機会に存分に走らせる。

そして、今日だけの展示となった、メンバー最年少、K君の作品を。
単線の直線モジュールに、Nナローの軽便鉄道エンドレスを組み込んだ、岸壁の街のモジュール。

繰り返しですが、明日(13日)も10時~16時でやってますので、興味持った方はぜひ。

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2025年も宜しくお願いします

2025-01-05 21:15:35 | 日記・エッセイ・コラム

こちらでは少し遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
2025年最初のブログは、元旦からのできごとをダイジェストで書きます。

まず、1日(元日)は、毎年同様、近所の稲荷神社と、相模原の「氷川神社」を参拝。


家族の無病息災、平穏無事を願う。

2日も近所の神社へ行き、3日は、少し早いけど、月1での墓参り。
そして翌4日、この日は朝から電車で移動し・・・

江ノ島!今年も来ました。
というか、我が家は毎年江ノ島へは来ていたのですが、今年は3が日を避けて初詣をしたので、参道は昨年と違って行列もほとんどなく、歩きやすかった。


まずは、エスカーで上って


江島神社(辺津宮)を参拝。


続いて、江島神社(中津宮)。


さらに島の反対側にある江島神社(奥津宮)を参拝し、これで3つある江島神社を初めて(!?)制覇。


ちなみに、富士山は今回は雲の中・・・。

その後、元来た道を戻り、土産物店の2階レストランで、

名物の釜揚げしらす丼(サーモンとの2色丼)をいただきました。

その帰り、町田駅近くの「鹿島神社」へも参拝。


車で町田へ行き、市営駐車場へ止めるときにいつも通りがかるのですが、きちんと参拝したのははじめてだったりする。


その日の夕方に友人達と軽く飲み会(新年会)を経て、今日に至るわけでして。

それと、駅伝の中継をTVやラジオで視聴した以外の殆どは前回、年末からの続きで、ちまちま作ってましたが、何とかここまで進めました。

お披露目は、来週1/12,13予定の「さいたま鉄道模型フェスタ」でできそうかな・・・。
ということで、最後は宣伝っぽくなってしまいましたが、明日から仕事始めです。

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海外のレリーフキットを作る

2024-12-31 21:39:18 | Railway&RailwayModels

2024年最後のはなしは、前回の予告通り、

こちらの製作記を少し書きます。製品を改めてご紹介しますと、METCURFEの「Low Relief Timber Framed Shop Fronts」というもので、もちろんNゲージのサイズです。「Relief」と言う言葉のとおり、建物の背面に板屋写真などを貼り付け、背景の一部のように表現できるようになっていた。そのため建物全体ではなく、前面の一部分を作る仕様になっている。日本のキットではなかなかお目にかかれないかなと思う。

さて、封筒状の製品を開けると、中身はこんな感じ。

A4に近いサイズのカードキットと、ベースとなる厚紙、窓が印刷されたプラシートなどが入っていた。


説明書は、当然ながら全部英語。英和辞典(!)やPCで分からない単語を調べれば読めるレベルですけど、写真が分かりやすかったので、これにおおよそ従って組立を一つずつ進めていく。メーカからも組立に関する動画がY○utub○でアップされていたのを事前に見たので、それも参考になるかと思う。

で、前回「楽しくて仕方ない」と言ったところについて。
カードからパーツを切り離して組立を進めると、部品を折り曲げたときにできる紙の白い部分が目立ってしまうので、これを周囲の色(茶色、グレー他)に合わせるように絵の具で調色、着色していく。

最初は壁面のエッジ部分が目立つので、そこだけ着色していったのだが、作っていくうちに、ここも白い部分が、ここも白が・・・と目についたところをモグラたたきの様に対処していくのが、だんだん楽しくなってきた。

この辺り、説明書や先の動画では、パーツを最初から全部切り離し、別の場所のどこか1カ所に纏めておくことと、先のエッジ部分の塗装も組立て前にするようにとの指示になっていた(他のキットはどうなのだろうか?)が、そんなことすると、自分は確実にパーツを無くしてしまうので
1手順ずつパーツを切り離し、エッジを処理して、ボンドで接着・・・という作業にならざるを得なかった。この辺は人それぞれであろうが。

