今回の旅行もそうなのだが、近頃はどこかに出かけるとその土地の神社仏閣を当たり前に参拝するようになった。今日は神社仏閣には詣でないが神々に無縁というわけでもなかった。
朝、倉敷の宿を引き払い、岡山に出て新幹線で新大阪へ行く。新大阪から御堂筋線とモノレールを乗り継いで万博公園にある国立民族学博物館を訪れた。今夜は万博公園の駅前に宿を取ってあるので、まずは荷物を預けてからみんぱくへ向かう。
企画展は「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」というシーボルトが日本で集めた文物の展示。本展で展示されているのはシーボルトが日本から持ち出した品々のほんの一部だ。シーボルトが日本に滞在したのは1823年から28年までと1859年から62年までの都合約8年間。どれほどのものを蒐集したのか知らないが、当時の交通事情を考えれば輸送途中で紛失したものも少なくなかったはずだ。それでもその蒐集品が欧州の宮廷や研究機関に収まり現在でもかなりまとまったものがミュンヘンやライデンの博物館に展示されていることを見れば、それが単なる学術研究を意図したものではないことが推察される。
そんなことはともかく、彼の蒐集品をただ眺めているだけでも、日本ってとこは面白いところだねぇ、と他人事のように感心してしまう。意匠とか技術が今の時代から見てもかなり斬新で新鮮だ。そういうもののなかには、今となっては誰もできないようなものも少なくないだろうが、基礎になっているのは天下泰平が定着してすっかり装飾品になってしまった武具の製造技術と素材の扱いではなかったか。それが明治維新で途絶え、かろうじて数寄者の蒐集品や茶道具、喫煙具などとして残るものの、生活習慣の洋風化あるいは「グローバル化」でいよいよ消滅してしまった。「伝統工芸」などと称してそれこそ博物館の展示品のように標本化されて残っているような手業技術がないわけではないが、生活から離れてしまったものは「伝統」とは言えないだろう。日本という自分が生まれ育った国の文物なのに、まるで見たこともないような外国のもののようだ。
こうしてモノを前にすると変化というのものが明らかになるが、例えば自分自身というものも極端なことを言えば昨日と今日とで全く同じというわけではない。物理的な経年変化もあればなにかをきっかにした考え方の変化だってある。過去の自分は他人と同じだ。そういう自分自身の危うさというものを、時に弱さと捉えてみたり優柔不断として戒めてみたりしてきたのが人の社会というものではなかったか。どこにでもだれにでもある危うさ故にそこを克服すべく人知を超越した存在を生活圏のなかに想定しないわけにはいかなかったのではないか。
みんぱくにはたくさんの神々あるいはそのお友達やご親戚の姿がある。人は経験を超えて発想はできないものだが、文化圏を超えたところで、実際の人間や動物の姿を超越した形というのは出てこないものらしい。人知を超えたところのものを表現するのに人知の姿に依存しないわけにはいかないところに人知の限界があるということだろう。
本日の交通利用
0839 倉敷 発 山陽本線 普通
0856 岡山 着
0916 岡山 発 のぞみ8号
1001 新大阪 着
1007 新大阪 発 大阪市営地下鉄御堂筋線
1021 千里中央 着
1035 千里中央 発 大阪モノレール
1040 万博記念公園 着