熊本熊的日常

日常生活についての雑記

願わくば

2008年04月18日 | Weblog
ねがわくば はなのしたにて はるしなむ
そのきさらぎの もちづきのころ

西行は本当に桜の花の咲く頃に亡くなったという。桜が開花する時期は冬の厳しい寒さが和らぎ、夏へ向けて気候が大きく変化する時期なので、意識するとしないとにかかわらず、そうした大きな変化が身体にストレスとなる。このため、確率的には、この時期に亡くなる人というのは多いと言えよう。なにも自分が詠んだ歌の通りに寿命をまっとうしたからと言って、驚くほどのことでもないだろう。

昔、伊丹十三監督の「大病人」という映画を観たことがある。映画館で観た記憶があるので1993年のことである。作品の内容については記憶が消えてしまっているが、桜の木が風にそよぐシーンや、オーケストラによる般若心経、主人公の臨終間際の様子などは今でも脳裏に浮かぶ。この作品のなかで、主人公は末期の胃癌で、最期は自宅で迎えるという設定になっている。よく「畳の上で死にたい」という言葉を耳にする。この作品もそうした世間の価値観を具現化したような映像でまとめているということだろう。

私自身は、畳の上での生活というのは小学6年の11月までであり、しかも煎餅布団のような寝具で寝起きしていたので、畳の上というものへの憧れや郷愁はない。布団がベッドに置き換わったとしても、死に場所として、自宅というものにはそれほど魅力を感じない。病院のベッドというのも落ち着きが無い。親類縁者何人かを病院で看取った経験からすれば、亡くなるまでの情緒的な雰囲気から亡くなった後の事務的な雰囲気への転換には、それこそ映画や芝居の場面転換を観ているような気がして、いつも唖然としてしまう。人生は所詮、芝居のようなものだ、と言ってしまえば身も蓋も無いが、それが露骨に表現されるのもいかがなものかと思うのである。

要するに自分の最期というものには思いが至らないということなのだが、思ったところでどうなるものでもないだろう。その場に誰が居ようと居まいと、最期の瞬間は結局自分ひとりだけのものだ。

子供の頃、大人になったら、まず自分の墓を買おうと思っていた。大人になってみると、自分の墓などどうでもよいと思うようになった。とりあえずは、自分のことより親の墓をどうするかということを考えなければいけない。役に立つのか立たぬのかわからないが、何年か前に公益社のプレビオクラブというものに入会しておいた。そういえば、まだプレビオクラブに住所変更の連絡をしていないことを思い出した。あの会員証や割引券の類はどこにしまっただろうか?次に日本に行く時、それらの所在を確認しておかなくてはいけない。

伊丹には「お葬式」という作品もある。これは1984年公開だが、ビデオで何度か観た記憶がある。氏の作品では他に「タンポポ」「マルサの女」「ミンボーの女」「スーパーの女」を観たが、どれも愉快で好きである。氏は97年12月20日に投身自殺を遂げている。死の前に、写真週刊誌によるスキャンダラスな記事のネタにされるということがあり、ワープロ文書で「死をもって潔白を証明する」という遺書が残されたということになっている。しかし、彼を死に至らしめたのは、そのスキャンダルではないような気がする。勿論、私は伊丹十三という人とは面識が無い。ただ、氏の監督作品から受ける氏の美学のようなものが、氏に人生の引き際を意識させていたように感じられるというだけのことである。引き際を考えているなかで、たまたまスキャンダルが氏の背中を押したように思うのである。

死は生の対極にあるのではなく、その延長線上にある。己の死を考えることは、自分のこれから先の人生を考えることでもある。たまたま、私の場合は、今年が前回の渡英から20年目に当たり、この20年間のさまざまのことが自然に思い起こされるのである。いつの間にか、自分も「願わくば」と思案する時期にさしかかってきたということだ。