熊本熊的日常

日常生活についての雑記

腰痛で死にたくなる

2008年04月17日 | Weblog
日曜日の夜、腰痛に襲われた。いつものようにテーブルにうつ伏して居眠りをしていたら、腰が痛くてどうしょうもなくなってしまった。以来、今週は腰痛と親密な関係を続けている。

最初は腰の痛みであったが、翌日は膝から上全体が痛むようになった。そのさらに翌日は脚全体が痺れるように痛むようになった。尤も、動けないほど痛いというわけでもないので、生活は普段とあまり変わらない。しかし、このまま動けなくなったらどうしようかと不安を覚える。

警察庁生活安全局地域課の資料によれば、平成18年に自殺によって亡くなったとされる32,155人のうち、10,466人が遺書を残している。遺書を残した自殺者の41.5%にあたる4,341人は健康問題を動機としている。以前にこの資料を読んだ時、病気で先が無いと思えば死にたくもなるだろうなと漠然と思ったが、ただ単に腰が痛いというだけでも死にたい気分に襲われるということが了解できた。

以前「完全自殺マニュアル」という本を読んだ時、どの方法も苦痛がありそうで、「マニュアル」と称するには今ひとつ力不足の感は否めないと感じた。最近は「硫化水素自殺」という言葉を頻繁に目にするようになった。これは塩酸系洗剤と硫黄系入浴剤を混合して硫化水素を発生させ、それを吸引することで死に至るということらしい。しかし、硫化水素というのは火山や温泉の近くで発生している卵の腐ったような臭いの気体のことでもある。嗅覚を麻痺させる作用があるので、当事者は、初めだけその臭いを我慢すればよいのかもしれない。発見者から見たらどうだろう? その臭気に、「げっ!この人、ウンコ漏らして死んでるぅ!」という誤解を受けるかもしれない。美的感覚という点では、やはりいまひとつという感じがする。そういえば、自殺死体のなかには、糞尿にまみれているものもあるそうだ。死んで括約筋が緩むので、溜まっていた汚物が出てしまうらしい。夜、寝る前に用を足すのだから、永眠する前にも用を済ませておきたいものだ。

それにしても、年間3万2千人が自殺するというのは、尋常なことなのだろうか。この統計での「自殺」の定義が不明であり、遺書が無いのに何故「自殺」と断定できるのかという説明もないので、この数字そのものの存在意義がよくわからないのだが、仮にこれだけの人が本当に自殺であったとしても、その多寡を論じることはできないだろう。

厚生労働省の人口動態総覧によれば、平成18年の死亡者総数は1,084,450人である。死亡者の約3%を自殺者が占める計算になる。ちなみに死因順位第1位は悪性新生物で死亡数は329,314人、第2位は心疾患173,024人、第3位が脳血管疾患128,268人となっており、これら上位3原因による死亡数を合計すると全死亡数の58%を占めている。ちなみに交通事故による同年の死者数は、警察庁の資料によれば6,352人である。単に統計から見て、多数を占める原因によって死ぬことが「尋常」だとするなら、自殺による死は「尋常」とは言えないだろう。しかし、死亡原因を「尋常」だの「普通」だのと分類することそのものに意味が無いように思うのである。尤も、そのような分類が意味を成さないのは、死亡原因だけに限ったことではないだろう。

話は戻るが、腰が痛い。脚も痛い。このまま死んでしまいたい。取り敢えず、風呂にバブを入れて入ってみることにする。

生活の匂い

2008年04月16日 | Weblog
毎朝、コーヒー豆を挽き、コーヒーを淹れる。家の中にコーヒーの香りが充満する。そういうなかで過ごす時間が好きである。ロンドンではコーヒー豆を焙煎しながら販売している店が殆ど無い。自分が知っている限りでは地下鉄Camden Town駅の近くに一軒あるのみである。自分の生活圏からは外れたところにあるので、何かのついでがないと、その店には行けない。普段は職場近くの食品スーパーWaitroseでマンデリンを買って飲んでいる。

先週来、夕飯には必ず鰹節を使っている。野菜炒めの盛り付けに一掴み乗せてみたり、野菜スープに一掴み浮かべてみたりする。家の中には鰹節の香りが漂う。心地が良い。今まで、あまり鰹節というものを意識したことはなかった。昨年末に年越しそばを食べようと、そばを買ってはきたものの、そばつゆが調達できず、自分で作ろうとして鰹節が欲しいと思ったのが、鰹節というものを意識するようになったきっかけである。結局、年越しそばのそばつゆは、鰹節の代わりに干し海老を使って作った。所謂そばつゆの味とは違うのだが、それはそれで美味しかった。

