熊本熊的日常

日常生活についての雑記

無い袖は振れないが

2009年03月23日 | Weblog
金が無い。給料日が待ち遠しい。3月3日付「綱渡り」に書いたような状況なので、来月初旬の決済を越えないとクレジットカードが使えるようにならない。現金がないのでカードが使えないと消費活動ができない。食材を実家から調達し、多少の空腹は我慢することで日々の窮乏をしのいでいる。ちょうど良い機会なので、侘びの風情をじっくりと楽しむつもりである。

侘び茶というのは、応仁の乱に端を発する戦乱の世の中で疲弊した貴人や武人が、限られた物資をやりくりして茶の湯を楽しむ方便として発展したようだ。確かに、人の欲には際限が無いので華美を競えば財力に応じていくらでも贅を尽くすことはできるだろう。しかし、それが人をもてなすことにつながるだろうか。部分的に背伸びをしたり屈んだりしながらも全体として身の丈に合った無理の無い状態というのが心地よく感じるものなのではなかろうか。身の丈といっても、それは常に変化している。そうした変化を超えて普遍性を目指した先に、誰もを唸らせる美意識の発現があるように思う。

人の生活は多種多様の評価軸のなかで営まれている多元的世界だと思う。多様であるはずの価値観を貨幣価値という単一の尺度で表現することで、本来そこにあったはずの多元性が失われ、浅薄で窮屈な世界が現出することになったような気がする。もちろん、市場経済という生活の場の大前提を今更覆すわけにもいかないので、先立つものが無ければ生活はままならない。ただ、貨幣の呪縛から解放されることの快感というのも、追求してみると面白いのではないかと思うのである。