熊本熊的日常

日常生活についての雑記

娘へのメール 先週のまとめ

2008年04月20日 | Weblog

まずは滑り出しの良い新学期ということでなによりです。部活は人数はともかく、授業では経験できないことがたくさん経験できたら良いのではないかと思います。友達は少ないよりは多いほうが楽しいでしょうが、数の大小ではなく、その人と付き合うことによって自分がそれまで気付かなかった物の見方とか、考え方ができるようになることが大事だと思います。

現実問題として、人の生活というのは結局は他人との関わりのなかで成り立っています。しかも、中学生という年代は、心身ともに成長のなかにあり、自分の中身も自分の周囲の人たちの中身も目まぐるしく変化するものです。そうしたなかで、大人になってからも交友を続ける相手というのは、それほど多くはないでしょう。人それぞれの人生があり、成長とともにその方向性のようなものが固まってくるからです。でも、人の人生というのは、どこで何とつながるかわからないということもあります。自分に対しても他人に対しても誠実に生きることを心がけておけば、少なくとも、後悔することは少ないと思います。無理に友達をつくろうとする必要はありませんが、新しい出会いの機会は不用意につぶしてしまうことのないようにしたほうがよいでしょう。

成長期にあるということは多くのことを自分の中に吸収する時期であるとも言えます。物事を本当に理解する、というのは、実はもう少し大人になって様々な経験を経てみないとできないことなのですが、そのためのきっかけのようなものを今の時期にたくさん仕込むことができれば、たぶん、これから先もそこそこ楽しく過ごすことができるような気がします。

さて、デジカメの写真ですが、「5MB」というのは写真のファイルのサイズのことです。一眼レフの映像は画質が良い分、多くのメモリーを使って表現されています。ですから、それを送るのはなかなか大変なことなのです。ちょうど、重い荷物を運ぶのが大変なのと同じです。

今のメモリーサイズのままでは送るのが難しいと思いますので、サイズを落として別ファイルとして保存して、それを送るという方法があります。後で、それを説明します。もっと簡単な方法があるかもしれないので、調べてから、改めて連絡します。

映画、楽しんできてください。

では、また来週。


Bloodbath

2008年04月20日 | Weblog
“blood”=「血」、”bath”=「風呂」というと、風呂桶に血がタポタポとしている感じがしてグロテスクな印象を受けるが、”bloodbath”というのは「大量解雇」という意味だそうだ。英語を母国語とする人は、この言葉からどのような印象を受けるものなのだろうか?

雇用整理は企業経営者や株主・債権者から見れば、費用を低減させ企業価値を向上させる手段のひとつと映るのだろう。被雇用者から見れば生活の糧を奪うものに見えるだろう。直接利害関係の無い人から見れば、他人事でしかないかもしれない。個人的には、この”bloodbath”という表現が、第三者的無関心に基づくものに感じられるのである。

今、鈴木大拙の「東洋的な見方」という本を読んでいるのだが、ここには西洋の思想にはその根底に物事を主と客に分けて考えるという特徴があると書いてある。そういわれてみれば”bloodbath”という表現には他人事のような気楽さ、ビデオゲームや娯楽映画の映像のような娯楽性のようなものが感じられるような気もする。

さて、先週金曜日の新聞に”Jobs bloodbath engulfs London as banks cull thousands”という長い見出しの記事があった。今更、この業界でリストラの話は珍しくもなく、この手の記事には必ずと言っていいほど自分の勤務先の名前が登場する。今回も例外ではなく、その記事によれば数週間以内に大規模なコスト削減策の発表が控えているらしい。”cull”という表現にも抵抗を感じる。「弱った家畜や、子(卵)を産まなくなった動物を間引く」という意味らしい。自分が間引きや血の風呂に浸かる対象になるかもしれないと思うと心安らかではいられない。

ところで、金融業界が合理化で業態を縮小させたら、その広告収入に依存しているマスメディアにもbloodbathの季節が訪れ、記者のなかには間引かれる人も出てくるのだろうか。