生活の中には、ほっとするような感覚を与えてくれるものがある。五感を刺激して反射的に安心感を醸し出すものである。料理の匂いというのはその最たる例ではないだろうか。勿論、食卓を囲む相手というのも重要だ。ただ、歳を取ると面倒なことに向かい合うのが億劫になるので、中途半端な相手と暮らすくらいなら、一人でいたほうが気楽で良いと思うようになる。

親子という関係

2008年04月15日 | Weblog
離婚する時、子供の親権が問題になる。現実には、多くの場合、母親が親権を取ることになるのだが、子供に意思決定能力があれば、子供の意見も尊重しなければならない。

私の場合、自宅は財産分与で相手に渡すつもりでいたが、親権は子供の選択を尊重することにしていた。私と子供が2人で暮らすことも想定して、子供の通学の便の良い場所に家を借りる手はずも整えておいた。結果的には、子供は母親と暮らすという選択をし、私はこうして単身ロンドンに渡ることにしたわけだが、決して親子の関係が悪いわけではないと認識している。

やはり、子供にとって母親というのは特別な存在なのだろう。また、母親にとっても子供というのは、何歳になっても子供という特別な存在なのだろう。しかし、だからと言って、その「特別」がいつまでも同じ形で続くのは不自然であるように思われる。

健全な成長というのは、身体的な成長だけでなく、家族間の関係性の成長をも意味すると私は考える。関係性の成長とは、子が保護を求め、親がその保護を与えるという関係から、人と人との対等な関係への変化である。それは即ち、子が人として巣立ち、親も「親」という看板を降ろして一個人に戻ることである。人は、個人として満ち足りていれば、自分以外のものに依存しなくても生活していくことができるものである。戻るべき個人の姿を想定できず、何事かに、或は何者かに依存していなくては自己の保持ができないというのは不幸なことであろう。

現実には、このような「成長」は容易ではない。誰もが程度の差こそあれ、身内との間に何がしかの葛藤を抱えるものである。しかし、成長を強いられる局面は必ず到来する。子供からのメールを読みながら、自分も、やがて子供と個人対個人として向き合うことができるよう、浅薄な中身をなんとかしなければならないと思うのである。

里心

2008年04月14日 | Weblog
9月の渡英以来小さなストレスが累積し、先月一時帰国して東京は良いと実感し、先日から腰痛を患ったりしていると、気持ちは自然に東京へ向いてしまう。そんな心境にぴったりのものを見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=--dl-mtFObE&feature=related

娘へのメール 先週のまとめ

2008年04月14日 | Weblog

新学期は順調ですか? 黄色い手紙は届きましたか? もうすぐゴールデンウィークですが、何か楽しい予定はありますか?

私のほうは相変わらずです。良く言えば規則正しく、悪く言えば退屈に毎日が過ぎて行きます。今の仕事に就いて、この3月末で丸3年になりました。途中、職場は東京からロンドンへ移動しましたが、仕事の中身はこの3年間同じです。そろそろ別の仕事をしたくなり、今、いろいろ考えています。何か変化があれば知らせます。

さて、先週は、東京から友人が遊びに来たので、木曜と土曜の午前中に、その人たちを案内しました。ロンドンで生活を始めて半年になりますが、自分は観光をしたことがないので、案内と言ってもどこへ連れて行ったらよいのか見当がつきません。そこで本人たちの希望を聞いて、木曜は、郊外の植物園と市内
の商店街、土曜の午前中は骨董市を案内しました。東京から遠路はるばるやって来ても、土産物を買うのに多くの時間を割くのではつまらないだろうなと思うのですが、本人たちはそれが楽しいようです。人それぞれに楽しみがあるということです。

土曜日の午後は、1人で大英博物館で開催中の「The American Scene: Prints from Hopper to Pollock」を観てきました。エドワード・ホッパーは好きな画家のひとりなのですが、彼が絵を描き始める前に版画家であったことは知りませんでした。20世紀初頭から現代に至る74人の作家の作品147点が集められていましたが、お目当てのホッパーの作品は4点だけでした。その点は少し残念ではありましたが、その4点だけでも、彼の構図の独自性とドラマ性の素晴らしさが際立ち、なかなか満足度の高い展示でした。彼の作品の良さは、その絵の世界に時間を感じさせる構図にあると思います。そこで何があったのか、これから何が起ころうとしているのか、そんなことを考えさせる人物の動作の切り取り方、闇と光の使い方、風景の捉え方が秀逸だと思います。展示作品の解説によれば、彼が版画の製作を止めてしまったのは、絵が売れるようになり、版画と絵の両立ができなくなってしまったからだそうです。その時期は、彼が42歳の時とのこと。なるほど、人生の機微をよく知っているからこそ描くことのできる絵なのだと、妙に納得しました。

