踊る小児科医のblog

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子どもの命は「超高コスト社会」で守る

2005年12月05日 | こども・小児科
子どもの安全の問題をもう少し考えてみます。詳しいことは他サイトや報道サイトなどにお任せするとして、突き詰めて考えると子どもの安全を確保するにはアメリカのように全てスクールバスにするしかないかと。

しかし、6学年全員でなく1・2年だけと考えても、日本中の全ての小学校に1~数台のスクールバスを配置して運転手を雇うなど不可能と考えて間違いない。運転手は先生がやるとしても従来の業務に支障を生ずるし、たとえば1・2年だけで開始して3年生4年生に被害が出れば、必ず全学年に拡げろという声が出る。

それ以外の、集団登下校や親の送迎、それらの組み合わせなどは今回のように必ず穴が生じるし、地域の通学路の家庭で下校時に外に出て見守るなど、これからの季節の北国では不可能。監視カメラは犯罪発生後の捜査には役立つかもしれませんが、全ての道に設置する『1984年』社会でなければ意味はない。

スクールバスを買う予算などこの国のどこにもないので、実質的に家庭の負担増になり、更にエスカレートしていく。結局、子どもを安全に育てていくためには超高コスト社会にならざるを得ない。

なんでこんな社会になってしまったのか。スクールバスなんて絶対に反対なのですが。。
ただでさえ体力が低下している子どもたちが、登下校も歩かなくなったらこの国は滅びます。そして、行き帰りの道ばたの雑草や石ころや、雪道や水たまりといった子どもたちの体に馴染んだ風景、車の往来の中で安全に歩くのを学ぶこと、友達との雑談やけんか、いつもと違う寄り道、駄菓子屋さんでの買い食い(最近はコレはない)、こういったものは子どもが「健全に」育つためには不可欠なはずですが、どんどん失われ、子どもの手から奪われていくことになる。

私たちが子どもの頃は、うちに帰らずにランドセルを公園のすみにまとめて置いて、日が暮れるまで野球をしてから帰ったものですが、いまはそういうことはできない。私たち親としても、真っ直ぐ帰ってもらわないと困るし、心配です。最近では中学生同士では学区外に行くことすらできないのだという、、これはいくらなんでも過剰な規則だと思いますが。。

結局、「小さな政府」で「格差拡大社会」を目指せば、安全は自分で守らなくてはならず、際限なく国民の負担が増えていく超高コスト社会に陥っていく。子育て支援の涙金なんかで子どもを生みたいと思う人が増えるわけがありません。