熊本熊的日常

日常生活についての雑記

一粒万倍

2017年08月28日 | Weblog

今回の旅行でもいろいろな神社仏閣を訪ねたが、その云われを聞けばその土地のカラーのようなものがなんとなくつかめるように思う。大阪といえば都が奈良や京都だった頃の外港のようなところだったのではないだろうか。遣隋使も遣唐使もそれ以前の大陸への使臣も住吉大社にお参りをして住吉大社の近くにあった港から進発したのだそうだ。逆も同様だろう。大陸からやってきた人たちは大阪で陸に上がり都へと向かったのだろう。鞆の浦でそうした瀬戸内海の交通の一端に触れたこともあり、そのついでというわけでもないのだが、住吉大社へ参拝した。

宿を出て荷物を新大阪駅のコインロッカーに預け、御堂筋線、南海を乗り継いで住吉大社へやってきた。南海は関空へのアクセス線でもあり大荷物の客も乗っている。住吉大社に停車するのは各駅停車だけなので、関空へ行くなら別の列車を選択したほうがよさそうなものだが、他人様のことなのでそこは考えない。

住吉大社は「すみよっさん」と呼ばれているのだそうだ。近畿圏は「さん」付けが多い気がする。まず、すみよっさんは和歌の神だそうだ。光源氏が須磨から京へ帰還したことも、皇統が明石入道の血脈に移ったことも、住吉の神意の作用によるのだそうだ。その神託が和歌の形でなされたことから、平安以降はそういうことになったという。ちょっと待ってくれ、と思う。光源氏って、源氏物語のなかの話だろう。作り事じゃないか、と思う。しかし、世の中はあまねく作り事だ。真実だの現実だのといったって、所詮は泡沫のような話じゃないか。源氏物語の中のことが目前のこととごっちゃになったからといって、目くじらをたてるほどのことでもないだろう。はい、和歌の神。

その前が遣隋使遣唐使が航海の安全を祈った神様。遣隋使遣唐使というのは日本の命運をかけて先進地域から先端知識と文化を取り込もうという、今の留学とは全く桁違いの大国家プロジェクト。バカやカスでも金さえ出せば留学できる今の留学とはわけが違う。つまり、国家事業の成就をお祈りする神様でもある。だからなのかどうだか知らないが本宮が4つもある。要するにうんとエライ神様だ。

 エライ神様なのだが、今は大阪の都市域に埋没しているので、例えば伊勢神宮で感じるような神様らしさのようなものは感じない。生活のなかで、何かにつけて気軽にお願い事やお参りをしたくなる神様に見える。だから「すみよっさん」なのだろう。

住吉大社の境内にもいくつかの摂社と末社があるが、「初辰まいり」という参詣ルートがある。毎月最初の辰の日に4つの末社にお詣りすると願い事が成就する、らしい。今日は28日なのでたとえ辰の日であったとしても月の初日ではないし、そもそも亥の日だ。でも、せっかくなのでこのルートでお詣りしてみた。

まずは境内末社の種貸社。御祭神は倉稲魂命。もともとはその名が示唆するように稲種を授かるという信仰だったが、「一粒万倍」という言葉が独り歩きをしてしまったのか、都合のよいように解釈されたのか、資本が増えるというご利益があることにされてしまったようだ。今までいろいろ神社を回ったが、これほどインパクトのある額は初めてお目にかかった。

 つぎが境内末社の楠珺社。御祭神は宇迦魂命。字は違うが種貸社の御祭神と同じ読み方だ。「うがのみたまのみこと」。物事の意味や由来を考えるとき、文字も重要な要素だが音も同じくらい重要だ。しかし「うがのみたま」がどういうことなのか私は知らない。この社の例祭が毎月初めての辰の日なので「初辰さん」と呼ばれているそうだ。ここが近所の社に声かけをして「初辰まいり」を始めたのかもしれない。初辰のお詣りをすると招福猫を受けることができ、48ヶ月続けると「始終発達」の福が授かる、らしい。「福」というと漠然としてしまうが、目に見えるものでは、初辰の日に招福猫の土人形を受け、それを48体集めて納めると一回り大きな招福猫の人形に交換してもらえるのである。その一回り大きな猫を2体と小さいのを48体、つまり3サイクルでさらに大きな招福猫と交換してもらえる。招福猫には右手招きと左手招きがあって、大きな招福猫で一対揃えると大願成就だそうだ。この大願が誰の大願なのかということについては議論があるところかもしれない。いつから始まったことなのか知らないが、小売店のクーポンやポイントに通じる仕組みだ。

三番目は住吉大社の現在の境内から外に出たところにある境外末社の浅沢社。御祭神は市杵島姫命で、いわゆる弁天様だ。ここだけを見れば、今は住宅街にある小さな神社にしか見えないが、万葉集に詠まれている社若の名所だったそうだ。
 住吉の浅沢小野の杜若 衣に摺りつけ着む日知らずも  

