今回は、かなり鉄分(しかも東急ネタ)濃いめの話で、普通の人からしたら「???」な内容がてんこ盛りですので、十分お気をつけくださいませ。
昨日のことですが、東急電鉄さんの「東急8500系 70's→80's Revivial撮影会」というイベントに参加する為、東急の長津田工場に隣接する「東急テクノシステム」へ行きました。
同社が所有する東急8500系「デハ8606号+デハ8506号」を、1975年の登場から80年代初頭の頃の姿に再現し、それを撮影するというものでした。
朝の8時30分に、こどもの国線の「恩田」駅に到着。8時45分に受付を済ませ、安全のためのヘルメットを着用して工場内を進むと、早速目の前にお目当ての「デハ8606号+デハ8506号」がいた。
この編成、現役時代は、行先表示がLEDではなく幕式であること、踏切対策の排障器(スカート)がないことで、オリジナルの姿をよく留めていたことから、ぼくを含め、非常にファンが多く人気のあった車両だったとのこと。2020年に引退後、10両編成のうち両先頭の2両が前述の会社に譲渡され、教習用として保存されている。
参考までに、現役時代の同車がこちら(撮影は2019年)。
比較すると、窓やその上にある種別、行先、運行番号の表示器の周囲(Hゴム)が黒からグレーとなっていた。この行先表示「など」が、約5分おきに次々と入れ替わっていき、その姿を写真に収めようというものでした。
最初は、東急東横線で活躍していた頃の姿で、「急行 桜木町」行きから「急行 渋谷」行きへの変換から。
あれ、よく見ると「8606」号なのに、赤帯の番号が「8630」号となっている・・・?イベントを主催した解説員さんによると、「8606」号を含む編成は、東横線を走った実績がなく、同線を走行していた「8630」号を再現したとのこと。なお、「8630」号を含む編成の一部「8530号」は、とある病院にて静態保存されている(そのときのブログ記事)。
ところで、このイベントでは、参加するにあたり、この編成(8630F)のNゲージ模型を購入することになっていた。これについてはいろんな意見はあるだろうけど、ぼくは持っていなかったので、まさに丁度いいタイミングでのイベント参加と購入だったと思っている(模型については最後のおまけで)。
その後も、次々と行先を替えていき、都度写真に納めていったのだが、ここでは、ぼくがこのイベントで見たかった行先を取り上げることとする。
昔の田園都市線には「快速」が走っていた。
1978年、営団半蔵門線開通当初から走っていた「快速 青山一丁目」行き。
そして、1979年以降登場した「快速 永田町」行き。どちらも、当時渋谷から先の終点だった。
比較すると、「快速」の文字が、黒地にオレンジ色だったものから、オレンジの地色に白文字へ変化した。
子供の時に見ていた「快速」のは後者のほうで、前者は行先を含め、見たことがなかったので、もうこの時点で満足。
さらに、急行や快速の場合は、両端のランプ(通過表示灯)が点灯していたのも再現されていた。
「快速 永田町」行きのほうには、これまた懐かしのヘッドマーク。これは、「電車とバスの博物館」が、1982年に高津駅にオープンした当時、それをPRするステッカーが貼られていた姿。ところでこのウサギ、名前があったと思ったんですが、ど忘れ(_ _;
最後は、1976年に、鉄道友の会から、優れた鉄道車両に与えられる「ローレル賞」を受賞したときの記念に、渋谷→二子玉川園(現・二子玉川)まで走行したときの姿。
1976年時点では、渋谷から二子玉川(園)までの地下区間(新玉川線)が未開業(開業は1977年)であったため、東横線の渋谷から目蒲線を経由して二子玉川園まで走行したときの臨時列車の姿で、大型ヘッドマークも再現されていた。
そんなこんなで、予定の2時間はあっという間に終わる。撮影だけでなく、合間にスタッフさん(元運転士の方もいらっしゃった)らにマニアックな質問をぶつけてみたりもできて、非常に濃い2時間だった。
その後、その足で世田谷区、砧公園内にある「世田谷美術館」を訪問。
特別展「東急 暮らしと街の文化-100年の時を拓く」を見てきました(特別展は2/2まで)。
東急の鉄道の歴史、多摩田園都市の開発の歴史、沿線に住んでいた芸術家らの作品も展示されていた。じつは、ここにぼくの友人が展示物のジオラマ製作に携わっていたとのことで、それを見るのが最初の目的だったのだが、じっくりと全コーナー見ているうちに気づいたら、1時間半近く滞在し、しかも、
こちらの本を購入(最初から購入するつもりでいましたが・・・)。あとで寝ながらでもゆっくりと鑑賞することとしよう。
いずれどこかの運転会でも走らせる予定ですが、その報告はまたいつの日か。