熊本熊的日常

日常生活についての雑記

びっくりしたい

2009年03月12日 | Weblog
さすがに自分の身の回りにも失業者が目立つようになった。自分が一番危うい状況にあると思っていたが、置かれている環境は誰にとっても似たりよったりということなのだろう。

「おくりびと」が人気らしい。昨年9月にモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞していたが、日米両方のアカデミー賞やその他諸々の賞を獲るまではこれほどの注目度は無かったように思う。2008年9月19日付のブログにも書いたが、私は映像作品としてはそれほどの出来ではないと思ったし、それは数々の賞に輝いている今でも変わらない。ただ、今、世の中に必要なのは、「おくりびと」にとってのアカデミー賞に相当するような、気分高揚の素だと思う。

例えば、景気浮揚策として世帯あたり1万2千円が支給されることが決まったが、この話がマスメディアに登場してから法案が国会を通過するまでの顛末を見てると、政府が経済というものを理解していないことが端的に表れているように感じられる。

昨年末段階で既に1人1万2千円という額までが公表されている。このことは、既にその時点で具体策が固まっていたということだ。ところが、法案が国会を通らず、右往左往している間に、景気の悪化が一層深刻化している。おそらく、実際に殆どの国民が手にする頃には、景気浮揚効果は殆ど無くなっているのではないだろうか。

しかし、もし、これが公表されてから1ヶ月程度で支給されていれば、政権交代からそれほど時間を経ていない政府に対する信頼感が格段に向上していたと思う。金額の問題ではなく状況に応じて行動するという実績をアピールすることが消費者心理や投資マインドには影響を与えるものなのである。要するに、人を動かすには、あっ、と驚くようなことが必要なのである。1万2千円がなんぼのものかということをあれこれ考えさせる前に、実際に手にさせる、そういう実行力が政府には求められているのである。

Big Brother

2009年03月11日 | Weblog
保険事務所から厚生年金非加入期間分の国民年金保険料を支払うようにとのお触れが届いた。ロンドン在勤中は日本の年金制度に加入がなく、帰国に伴い加入を再開したので、非居住期間は第1号被保険者となり、その届と保険料の支払が必要になるのだそうだ。自分が年金を受け取る年齢になる頃に、果たして年金制度が維持されているのか大いに疑問だが、年金保険料を支払うのは国民としての義務であり、現実に自分の親が年金の世話になっているので、これは払わないわけにはいかない。

今、確定申告の時期だが、人によっては一旦納付した税金のいくばくかが戻ってくる可能性がある。税金を過剰に納めていたということなのだが、これは自分で申告しないと戻らない。

公的なお金の出し入れというのは、国民から徴収するほうは否応なく取り立てるのに、国民に払うほうは渋々だ。あわよくば払わないで済まそうという魂胆が見え隠れしている。なんとなく、そういう仕組みに違和感を感じないわけにはいかない。2008年12月末時点での日本の国債および借入金残高は846兆6,905億円である。GDPが515兆円(2007年)規模の経済にとっては決して軽くはない負担であることを考えれば、なりふり構わず銭集めに走る心情はわからないでもない。

ちなみに、イギリスでも確定申告を経験したが、こちらは納税額が1.8ポンド不足していることが判明し、帰国直前にクレジットカードを使って納税した。「Tax Return」という呼称を使いながら、わずかな不足額でも容赦なく徴収されることに若干の違和感を覚えたが、居住者全員が確定申告を義務付けられているので、公平な感じがする。

国家権力の話で思い出したことがある。その昔、株式市場では仕手戦というものがあった。政治家などからの「ここだけの話」をネタに特定の銘柄を買い煽り、その値動きにつられて提灯が点いたところで当初の買い手が売り逃げて利益を得るということが行われていた、そうだ。今は亡き或る政治家の秘書と懇意にしていた人が、いつものようにその秘書氏からもらったネタをもとに仲間から実弾を集めてある銘柄を仕掛け、無事に売り逃げたのだそうだ。その直後、その政治家と同じ政党の対立派閥に属する別の政治家から直接電話がかかってきて、その儲けをよこせという脅迫を受けたのだそうだ。自分は極秘裏に仲間から実弾を集めていたつもりだったのに、その仲間の面がすべて割れ、各自の実弾の大きさまでばれていたという。どのようにして調べられたのか全く心当たりがないのだそうだが、国家権力が自分に向かって牙をむいたように感じて怖い思いをしたと語っていた。今はそういう仕手戦が影をひそめてしまった。株式市場の規制が厳しくなった所為もあるし、政治家にかつてほどの力がなくなった所為もあるかもしれない。さて、昨今の所謂「経済危機」に対して、我らが国家権力は牙をむいて立ち向かうのだろうか。負けることがわかっている相手には死んだふりでもするのだろうか。

