熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「いのちの戦場 アルジェリア1959」(原題:L’ENNEMI INTIME)

2009年03月20日 | Weblog
フランスの戦争映画を観るのはこれが初めてだ。アメリカの戦争映画は総じて白黒はっきりした構成でわかりやすい物語であることが多い。尤も、アメリカの映画は戦争映画に限らず、白黒はっきりさせたがる傾向が強いように感じられるのだが。このフランス作品は、最後まで謎めいた感じが拭えない、終わりの無いサスペンスのようだ。それは戦争がサスペンスだからではなく、人間の存在そのものにサスペンス性があるということなのだろう。

おそらくこの作品の要になるシーンのひとつだと思うが、フランス軍とゲリラとの戦闘の後、戦死した兵士を埋葬する場面がある。フランス軍、とは言いながら、こちらにもアルジェリア人が少なからずいる。フランス人の戦死者は生き残りのフランス人兵士がキリスト教式で埋葬している隣で、アルジェリア人兵士たちは亡くなったアルジェリア人兵士をイスラム教式で埋葬している。どちらも「フランス軍」として独立派のゲリラと戦っている。そして、アルジェリア人兵士にしてみれば、敵もまたアルジェリア人なのである。そして、アルジェリア人兵士のなかにはフランス軍と独立軍との間で頻繁に鞍替えをしている者もいるようだ。

独立派ゲリラ兵を捕虜としてつかまえたものの、その捕虜が脱走を図ったということにして殺してしまう場面がある。その捕虜は第二次大戦では当然フランス軍として枢軸国軍と戦っており、その時に与えられた勲章を持っていた。かなり高位の勲章らしく、それを目にした途端にフランス人軍曹の表情がさっと変化する。そして、そのままその捕虜を解放しようする。ところが軍曹の命令なしにその捕虜を射殺してしまう兵がいた。フランス側のアルジェリア人兵だ。その捕虜が自分の家族を殺した張本人だというのである。

戦争自体は独立を主張するアルジェリアとそれを阻止しようとするフランスの間のものである。しかし、フランス人のなかにもアルジェリアの独立は必然だと考える者もいて、アルジェリア人のなかにもフランス領にとどまることが自分たちの利益だと考える者もいる。アルジェリア人としてのアイデンティティを感じ、フランス軍に籍を置きながらも独立派ゲリラに内通行為を繰り返しておきながら、私情に任せて真の同胞であるはずのアルジェリア人ゲリラを射殺してしまうアルジェリア人もいる。

戦争とか国家といった世の中の枠組みを巡る世界と、自分自身の生活を巡る世界は、実は全く異質のものであることが、このような作品を観ていると見えてくる。突き詰めれば、自分とは何者か、ということを考えないではいられない。