熊本熊的日常

日常生活についての雑記

さくらの同期

2017年08月10日 | Weblog

大学時代の友人とランチ。同じゼミの出身で彼が創設したサークルにも参加していたが、卒業後しばらくは年賀状だけの付き合いだった。10数年前からちょっとした関係があって以来ずっとやりとりはあるのだが会うのはちょうど10年ぶりだ。そのちょっとした関係のことでの話である。深刻なことではないので、要件は早々に切り上げて互いの近況を語り合う。同年代ということで共通する課題を抱えそれぞれに模索の日々なのだという当然のことを改めて確認した。なにはともあれ、楽しい時間だった。

今日はこの会食以外にこれといった用はなかったので、会食の場所から近い国立近代美術館に立ち寄ってみる。企画展は「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」。以前に汐留のパナソニックで観た企画に似ていると思った。パナの展示を観たときも感じたのだが、自分が住んでみたいと思う家というものが全くなかった。こういう場に展示される住宅は所謂「建築家」の「作品」だ。「げーじゅつか」とか「さっか」とか「家」の付く肩書きの人が考えるのはその人のその時々の世界観であって、それを客のその時々の要望とか思いつきと擦り合わせた結果生まれたのが「作品」なので、そこで出来たものは瞬間芸のようなものなのかもしれない。瞬間芸に「普遍性」があるかのような触れ込みをつけて生産し続けることができる人を「ナントカ家」と呼ぶのだと思う。

ここの常設はけっこう頻繁に展示替えが行われる。4階から順に下へ降りてきたのだが、「ハイライト」のコーナーは小林古径「唐蜀黍」で始まる。「ハイライト」というだけあって「へぇー」と思って眺める作品ばかりだが、それを集めてみてもどうなのかなとも思う。たまたま洲之内徹の本を読んだばかりだったので長谷川利行「カフェ・パウリスタ」(1928年)は見入ってしまった。本を読むまでは知らない作家だったが、こういう絵を描く人なのかと思った。なんとなくデュフイのような感じだ。絵を描くのが好きな人、というのもおかしな話だが、そんな人が描いたものに見える。絵描というのは絵を描くのが好きだから絵描になるのかもしれないが、私が会社勤めをしているのは会社が好きだからというわけではないし、縁のようなものでそうなっているだけだ。絵描と呼ばれる人もそういう人が多いのではないか。自分が楽しいと思って仕事をしていれば、その仕事を見る人にも楽しさが伝わるというのは屁理屈かもしれないけれども、私はやっぱりそう思うのである。その作家の伝記的な物語がどうあれ、作品が誰かに大切にされながら残る作家の作品というのはモチーフにかかわらず眺めていて思わず微笑んでしまうようなものが多い気がする。そういう意味で、同じく「ハイライト」のコーナーに展示されていた梅原龍三郎「北京秋天」(1942年)とか川端龍子「草炎」(1930年)も同じ部類の作品だと思う。やはり洲之内の本に登場する靉光の自画像があったが、本で読んだ彼の最期のことがまだ記憶に鮮明にある所為だと思うが、眺めていてなんだか悲しい気分になった。

常設のなかのミニ企画のようなまとまりがいくつかあり、その一つが藤田嗣治の区画だ。先日、新潟の万代橋美術館で展覧会を観たり、その展覧会に関連した会田誠の講演を聴いたばかりだったので、少し時間をかけて眺めた。1918年の「パリ風景」から時系列で作品が並んでいて、戦後フランスに移ってからの「少女」(1956年)と「動物宴」(1949-60年)まで藤田の作品だけで7点とそれに関連する作品が数点で構成されていた。圧巻は戦争画、特に「サイパン島同胞臣節を全うす」だ。別の戦争画について藤田が「今は、君たちにはわからないだろうが、これから50年も経てば、わかるときがある。この絵は、間違いなく博物館ものだよ」と得意気な笑顔で語ったのだそうだ。藤田という人の職業倫理というかプロフェッショナリズムを象徴しているのが彼の戦争画だと思う。画家としての自分がどういう仕事をするべきなのか、画家として生きる自分がどのような仕事をするべきなのか、ということについて明確なものを持っていたことが伝わってくるようだ。

先日の講演のなかで会田は戦後の藤田の作品は時代錯誤的あるいは反時代風の美術界から忘れられた風な作品と言っていた。「上手くやろうと思えば、できたはずの人生だったのでは?」とも言っていた。今日の近美の展示では「少女」と「動物宴」がそれに当たる。所謂「業界」のことは私にはわからないが、そもそも人生とは上手くやらないといけないものなのだろうか?自分が生きたいように生きることができればそれに越したことはないのではないかと私などは思うのだが、それは凡人の凡庸な考えだろうか。「ナントカ家」と呼ばれる人たちは表現を生業とするので最期の際まで上手にやるのが当たり前ということなのだろうか。そうだとしたら、なんだか気の毒な気がする。世間に注目され「先生」とかなんとか呼ばれてチヤホヤされれてこその「ナントカ家」ということなのか。所謂「業界」では個々の作品が大事で、その出来がどうかということが問われるということなのだろう。しかし、「業界」を超えたところの人々は「業界」での評価をなぞるようにその人や作品を観る人ばかりではあるまい。個々の作品ではなくそれを産んだ手を観る人だっているだろう。その手を信頼して仕事を注文する人がいるからこそ、その仕事が後世に残るのである。だから、どんなときでも仕事の手を抜いてはいけないのである。ということを書きながら自分はそもそも手の入っていない仕事しかしてこなかったと反省している。

常設の日本画のコーナーに岸田劉生の日本画が数幅展示されていた。岸田というとあの「麗子」の印象だけが頭のなかを駆け回るのだが、この人は日本画のほうがいいのではないかと思う。「オマエにいいの悪いのなんて言われたかないよ」と言われるのは百も承知だが、素朴に「へぇ」と感心したということだ。

常設の現代のコーナーは赤瀬川原平などが並んでいた。赤瀬川の本をまとめて読んだことがあったが、そういうことも含めて作品を前にすると、この人はとても誠実な人だったんだと思う。でも、彼の作品を身近に置きたいとは思わない。自分にはそこまで誰かにのめり込む情熱のようなものは無いし、そもそも「げーじゅつ」にそれほど興味は無い。

「げーじゅつ」と言えば、竹橋の駅の壁面のあちこちがピンクのマスキングテープで囲われていた。その模様のような姿が「作品」のようで面白かった。

先日の健康診断で近視が進行してメガネを作り直さないといけないと言われたので、メガネ屋に寄ってから帰宅する。