あとは、パーツを切り離す時も、日本のペーパーキットのように手で押せば分離(?)できる、というわけではなく、一部のパーツは必ず1カ所以上、カッターで刃を入れないと分離出来ないようにもなっており、

その箇所には「Cut」の文字と矢印が印刷されていた。

・・・と、こんな風に、これまで作ってきたペーパー建物キットとの違いを意識しつつ、1日で完成までこぎ着けた。とりあえず、製作中のジオラマに置いてみて終了。

ということで、今年のブログは以上です。皆様、よいお年を。

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年末年始はコツコツと

2024-12-30 23:44:59 | Railway&RailwayModels

ここ1~2ヶ月の間、模型関係の出費が過去半端ないことに気付き、昨日まで反省モード(!?)だったKouChanです。

何を買ったかというと、まず車両はGMの完成品や、マイクロエースの中古品。

それと、海外(おもに英国)のストラクチャーや車両。

いずれも3ヶ月~半月前までに予約をしていたものだが、なぜかここ1週間の間に全部入荷、発売したとかで、引き取らないとヤバい状況だったので、この短期間での大量出費となってしまったわけで。
まぁ、これだけあれば年末年始どころか当分の間は、これらで遊んでも遊びきれないので、もう後悔なんてしない(つもりだ)ぜ。
今年はいつもくる姪っ子一家の、上の子がいよいよ高校受験だというので遊びには来ないので、初詣や既に決まっている予定を除いて、静かにコツコツと作業できそう・・・かな?

そもそものきっかけは、こちらBachmann製の「機関車トーマス」とその仲間たちを買ったことが、すべての始まり。

ちなみに、昔発売していたトミックスのトーマス(左)と比較すると、こんなに小さいし、顔がCGアニメタイプにより近くなっている。

これに似合う風景(ジオラマ)を作りたいなと思い始めたことが、数年ぶりに海外(英国)の鉄道模型への興味が復活したことにつながり、そうと決まればと、都内の英国鉄道模型専門店で注文をして、その結果が冒頭の模型大量購入となった。

PECOのストラクチャーやGRAHAM FARISHの客車等、いろいろと買ったのだが、今回はこの中から、これを作ってみようと思う。


イギリスのMETCALFE(メトカーフ)製の「Low Relief Timber Framed Shop Fronts」という建物のカードキットというが、日本でいうペーパークラフトキットのようなもので、平たくいえば山小屋風の店舗が大小併せて2棟入っている。

今日、早速作って完成させたのだが、


これを作るのがあまりに楽しかったので、次回以降、この製作記を書こうかなと。

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流行り病にくれぐれもご注意を・・・

2024-12-21 22:40:54 | 健康・病気

今年、新型コロナとインフルエンザに両方罹ってしまったKouChanです。今回はちょっとだけその経緯を書きます。

新型コロナは当然人生初のことで、今から3ヶ月くらい前に発症したのだが、いきなりの高熱と、投薬後、熱が下がった後も、味覚、嗅覚の違和感がしばらく拭えなかったな。

そして、先日仕事中に寒気が止まらず、たまらず仕事を切り上げて病院で診察して貰ったところ、今はやりのインフルエンザに感染していたことが判明。その後2日間仕事を休むことに。

今、ニュースでは感染者が急増し薬の不足が報じられているようだが、ぼくの場合は無事に貰うことが出来た。おかげで今は熱も下がり、喉の違和感はまだ残っているが、それ以外は以前の状態に戻った感じ。

ただし、初動での病院への診察予約は、夕方近かったこともあるが、行きつけの病院2軒がすでに外来予約を締め切ってしまい、3軒目でようやく空いている病院を見つけ出したので、もしここで診察を受けられず、そのまま帰宅していたら、もっと重くなっていた可能性もあるわけで、間一髪だったのかもしれない。