「乳と卵」

2009年03月10日 | Weblog
これもいわゆるプロレタリア文学なのだろうか。文学というのは、その時代時代の空気を反映するものだが、最近の小説には正規雇用の登場人物が少ないように感じる。この作品の主人公は何をして生活の糧を得ているのか判然としないが、彼女の家にやって来る姉はスナックのホステスだ。ホステスと言っても叩き上げではなく、スーパーの事務、工場のパート、レジ打ち梱包、などなどから発展的に現在の仕事に行き着いたということだ。おそらく、作品を書く人たちの身近に、毎日決まった時間に仕事にでかけて毎日似たような仕事を繰り返すというような人がいないのではないだろうか。活字離れと言われて久しいが、文芸はもはや万人の娯楽ではなく、極めて限られた人々だけの間で書かれたり読まれたりする特殊な世界になってしまったのだろう。寂しいことである。

口語体で書かれた作品だ。それも関西の言葉。私は関西で暮らしたことがないので、関西語というのはメディアや限られた友人知人を通じて耳にするだけである。それでも文章になんとかくらいついていけるのは、それだけ今の時代に流通している情報量が膨大だということの証左なのかもしれない。この作者の文体が日本の文学界では高い評価を得ているらしい。確かに言葉というのは時代とともに変化するものではある。これが小説の文体として画期的なものだと言われれば、そうなのだろうが、私にはこのような文体のどこに良さがあるのかさっぱりわからない。

それでも、独特のリズムとテンポが感じられる文章を読み進めていくと、物語の映像が自然に脳裏に構成される。主人公の姉が豊胸手術を受けようとしていることも、姉の娘が初潮を迎えようとしていることも、今という時代を切り取る独自の視点を与えるという効果はあるだろうが、別に整形手術や初潮の直前という状況を与えなくても、ここで語られているような話は書けるのではないかと思う。

関西口語にしても、整形と初潮の母子家庭にしても、作品の商業価値を意識していると思えるような嫌らしさを感じてしまう。1,000円で売ればよいものを998円という値札を付けて売り込むような、そんな嫌らしさだ。今はそういう人を馬鹿にしたような商売が多いだけに、せめて小説の世界くらいには、言葉の美しさとか人間の美しさを素直に評価する価値観が残っていて欲しい。

「ホルテンさんのはじめての冒険」(原題:O’Horten)

2009年03月09日 | Weblog
ノルウェーではこの手の作品が受けるのだろうか?先日観た「PARIS」とは打って変わって微妙に外れた間がなんとも味わい深い。

定年を迎える鉄道員の定年前後数日間を綴った作品だ。主人公のホルテンさんはベルゲン急行の運転手。定年は真冬に迎える。真っ白い大地を疾走する特急列車、その運転室でホルテンさんと同僚との会話とも言えないほど間延びした会話。そのシーンだけを映画にしても十分に作品として成立するのではないかと思われるほど良い味がある。

40年間無遅刻無欠勤で鉄道ダイヤそのものの如く生活してきたのに、よりによって定年退職前の最終乗務に遅刻してしまう。その動揺の表現が素晴らしくリアルだ。なにか見てはいけないものを見てしまい、そっと後ずさりをする、そんな様子なのである。後ずさりをするときに、躓いてしまう、その小さな躓きの諸々がドラマになっている。現実の人生にもそういうところはいくらでもあるだろうと思うのである。

