子供の頃、インテリというものに憧れた。人は漠然とその存在を感じながらも実体をつかみかねる対象に憧れるものである。自分の周囲には粗野な人々しかなく、両親は中卒で、親戚一同のなかにも大学を出た人はひとりもいなかった。そんななかで地元の公立小学校と中学校で義務教育を受け、都内の私立高校から私立大学へと進んだ。金融機関に就職し、くじ引きに当たったようにバブル期に当たり、英国の大学に社費で留学して修士号を取った。進学や就職は誰に相談するでもなく、全て自分の判断である。しかし、それは判断というよりも流れのようなもので、考えも志も全く無かった。相談したくても、相談相手に足る人が自分の周囲に居ないのだから、自分で決めるより他にどうしようもなく、決めると言っても自分のなかに判断基準があるわけもない。暗中模索とはこういうことを言うのだと思う。
高校時代は大学への進学のためだけに存在したようなもので、不毛の3年間だった。そんなふうにして入学した大学も、なんとなく4年間が過ぎてしまった。留学時代は毎日の課題を消化するのに精一杯で、学問とか教養と呼べるようなものは殆ど何も自分のなかに残らなかったが、休みが長かったので、あちこちぶらぶらして、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。結局、小学校から大学院まで総計18年も学生をやっていて、幼い頃に憧れたインテリジェンスというものは殆ど身に付かなかった。
人は経験を超えて発想をすることはできないという。物事を経験するというのは容易なことではない。以前、経験と体験の違いについて書いたので、今日は書かない。結局、学校に通っている間は、保護者が生活の面倒を見てくれるので、定型化された知識を詰め込むことと、友人や教師とのささやかな関係を通じて何事かを学ぶことしかできないのではないだろうか。そうして、社会に放り出され、自分で稼いで生活するということを強いられるようになる。ここで初めて物事を考えるという必要に迫られることになる。しかし、自分で生きるなどということをせずに他者に寄生し続ける幸運あるいは不運に恵まれる人も少なくないらしい。
物事を考えるなどということをしなくても、人は生きていけるのである。困ったことがあれば他人に頼り、都合の悪いことは他人の所為にして、ババ抜きのババのように、嫌なことを他人におしつけて生きていくことはそれほど困難なことでないのである。そうすると、厄介なことにかかわらなくて済む。しかし、厄介なことと向き合う経験を積まないでいると、逆境に対して脆弱な人間になってしまうような気がするのである。
坪内祐三の「考える人」を読んでいたら、ふと、自分がこれまでに物事を真剣に考えた経験があるだろうかと不安になった。振り返ってみて、自分はどれほどのことを考え、経験してきたのかと、不安が深くなった。
高校時代は大学への進学のためだけに存在したようなもので、不毛の3年間だった。そんなふうにして入学した大学も、なんとなく4年間が過ぎてしまった。留学時代は毎日の課題を消化するのに精一杯で、学問とか教養と呼べるようなものは殆ど何も自分のなかに残らなかったが、休みが長かったので、あちこちぶらぶらして、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。結局、小学校から大学院まで総計18年も学生をやっていて、幼い頃に憧れたインテリジェンスというものは殆ど身に付かなかった。
人は経験を超えて発想をすることはできないという。物事を経験するというのは容易なことではない。以前、経験と体験の違いについて書いたので、今日は書かない。結局、学校に通っている間は、保護者が生活の面倒を見てくれるので、定型化された知識を詰め込むことと、友人や教師とのささやかな関係を通じて何事かを学ぶことしかできないのではないだろうか。そうして、社会に放り出され、自分で稼いで生活するということを強いられるようになる。ここで初めて物事を考えるという必要に迫られることになる。しかし、自分で生きるなどということをせずに他者に寄生し続ける幸運あるいは不運に恵まれる人も少なくないらしい。
物事を考えるなどということをしなくても、人は生きていけるのである。困ったことがあれば他人に頼り、都合の悪いことは他人の所為にして、ババ抜きのババのように、嫌なことを他人におしつけて生きていくことはそれほど困難なことでないのである。そうすると、厄介なことにかかわらなくて済む。しかし、厄介なことと向き合う経験を積まないでいると、逆境に対して脆弱な人間になってしまうような気がするのである。
坪内祐三の「考える人」を読んでいたら、ふと、自分がこれまでに物事を真剣に考えた経験があるだろうかと不安になった。振り返ってみて、自分はどれほどのことを考え、経験してきたのかと、不安が深くなった。