締めは浅沢社のお隣の境外末社である大歳社。御祭神は大歳神。素盞嗚尊の子供で五穀の収穫の神様なのだが、「収穫」からの連想なのか「集金」に霊験あらたかなのだそうだ。ここには「おもかる石」という丸っこい石があって、それを持ち上げ、次に願い事を心に抱いてもう一度持ち上げる。二回目が軽く感じられたら、その願いは叶う、らしい。私は世界平和を祈って石を持ち上げたので、二回目がえらく重くなってしまった。

初辰まいりでは、種貸社、楠珺社、大歳社でそれぞれにご祈祷を受けて「稲種引換券」をいただく。翌月、種貸社で前月にいただいた「稲種引換券」を籾種に交換してもらう。前月に3枚の引換券をいただいているはずなので、籾種3粒を手に入れることになる。その籾種を楠珺社で稲穂3本に交換。稲穂を大歳社で御新米3袋に交換していただく。一粒万倍となるわけだ。浅沢社がこの交換の輪に入っていないがどうなっているのか、ということだが、商売には愛想が必要なので芸事や美容の神様である弁天様にあやかりましょう、ということだ。神様のご利益っぽく見えるが、タダでご祈祷を受けるわけではないので、一番ご利益を受けているのは神様自身というかその取り巻きだろう。何事も胴元にならないと儲からないのである。すみよっさんはエライ神様だ。

住吉鳥居前から阪堺電車に乗って天王寺へ向かう。昼時なので食事をする店を探す。最初、阪堺電車の終着駅の脇にあるあべのハルカスのレストラン街を覗いてみる。なんだか全国区の店ばかりで入る気がしなかったので、とりあえず四天王寺へ向かってぶらぶらと歩くことにする。JRの駅を通り抜け、商店街のアーケードを抜け、しばらく行くと大通りから斜めに四天王寺へ向かう参道入り口になった。その手前にお好み焼き屋があったので入ってみた。あまり混んでいなくて、店の人の第一印象も良かったので、そのまま導かれた席に座る。外が暑かったのでテーブルにメニューと一緒に宣伝の広告が出ていた瓶ビールを1本注文。お好み焼きはミックスを注文。暑い日のビール、お好み焼きとビール、オツな組み合わせだ。

腹ごしらえをしたところで、参道を四天王寺を目指して歩く。四天王寺は以前からお詣りしてみたかった。ここは落語「鷺とり」の舞台なのである。噺のことはともかくとして、伽藍の配置が法隆寺に通じるものがあるように思う。私は法隆寺が大好きで、一昨年、昨年と飽きもせずにお詣りしている。現在の伽藍空間が建立当時と寸分も違わないとは思わないが、それにしてもあの空間が大変気に入っている。四天王寺はさすがに焼失を再建を短いサイクルで繰り返しているので、建立の頃からはだいぶ違った姿になってしまっているとは思うが、それでもなんとなく「よし、よし」と思うのである。それにしても、ここはよく焼けたなぁと思うし、よく我慢強く再建を続けたとも思う。それだけ人々に愛されている場所なのだろう。ここも「四天王寺さん」と「さん」付けで呼ばれているのだろうか。

今日は東京へ戻る日なのだが、新幹線に乗る前に、空堀商店街を訪れた。何年か前、みんぱくの体験学習ツアーで昆布のことを勉強した。それ以来、料理はきちんと出汁をとって作っている。出汁に利用する昆布は空堀商店街にある店で購入している。鰹節は東京日本橋の専門店を贔屓にしていたが、このところふるさと納税で高知の四万十から調達していて、日本橋のほうは少しご無沙汰である。味醂と料理酒は岐阜県内の造り酒屋とほぼ決めているが、先日、鞆の浦の保命酒店で味醂も購入して自宅に送ってもらったので、岐阜とは少しお休みということになる。それで空堀商店街の昆布屋だが、いつも電話で注文してばかりでお店にお邪魔したことがなかった。一度店を拝見してみたいと思っていたので、今日はたいへんに良い日になった。

本日の交通利用

0905 万博記念公園 発 大阪モノレール
0910 千里中央 着
0919 千里中央 発 大阪市営地下鉄御堂筋線
0933 新大阪 着
0945 新大阪 発 大阪市営地下鉄御堂筋線
1001 なんば 着
1013 難波 発 南海本線 普通
1023 住吉大社 着
1137 住吉鳥居前 発 阪堺電気軌道
1155 天王寺駅前 着
1452 四天王寺前夕陽ヶ丘 発 大阪市営地下鉄谷町線
1455 谷町六丁目 着
1529 松屋町 発 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線
1531 心斎橋 着
1536 心斎橋 発 大阪市営地下鉄御堂筋線
1550 新大阪 着
1610 新大阪 発 のぞみ240号
1843 東京 着