厳しい現実も活写している。67歳で鉄道員としての定年を迎えるホルテンさんは独身だ。それまでにどのような人生があったのかはわからないのだが、線路脇のアパートで几帳面な暮らしを淡々と続けてきたかのようだ。しかも彼には老人ホームで暮らす母親がいる。痴呆のようで、見舞いに行っても食べ物にしか反応を示さない。老々介護は長い平均寿命を享受している先進国の人々共通の問題だ。同時に身近な人たちの喪失というのも高齢者にとっては辛いことである。行きつけの煙草屋の主人はいつのまにか亡くなり、残された妻が店を守っている。知り合ったばかりの老人が突然死してしまう。しかし、そうした哀しい出来事を淡々と受け流すことができるのも、自分自身が長い人生を積み重ねてきたからこそなのだろう。淡々と、と書いたが、それはそう見えるだけであって本人の心情はわからない。ただ、騒いだところでどうなるわけもないことは、静かに受け容れるよりほかに対応のしようがない。どんなことであれ、それを淡々とやり過ごすというのは、長い人生経験を積んだ結果としての知恵であり習慣であろう。

この作品を観終わってなんとなく良い気分を感じるのは、ホルテンさんのちょっとした前向き加減の所為ではないかと思う。

自分の送別会の後、仲間のアパートでの二次会になるのだが、ホルテンさんは煙草を買いに寄ったので、ひとりだけ後からそのアパートに行くことになる。入口のオートロックを開けることができず、一瞬当惑するのだが、そのまま帰ってしまったりはしない。たまたまアパートの周囲に組んであった工事用の足場を使って会場となっている部屋まで登って行こうとするのである。

それまでスキージャンプを好んですることがなく、ジャンパーだった母親をがっかりさせていたことを気にしていたホルテンさんは、たまたま友人の家で目にしたジャンプ用のスキー板を見て、飛んでみようとするのである。

エンディングも心温まるものだ。ホルテンさんは作品のなかではいつも一歩前へ進もうとしている。おそらく、それこそがこの作品の要なのではないかと思うのである。

熊本君

2009年03月07日 | Weblog
大学の学部の同窓会があり、出かけて来た。学部の同窓会なので対象者は1,000人を軽く超えているはずなのだが、卒業して20年以上も経つと連絡が取れない人の方が多いのではないだろうか。それでも来年春に予定されている次回の同窓会へ向け、幹事の人たちは全員に連絡をつけることを目標にしているのだそうだ。

大学時代に何か熱いことがあったわけでもなく、今から思えば無為に過ぎてしまった悔いのようなものだけが残っている。今回の同窓会も出席することに逡巡がなかったわけではないのだが、どんな奴が来るのか見てみたいという好奇心が勝ったということだ。今日集まったのが何人なのか知らないが、会場となった大学構内の学食は立食パーティにしては人の数がやや過剰だ。出席率はクラスによってまちまちで、といっても、出席率の高いクラスでもせいぜい2割程度だろう。この「クラス」というのは第二外国語によって分類されているのだが、クラスの数が最も少ない中国語のクラスの出席率が比較的高い。少数派ほど団結力が強いということだろうか。ちなみに、私のクラスはドイツ語のクラスで、私が唯一の出席者だった。

同じクラスの奴がいなくても、ゼミやサークル、あるいは就職先が同じ奴は何人かいたので、話し相手に不自由は無かった。それでも、その見知っている顔も殆どは卒業以来、就職直後の研修以来の再会で、最も直近に会った奴でも12年ぶりだった。さすがに一見して時間の重みとか残酷さのようなものを感じる。当然といえば当然だが、老け具合は人によって様々だ。そこにその人の年輪のようなものが出ているのかもしれないし、単に生理的な経年変化が表れているだけなのかもしれない。ただ、不思議なことに話をすれば20数年前と変わらぬ感覚が甦る。この年齢になって女性に「熊本君」と呼ばれると、一瞬どぎまぎしないわけでもないのだが、会話が進むにつれて妙に心地よくなってみたりする。と同時に、あと何十年後かに「熊本君」と呼ばれたら、いったいどのような気分になるものなのか、今から妙に楽しみであったりもする。