では、また来週。


エドワード・ホッパーの眼

2008年04月12日 | Weblog
大英博物館で開催中の「The American Scene: Prints from Hopper to Pollock」を観てきた。エドワード・ホッパーは好きな画家のひとりだ。好きなのに、彼が絵を描き始める前に版画家であったことは知らなかった。同展では20世紀初頭から現代に至る74人の作家によるアメリカの風景をモチーフにした作品が数多く展示されていたが、お目当てのホッパーの作品は4点だけだった。その点は少し残念だったが、その4点だけでも、彼の作品の独自性とドラマ性の素晴らしさが際立ち、なかなかに満足度は高かった。

彼の作品が好きなのは、絵なのに映画のようなドラマを感じさせてくれるからだ。その心躍る瞬間が良いのである。例えば、同展に出品されていた「Night on the EL Train」という版画作品(エッチング)がある。夜遅い人気の無い列車の車内の風景だ。車両の片隅に男と女が座っている。女は窓から外を眺めるかのように身をよじり背中を向けて座っているが、顔はおそらく隣に座る男へむけられている。つばの広い帽子をかぶっているので、彼女の顔の向きは実ははっきりとはわからない。男は女に向かうように横向きに座っているが、視線は手元に落ちている。その視線の先にある彼の手には、女の手が握られている、のかもしれない。その手は女の陰になって見えないのである。ここで2人が見つめ合っていたら面白くもなんともない。並んで座っている男と女が互いに身をよじり、身体は向かい合い、そして、おそらく手を握りながら、視線が交わらない、という状況に何とも言えないリアリティがあるのだ。

展示作品の解説によれば、彼が版画の製作を止めてしまったのは、絵が売れるようになり、版画と絵の両立ができなくなってしまったからだという。その版画から絵画へ本格的に移行する時期は、彼が42歳の時とのこと。版画の製作を重ねながら眼が自然に鍛えられたのだろう。彼の絵画作品を思い浮かべ、なるほど、人生の機微をよく知っているからこそ描くことのできる絵なのだと、妙に納得してしまった。

ちなみに、「Night on the EL Train」は1918年、彼が36歳の時の作品である。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年04月07日 | Weblog

元気ですか? いよいよ2年生ですね。クラス変えで、仲の良い友人とは別のクラスになるかもしれませんが、新しい友人を作る機会でもあります。遊びも勉強も一生懸命にやってください。

東京は、もう桜が終わり、一年のなかで一番過ごし易い時期になっているのではないでしょうか。こちらは、ようやく若葉が目立つようになり、草木に花々が咲き始めましたが、今朝は雪が降りました。なかなか春らしい気候にはなりません。ヤフーフォトで写真を送りました。写真のタイトルをクリックすると
写真画像が開きます。

昨日、土曜日は天気に恵まれたので、世界最大規模と言われるポートベローという地域の骨董市を訪れました。骨董の店舗だけで1500が集まっているそうで、骨董以外にも、生鮮食品から土産物まで、ありとあらゆる店がポートベロー通りという通りに並びます。骨董と言えば聞こえは良いのですが、圧倒的大多数はただのガラクタです。「玉石混淆」という言葉がありますが、骨董のためにあるような言葉だと思います。この骨董市の様子もヤフーフォトで送りました。

ヤフーフォトの使い方は手紙に書きました。あとで自分でやってみてください。

日本で何冊か本や雑誌を買ったのですが、そのなかで印象に残った言葉がいくつかありました。以下、引用します。まだ君には難しいかもしれませんが、何度か読み返してみてください。

「目利きという言葉がある。何と曖昧な言葉だろう。鑑定という仕事もある。間の抜けた商売もあったものだ。目ははたして利くものか。利くという目は一体何を見るのだろう。(中略)鑑定と云って、何を鑑て定めるのか。真贋とか、製作地とか、作者とかを、定めたつもりで、世の中には定め得ることなどは
何もないということだけは、しっかりと鑑のがして見せる。」