いずれも場合も、本当に大事な時期の直前での発症だったので、周りの方々に迷惑をかけてしまったこともあり、今までなかなか書けずにいました。

そしてこれからさらに忙しくなる年末年始を控え、自戒も込めて、皆様も体調にはくれぐれも気を付けて、無理はせず、手洗いうがい、手指の消毒を忘れず、暖かくして早く寝るようにしましょう。

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川崎のトロリーバスのはなし

2024-12-14 21:16:49 | Railway&RailwayModels

前回の更新以降、忙しくなったのでなかなか記事が書けていませんでした(_ _;

数日前、とある乗り物系ニュースで、川崎に保存されているトロリーバスのことが紹介されていて、さよなら、らしいとのことなので、


今日、見に行ってきました。


バスの周囲には、工事用のフェンスがされていました。


正面に、川崎市の市章と、「ありがとうトロリーバス 1968-2024」のヘッドマーク。冒頭のニュース記事によると、地元町内会の人が作ったものらしい。窓ガラスは、保護のためなのか割れてしまったのか、板が張られている。

 実はこの場所すぐ近くに、今はもうその面影はないですが、両親が勤めていた会社があり、幼い頃、両親に連れられてこのバスを見た記憶がある。当然そのときは、これがかつて川崎市内を走っていたトロリーバスだということも、非常に珍しい存在だということも知らなかった(それらを知ったのは、当然大人になって何年も経ってから)。
小さな公園の砂場にバスが留め置かれ、屋根が取り付けられていたので、全貌がなかなか見えない状況だったが、今回その屋根が取り払われ、ようやく初めて、このバスの全体像が明らかになったようだ。

バスの後部に、ポールを収納した台らしきものが見える。


バスの窓には、当時の写真が飾られていた。

帰宅後、これらの写真を母に見せたところ、面白い話を聞けたので、簡単に紹介する。

 今から50数年前の母は、先に書いた会社の内定を貰って就職し、近くの社員寮に入っていたそうだが、その頃、このバスの中で、寮生によるお茶会や生け花教室をやっていたというのだ。そうするとこのバスは、公園での保存の傍ら、公民館の施設として使われていたのかもしれない。その数年後に父と結婚し、ぼくや弟が生まれたわけだから、人生何が起きるか、そして何が聞けるか分からない。


ニュースを見てか、駅からも離れた静かな住宅街に、自分を含めた、これだけの訪問者が来れば、地元の人もなんだこれはと思っていたに違いない(うるさくしててごめんなさい・・・)。

その後、高津駅まで歩いてきた。
かつてこの高架駅の下に、

玉電(ペコちゃん)がいたことを。


最後に今回、最近出てきた、昔の写真がを小さく載せた。当時のぼく(小学校2~3年生頃)と弟(未就学児)。

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日光で紅葉狩り~後編

2024-11-23 20:55:45 | まち歩き

前回の続きで、小学校の修学旅行以来の訪問となった、日光日帰り旅行の続きです。


昼食後は、残る「日光二荒山神社」を訪れる。



これで本来の目的は達したので、あとはお土産買って帰るというところで、

お土産として「日光カステラ」を、家用と、弟一家への配送分買っていく。

カステラは今日までに親子で全部食べたけど、濃厚な甘さだったなぁ・・・。
その後、駅まで戻るのに、ふたたびバスに乗る予定にしてたのだが、


道路は大渋滞。これではバスに乗ってもいつ駅にたどり着くやら。帰りの特急のチケットも購入済なので、間に合わないと言う事態は避けたいという思いから、駅までの2キロ弱を歩いて下りていくことに。