「PARIS」

2009年03月06日 | Weblog
定め得ることなど何も無い世の中だが、確かなことがひとつある。生まれたら必ず死ぬということだ。幸か不幸か、人は自分が生まれることを選択できない。ましてや、どのような時代にどのような社会のどのような家庭に生まれるかなど選びようがない。自分が生を受けたところで、その生を全うするしかないのである。個人の人生は、その与えられた状況と時間に応じて展開する。自分の裁量の余地というのは、決して大きなものではないような気がする。そう考えれば、出来ることは出来るうちに行い、あるものはあるうちに使う、ということが行動や思考のかなり根幹に近いところに置かれるべき原理原則と言えるのではないだろうか。

映画のほうは、心臓病で余命いくばくもない30代の元ダンサーを軸に展開するが、クレジットによれば、彼の姉が主人公である。夫と別れ、3人の子供を抱え、さらに病気の弟の面倒までみながら社会福祉事務所で働く人だ。物語はこの家族だけでなく、彼等と関わる人々の人生にも少しずつ踏み込む形で展開する。ひとつの作品のなかで、複数の人物の人生を描いてみせるというのは、最近観た「そして、私たちは愛に帰る」でも使われていた手法だ。物語の展開テンポが速くならざるを得ないので、ひとつひとつのサブストーリーの完成度を高くしておかないと作品全体が破綻してしまうが、上手くいけば作品のリアリティが高くなり観客をより強く惹き付けることになる。この作品は大小様々のサブストーリーのひとつひとつが丁寧に作られている上に構成も巧みで、見事な出来映えだ。

全体を通じて、登場人物の誰もが肉体的な人間関係を求めているかのように描かれており、これに違和感を覚える向きもあるかもしれない。しかし、そうした物理的なものへの依存を描くことで、その背後にある空虚な精神が描写されているように思う。そして、その虚無のなかをさすらう人々の姿に現代という時代のリアリティがあるということなのだろう。

例えば、心臓病の弟が、病気の所為で外出がおもうにようにできないと姉に訴え、それに応えて姉が弟の友人たちを呼んでホームパーティーを開くという場面がある。たくさんの客に囲まれて弟も楽しそうにしているが、仲間とショーで踊っていたダンスを踊るところでは、身体が思うように動かなくなってしまう。そこで改めて身体の現実を突きつけられ、かつての仲間たちの世界と自分の現実との断絶を意識させられることになる。別の場面で、大学教授が教え子に一目惚れしてストーカー行為を繰り返すというものがある。幸か不幸か、その教え子とは肉体関係にまで進むのだが、彼女は若い男友達との関係もある。それを知った教授は、おそらく以前にも増して深い孤独を味わうことになる。

挙げればきりがないのだが、人間のありようについての深い洞察を感じさせるエピソードやシーンが盛りだくさんの作品だ。病気の弟の口から語られる独白のような台詞に、製作者のメッセージを感じるのだが、これは冗長に過ぎるかもしれない。

啓蟄

2009年03月05日 | Weblog
友人からメールが来た。職場のリストラで失職したという。このところ身近に失業者が増えている。一方で、昨日、私の職場では3人が一度に同業他社へ移籍した。

世界的に経済が危機的状況にあるようで、発表される経済指標には「過去最低」とか「○○年ぶりの低水準」というものが多い。しかし、日本だけでも1億2千万人、世界全体では67億6千万人が暮らしている。その生活を維持するだけも、膨大な財貨やサービスへの需要が発生しているはずである。尤も、我々の生活は不要不急の諸々で肥大しているので更に需要が落ちる可能性はあるだろう。

ただ、その不要不急の剥落効果がどれほどなのか想像もつかないが、それを見極めてからでは景気回復の波に乗り損なうことになる。リスクを取らなければ果実を得ることはできない。より大きな果実を得ようと思えば、より大きなリスクを取るのが道理というものだろう。他人と同じことをしていては大した果実を得ることはできない。だからこそ、この時期に人材の補強に動き始めたところもあるのだろう。

我々は今日の延長線上に明日があると思いがちだが、明日があるかどうかすら確かではない。この世に確かなものなどひとつもないということは忘れてはいけないと思う。まだまだ身の回りには暗い話題が多いのだが、そういう時こそ大胆な決断を下すことができるような日々の心がけが必要になると思うのである。

