熊本熊的日常

日常生活についての雑記

娘へのメール 先週のまとめ

2008年04月07日 | Weblog

元気ですか? いよいよ2年生ですね。クラス変えで、仲の良い友人とは別のクラスになるかもしれませんが、新しい友人を作る機会でもあります。遊びも勉強も一生懸命にやってください。

東京は、もう桜が終わり、一年のなかで一番過ごし易い時期になっているのではないでしょうか。こちらは、ようやく若葉が目立つようになり、草木に花々が咲き始めましたが、今朝は雪が降りました。なかなか春らしい気候にはなりません。ヤフーフォトで写真を送りました。写真のタイトルをクリックすると
写真画像が開きます。

昨日、土曜日は天気に恵まれたので、世界最大規模と言われるポートベローという地域の骨董市を訪れました。骨董の店舗だけで1500が集まっているそうで、骨董以外にも、生鮮食品から土産物まで、ありとあらゆる店がポートベロー通りという通りに並びます。骨董と言えば聞こえは良いのですが、圧倒的大多数はただのガラクタです。「玉石混淆」という言葉がありますが、骨董のためにあるような言葉だと思います。この骨董市の様子もヤフーフォトで送りました。

ヤフーフォトの使い方は手紙に書きました。あとで自分でやってみてください。

日本で何冊か本や雑誌を買ったのですが、そのなかで印象に残った言葉がいくつかありました。以下、引用します。まだ君には難しいかもしれませんが、何度か読み返してみてください。

「目利きという言葉がある。何と曖昧な言葉だろう。鑑定という仕事もある。間の抜けた商売もあったものだ。目ははたして利くものか。利くという目は一体何を見るのだろう。(中略)鑑定と云って、何を鑑て定めるのか。真贋とか、製作地とか、作者とかを、定めたつもりで、世の中には定め得ることなどは
何もないということだけは、しっかりと鑑のがして見せる。」

「僕は一山一寧や大燈国師、夢窓国師の書に惹かれる。中でも夢窓疎石の墨蹟「応無所在、而生其心」に心惹かれる。「応に住する所なくして、其の心を生ず(まさにじゅうするところなくして、そのこころをしょうず)」。生きとし生けるもの、すべては留まるところない流転のさなかにあり、その流転の中に
おいてこそ、その心は生まれる。住する所などどこにもないのだと「金剛経」は説いている。我が心も、我が存在も、物象そのもの、それ自体も常に流転のさなかにある。留まる時に執着が、驕りが、権力への思いが、所有欲が、傲慢が生じ、逆にそれにつかまえられてしまう。そこに心の自由はなく、創造は生
まれない。一つの美へのこだわり、その美が生まれ、まさに完成された刹那に、その美の大切な何かがぽとりと朽ちて死滅する。美とはそんなにも儚くささやかなものだろうか。「応に住する所なくして、其の心を生ず」。流転のさなかに生ずる「其の心」とはどのような花、どのような美をさすのだろうか。僕
はこの経文に惹かれて止まない。」

最初の引用には当て字もあります。「鑑て定める(みてさだめる)」「鑑のがす(みのがす)」と読みます。

この二つの引用は別の人が書いたものです。何を言わんとしているかわかりますか? 今はわからなくても、やがてわかるようになるかもしれませんし、永久に理解できないかもしれません。私も、たぶん、例えば20年くらい前なら理解できなかったと思いますが、今は心に染み入るようです。歳を取るというの
は、哀しいことも多いのですが、今までわからなかったことが了解できるようになるという愉しいこともあります。まして、今、ロンドンでひとり暮らしをしていて、修行僧か囚人のような毎日ですから、否応なく自分自身を向かい合うことになるわけです。そこで、世の中のことを、今までの自分のことをを考
えると、引用したような心情がよくわかるようになりました。

君が読んだ本のなかで、印象に残る言葉があったら、今度は書き留めておいて、教えてください。

カードを送ろうと思い、カードを買ったのですが、カードでは収まりきれなかったので、手紙にしました。今週中に送ります。週末か来週初めに黄色い封筒で届きますのでよろしく。

では、また来週。