仙台市に晩翠通りと呼ばれる通りがあります。東西に走る青葉・広瀬・定禅寺の三つの通りは有名ですが、それと直行して南北に横切る大きな通りで、以前は“細横丁”と呼ばれていました。私が大学時代に、西公園通り、青葉神社通りなどとともに愛称が定められたと記憶していますが、今でも一定年代以上の人は細横丁と呼んでいるはずで、私も“細くない細横丁”の方に愛着があるし、歴史を伝える名称として残してほしいと思います。「青葉神社通り」も長ったらしいのですが、当時は町の名前である「通町」で通用していたはず。通町と言えば、区域としての町の名前なのか、通りの名前なのか、その時によって意味を判断していたような気がします。木町通りもそうですね。通りの名称が町の名前になっている。
正確には晩翠草堂は青葉通りに面しているはずですが、荒城の月の作詞者である土井晩翠が、「どい」ではなく「つちい」だと知っている人も少ない。というか、生前から両方で呼ばれていて(「つちい」が正しいのですが)、その後「どい」の方が一般化してしまったということのようです。
東北大学の図書館には、漱石と晩翠との交流を伝える資料が残されているようです。そういえば、晩翠草堂は何度も前を通ったのに、未だに行ったことがありません。今度機会があれば。。
出典(リンク先)はいずれもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正確には晩翠草堂は青葉通りに面しているはずですが、荒城の月の作詞者である土井晩翠が、「どい」ではなく「つちい」だと知っている人も少ない。というか、生前から両方で呼ばれていて(「つちい」が正しいのですが)、その後「どい」の方が一般化してしまったということのようです。
東北大学の図書館には、漱石と晩翠との交流を伝える資料が残されているようです。そういえば、晩翠草堂は何度も前を通ったのに、未だに行ったことがありません。今度機会があれば。。
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