毎朝、コーヒー豆を挽き、コーヒーを淹れる。家の中にコーヒーの香りが充満する。そういうなかで過ごす時間が好きである。ロンドンではコーヒー豆を焙煎しながら販売している店が殆ど無い。自分が知っている限りでは地下鉄Camden Town駅の近くに一軒あるのみである。自分の生活圏からは外れたところにあるので、何かのついでがないと、その店には行けない。普段は職場近くの食品スーパーWaitroseでマンデリンを買って飲んでいる。
先週来、夕飯には必ず鰹節を使っている。野菜炒めの盛り付けに一掴み乗せてみたり、野菜スープに一掴み浮かべてみたりする。家の中には鰹節の香りが漂う。心地が良い。今まで、あまり鰹節というものを意識したことはなかった。昨年末に年越しそばを食べようと、そばを買ってはきたものの、そばつゆが調達できず、自分で作ろうとして鰹節が欲しいと思ったのが、鰹節というものを意識するようになったきっかけである。結局、年越しそばのそばつゆは、鰹節の代わりに干し海老を使って作った。所謂そばつゆの味とは違うのだが、それはそれで美味しかった。
生活の中には、ほっとするような感覚を与えてくれるものがある。五感を刺激して反射的に安心感を醸し出すものである。料理の匂いというのはその最たる例ではないだろうか。勿論、食卓を囲む相手というのも重要だ。ただ、歳を取ると面倒なことに向かい合うのが億劫になるので、中途半端な相手と暮らすくらいなら、一人でいたほうが気楽で良いと思うようになる。
先週来、夕飯には必ず鰹節を使っている。野菜炒めの盛り付けに一掴み乗せてみたり、野菜スープに一掴み浮かべてみたりする。家の中には鰹節の香りが漂う。心地が良い。今まで、あまり鰹節というものを意識したことはなかった。昨年末に年越しそばを食べようと、そばを買ってはきたものの、そばつゆが調達できず、自分で作ろうとして鰹節が欲しいと思ったのが、鰹節というものを意識するようになったきっかけである。結局、年越しそばのそばつゆは、鰹節の代わりに干し海老を使って作った。所謂そばつゆの味とは違うのだが、それはそれで美味しかった。
生活の中には、ほっとするような感覚を与えてくれるものがある。五感を刺激して反射的に安心感を醸し出すものである。料理の匂いというのはその最たる例ではないだろうか。勿論、食卓を囲む相手というのも重要だ。ただ、歳を取ると面倒なことに向かい合うのが億劫になるので、中途半端な相手と暮らすくらいなら、一人でいたほうが気楽で良いと思うようになる。