「僕は一山一寧や大燈国師、夢窓国師の書に惹かれる。中でも夢窓疎石の墨蹟「応無所在、而生其心」に心惹かれる。「応に住する所なくして、其の心を生ず(まさにじゅうするところなくして、そのこころをしょうず)」。生きとし生けるもの、すべては留まるところない流転のさなかにあり、その流転の中に
おいてこそ、その心は生まれる。住する所などどこにもないのだと「金剛経」は説いている。我が心も、我が存在も、物象そのもの、それ自体も常に流転のさなかにある。留まる時に執着が、驕りが、権力への思いが、所有欲が、傲慢が生じ、逆にそれにつかまえられてしまう。そこに心の自由はなく、創造は生
まれない。一つの美へのこだわり、その美が生まれ、まさに完成された刹那に、その美の大切な何かがぽとりと朽ちて死滅する。美とはそんなにも儚くささやかなものだろうか。「応に住する所なくして、其の心を生ず」。流転のさなかに生ずる「其の心」とはどのような花、どのような美をさすのだろうか。僕
はこの経文に惹かれて止まない。」

最初の引用には当て字もあります。「鑑て定める(みてさだめる)」「鑑のがす(みのがす)」と読みます。

この二つの引用は別の人が書いたものです。何を言わんとしているかわかりますか? 今はわからなくても、やがてわかるようになるかもしれませんし、永久に理解できないかもしれません。私も、たぶん、例えば20年くらい前なら理解できなかったと思いますが、今は心に染み入るようです。歳を取るというの
は、哀しいことも多いのですが、今までわからなかったことが了解できるようになるという愉しいこともあります。まして、今、ロンドンでひとり暮らしをしていて、修行僧か囚人のような毎日ですから、否応なく自分自身を向かい合うことになるわけです。そこで、世の中のことを、今までの自分のことをを考
えると、引用したような心情がよくわかるようになりました。

君が読んだ本のなかで、印象に残る言葉があったら、今度は書き留めておいて、教えてください。

カードを送ろうと思い、カードを買ったのですが、カードでは収まりきれなかったので、手紙にしました。今週中に送ります。週末か来週初めに黄色い封筒で届きますのでよろしく。

では、また来週。


骨董考

2008年04月05日 | Weblog
世界最大規模といわれるPortbello Roadの骨董市に出かけてきた。通りに面して建つ店舗と露店と露店が多数入居する建物があり、店舗形態以上に多様な商品に驚かされる。「玉石混淆」とはこのような状態を指し示す言葉なのだろう。

ほぼ南北に走る通りを南から歩き始めると、最初は比較的まっとうな骨董店が軒を連ねている。進むにつれて露店が並び始め、並んでいる商品も怪しげなものが目立つようになる。さらに進むと、いつのまにか「骨董」とは言えないものが増え、やがて生鮮食品などが並ぶありきたりの青空市になる。

それでも並んでいる店舗の業態は何となくまとまりのようなものがあるが、明確な境界は無い。そこが面白いところでもある。骨董というのは人によって認める価値が全く異なる。或る人にとっては、金を付けてもらっても欲しくないような物に、別の人が大枚をはたく。

勿論、来歴が明確で、風雪に耐えて磨き抜かれた価値というものもあるだろう。しかし、そうした価値を持つものは稀少であり、その希少性故に高額で取引される。一般には「形ある物はいつか壊れる」のであって、もともとの存在意図とは全く別の形態で後世に伝えられているものが多いのではないだろうか。その存在意図の想像ができる人が見出す価値が、単なるガラクタと骨董を分けることになるのだろう。

テレビ番組の影響もあるのだろうが、骨董に過度の商品価値を期待する風潮があるような気がする。それを売ってどうこう、というのは骨董屋が商売で考えることであって、自分の持ち物のとして見るなら、単に好きか嫌いかで選ぶことしかできないと思う。鑑定によって制作された時代や、製作した人を特定できたとして、それがどうだというのだろう。「応無所在、而生其心」という言葉がある。常に不確実性のなかにあるのが我々の生である。そんなところに、そもそも、定め得るものなどあるのだろうか。

時の重み

2008年04月03日 | Weblog
今週末に職場を去る同僚と2時間程話し込んだ。今までそれほど親しく言葉を交わすことはなかった。その言動や立ち居振る舞いに何とも言えない微妙な違和感を覚えていたので、敢えてこちらからは近づかなかったのである。しかし、よくよく話してみると、そうした違和感が、どのような事情に起因するのか、おぼろげながら見えて来た。改めて時間の連続性とか、重ねてきたものの重さを感じる。

今という瞬間の風景を見れば、平面的に知覚されるものが、そこに至る時間軸を想定すると、たちまち奥行のあるものに見えてくる。そう思って自分の周囲を見渡せば、それまでとは全く違った風景が見えて来るのだろう。