そのおかげで途中にある「神橋」をゆっくりと見ることが出来た。

川の水の透明さと、紅葉と、雨で白っぽく見える空が美しい。青空だとまた印象が変わるだろうが、雨に濡れるこの景色もまたよしと思った。


その後も途中、食べ物屋や土産店の誘惑(!?)に負けず、ただひたすら坂を下り続けたのが良かったのか、予定の15分前に、無事東武日光駅にたどり着く。


少し時間に余裕が出来たので、駅前に保存されている路面電車を見学。
さらに駅に入って、先に出発、および出発待機する特急をパチリ。

帰りの特急は、この駅からでなく、2つ先の下今市で乗ることになっているので、まずは普通電車で移動し、

下今市で特急列車を待ち合わせする。その間に、駅ホームからSLを見る。


これ、実は隠れた目的でもあったわけで。

鬼怒川から来た「特急スペーシア」で、またもとの新宿へ戻る。

行きと同じく2時間近くかかっているはずなのに、今度はなんだかあっという間に着いたなという気がした。
半分疲れてうとうとしてたからかな?写真もこのカットで終わっているし。
旅行などで、帰りの記憶があまり残らないのは、こんな風にやっぱり寝ていたり、写真を残していないからかなぁ(?)

ということで、日光旅行のお話は、これまで。秋が来たかと思えば、ここ数日で一気に気温下がって、早くも冬支度。日本海側では雪も降っているとか。体調管理にはくれぐれも気をつけましょう。

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日光で紅葉狩り~前編

2024-11-17 17:48:43 | まち歩き

 昨日のことですが、母と日光へ日帰り旅行しました。
日光は、ホントに小学生の修学旅行以来で、そのときの記憶は殆どないです。唯一は、移動で修学旅行列車(たしか165系)に乗ったことくらいか(^^;
今回のきっかけとなったのは、TVのとあるバラエティー旅番組を見ていた母から、期間限定で青い仏像が公開されているとのことで、それを見たい、ということから。

目的の仏像は「日光山輪王寺」にあるというが、近くに有名な「日光東照宮」や「二荒山神社」もあるため、一緒に回れればと思っていた。
日光までは、まず、朝早い時間に駅を出て、7時に新宿駅へ。


7時半に出発する、「特急日光」の臨時列車で、一気に東武日光へ。
大宮まではJR線の線路を、途中の栗橋で東武線に入る。乗務員交代で少々停車する。


始発から終点まで約2時間乗車し、東武日光駅へ到着。駅に着くと、はやくも紅葉が!

このとき、実は少し雨も降っていた。混雑するバスに乗車し、

西参道を歩くこと約10分で、目的地の「日光山輪王寺」へ。

本堂(三仏堂)で、目的の青い仏像こと、「秘仏 五大明王」を拝謁。当然ながら撮影禁止のため、写真はありませんが。

本堂中を見学して外へ出ると、目の前の池に、またも眩しい紅葉が。

日光の紅葉というと、山奥を進んだ中禅寺湖とか奥日光とか、有名どころばかりになりがちだけど、ここにもこれだけ素敵な光景があるなら、これで十分と思っている。
当初の目的を達成したところで、ここからは行けるところまでと、参道の砂利道を歩いて、

「日光東照宮」へ。
やはり超有名なだけあって、外国人観光客もとても多く、拝観料のチケット購入にものすごく時間を取られてしまう上、また雨が降ってくる。
係員の案内では、スマホでネット購入すると早いと言うが、カード決済が上手くできず、2度並び直す羽目に。
慣れないことはしない方がよいなと改めて思った。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の彫刻で有名な「神厩舎」。

この建物を1周すると、猿の一生が彫刻されているが、正面以外は見られないようになっていた。

足元滑る石段を登り、代名詞的な「陽明門」がみえてきた。

唐門と、その先に見える拝殿

そして、これも有名な眠り猫。

これは唯一見た記憶があったなぁ・・・というより、見たときに思い出したと言う方が正しいかも。
この先の奥の院や、霊廟へは、最初に時間を取られ過ぎていて今回はお預けとして、御朱印を頂いて東照宮を後にする。

少し冷えたので、こちらの土産物店を兼ねた食堂で、少し早い昼食。

おすすめの「ゆば定食」を頼んだが・・・量がちと少ないかも(^^;

ただ、ここまで来ないと食べられないと言うこともあり、ありがたく頂く。
さて、昼食を終えると・・・というところで、この先長くなりそうなので、続きは次回へ。

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