熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「暮らしをデザインする」

2008年04月25日 | Weblog
建築家のエッセイ集である。舶来上等日本劣等という、あまり合理的根拠があるとは思われない価値観が根底に感じられ、少しうんざりした。後半の航空機に関する部分は、編集段階で削除するべきではなかったのかと思われるほど陳腐な内容である。しかし、建物は生活を収める容器なので、中身である生活に応じてその設計は自ずと変わる、というのは尤もなことだと思う。家がはじめにあって、そこでの生活を考えるのではなく、まず生活があって、それを収める家があるということだ。

自分が家を建てた時、そこに生活は無かった。家を建てる時点で、既に離婚することを考えていたので、後から変更しやすい間取りを考えていた。結果として、ほぼ立方体に近く、部屋割りは殆どしなかった。とてもシンプルな造りである。実際、生活してみると、確かに自分の家という感覚は無い。どこか他所の家に居候をしているような気分で何年も暮らすことになった。いざ離婚して、一人で生活を始めてみると、賃貸ではあっても、今住んでいる家のほうがはるかに自分の場所という感じがして快適である。

近い将来、再び日本での暮らしを始めるつもりだが、さすがに家を建てる金は持ち合わせていないので、既に建っている家なりアパートなりを借りることになる。それでも、自分の生活のイメージを持って、それに合わせて家を探すのと、単に通勤時間だの立地だの明示的に表現できる基準だけで探すのとでは、選択の対象が異なるだろう。自分の中の世間という雑音を消し去って、これからどんなふうに生きていきたいのかということを考えて物件を探すと、今までなら思いもつかなかったようなものにめぐり合うことになるのではないかと期待している。

ちなみに、今ロンドンで住んでいる家はけっこう気に入っている。隙間風が酷いだの、床の敷物に汚れが染み込んでいるだの、さんざん否定的な形容で語っているが、一人で暮らすのにちょうどよい広さで、天井が高いのが良い。この本にもあるように、蛍光灯が無く、照明器具が基本的に白熱電球に拠っているのも室内の雰囲気を落ち着いたものにする一要素かもしれない。ただ、慣れるまでは、私の眼には室内が暗いと感じられた。

日本で、今暮らしているロンドンの家のようなものを探すつもりは全く無い。この家はロンドンの風土とか周辺の街並みに、しっくりと馴染んでいるところが良いところでもあるのだ。風景のなかに溶け込みつつも自分の居場所を確保できるというバランスが肝要だと考えている。