熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「ホルテンさんのはじめての冒険」(原題:O’Horten)

2009年03月09日 | Weblog
ノルウェーではこの手の作品が受けるのだろうか?先日観た「PARIS」とは打って変わって微妙に外れた間がなんとも味わい深い。

定年を迎える鉄道員の定年前後数日間を綴った作品だ。主人公のホルテンさんはベルゲン急行の運転手。定年は真冬に迎える。真っ白い大地を疾走する特急列車、その運転室でホルテンさんと同僚との会話とも言えないほど間延びした会話。そのシーンだけを映画にしても十分に作品として成立するのではないかと思われるほど良い味がある。

40年間無遅刻無欠勤で鉄道ダイヤそのものの如く生活してきたのに、よりによって定年退職前の最終乗務に遅刻してしまう。その動揺の表現が素晴らしくリアルだ。なにか見てはいけないものを見てしまい、そっと後ずさりをする、そんな様子なのである。後ずさりをするときに、躓いてしまう、その小さな躓きの諸々がドラマになっている。現実の人生にもそういうところはいくらでもあるだろうと思うのである。

厳しい現実も活写している。67歳で鉄道員としての定年を迎えるホルテンさんは独身だ。それまでにどのような人生があったのかはわからないのだが、線路脇のアパートで几帳面な暮らしを淡々と続けてきたかのようだ。しかも彼には老人ホームで暮らす母親がいる。痴呆のようで、見舞いに行っても食べ物にしか反応を示さない。老々介護は長い平均寿命を享受している先進国の人々共通の問題だ。同時に身近な人たちの喪失というのも高齢者にとっては辛いことである。行きつけの煙草屋の主人はいつのまにか亡くなり、残された妻が店を守っている。知り合ったばかりの老人が突然死してしまう。しかし、そうした哀しい出来事を淡々と受け流すことができるのも、自分自身が長い人生を積み重ねてきたからこそなのだろう。淡々と、と書いたが、それはそう見えるだけであって本人の心情はわからない。ただ、騒いだところでどうなるわけもないことは、静かに受け容れるよりほかに対応のしようがない。どんなことであれ、それを淡々とやり過ごすというのは、長い人生経験を積んだ結果としての知恵であり習慣であろう。

この作品を観終わってなんとなく良い気分を感じるのは、ホルテンさんのちょっとした前向き加減の所為ではないかと思う。

自分の送別会の後、仲間のアパートでの二次会になるのだが、ホルテンさんは煙草を買いに寄ったので、ひとりだけ後からそのアパートに行くことになる。入口のオートロックを開けることができず、一瞬当惑するのだが、そのまま帰ってしまったりはしない。たまたまアパートの周囲に組んであった工事用の足場を使って会場となっている部屋まで登って行こうとするのである。

それまでスキージャンプを好んですることがなく、ジャンパーだった母親をがっかりさせていたことを気にしていたホルテンさんは、たまたま友人の家で目にしたジャンプ用のスキー板を見て、飛んでみようとするのである。

エンディングも心温まるものだ。ホルテンさんは作品のなかではいつも一歩前へ進もうとしている。おそらく、それこそがこの作品の要なのではないかと思うのである。