世界の料理ショー

2009年03月04日 | Weblog
「世界の料理ショー」のDVDボックスが発売されると聞いたので、アマゾンで予約をした。尤も、かつてアマゾンで予約したDVDは過去に2回ほど商品が調達できずにキャンセルになったことがあるので、今回も確実に入手できる保証はない。

子供の頃、まだ日本のテレビ局には番組制作能力が十分ではなく、海外の番組を日本語に吹き替えたものを随分放送していた。今でも記憶にあるのは「わんぱくフリッパー」「奥様は魔女」「ゆかいなブレディ一家」などである。その後、国産番組が増えて海外の番組は少なくなったが、中学生の頃でもテレビ東京ではいくつか海外の番組が放送されていた。「世界の料理ショー」や「モンティ・パイソン」は当時の番組だ。

「世界の料理ショー」は料理研究家という肩書のグラハム・カー氏が司会と料理を担当していた。私の記憶によれば、番組はカー氏のトークで始まる。その日の料理にまつわる映像が流れ、その土地と料理を紹介するのである。当時は海外など夢の世界だった。そのオープニングの映像だけでも十分に魅力的だった。いよいよ料理が始まると、今度はそのキチンセットに目が釘付けになる。とにかく立派なシステムキッチンだった。今なら、おそらく珍しくもないものなのだろうが、1970年代に見るあのシステムキッチンはやはり夢の世界だった。料理は当然、見たこともないものばかりだ。溶かしバター、ワイン、ニンニク、各種スパイスをふんだんに使うのは、各料理に共通していたように思う。料理中のトークも楽しくて、すっかり魅了されてしまった。

今、改めて番組を観たら、がっかりすることもあるかもしれない。私個人は相変わらず豪勢なシステムキッチンとは無縁の生活だし、グルメだの美食だのというのは何ことやらわからない。それでも当時に比べれば、海外事情も世界の料理もはるかに身近になっている。番組を観ても今更感心したり驚いたりすることがあるのだろうかとも思う。だからこそ、尚更観てみたいのである。

綱渡り

2009年03月03日 | Weblog
買い物をして勘定を払う時にカードが使えなかった。別のカード会社のカードでその場はしのいだが、帰宅してからカード会社に電話をして尋ねてみると利用限度額を超えていたことがわかった。

帰国して仮住まいのウィークリーマンションの代金を払ったり、住処を決めて家電や家具を購入していれば、当然金はかかる。それほど多くのものを買ったつもりはないのだが、つい予算を超えてしまったり、出費がまとまってしまったり、割引を受けるために特定のカードの利用を集中したりといったことがあり、限度額を超えてしまったということだ。

それでも3月決済の分はそれほどの金額にはなっていない。問題は4月決済分である。今からあれこれと資金繰りのことで頭が痛い。ようやく自炊ができるようになったので、今後は食費が多少軽くなるのと、当面の大型の支出が一巡したことで今後は出費全体が落ち着いてくる予定である。それでも4月決済分がこれから減るわけではない。これからはなんとか収入の途を考えないといけないということだ。

地の利

2009年03月02日 | Weblog
久しぶりに職場近くのカフェでコーヒーとチーズケーキを頂いた。ニューヨークかどこかに本店のある店で、開店当時は話題になったものだ。カジュアルでありながら、扱う商品にちょっとしたこだわりがあり、少し高いけれど高いなりのおいしいものが頂ける、はずだった。そういうプレミアム感がある所為なのか、別の理由なのかは知らないが、店員がどこか尊大な感じであったのが鼻についた。

2年ぶりに訪れてみると、店内のレイアウトが微妙に変わっていた。調理場のほうには見覚えのある顔もあったが、フロアのほうは総入れ替えのようだ。かつての尊大さはなくなり、ごくありふれたカフェの接客になっていた。それは結構なことなのだが、コーヒーの味の変化に驚いた。これはコーヒーではなく、コーヒー風味の湯である。店内は昔と変わらぬ賑わいのように見えるが、やはり不況の影響でコスト削減を迫られているのだろうか。それとも、最近問題になったモカの輸入禁止でブレンドの内容が変わった所為だろうか。

地の利とはありがたいもので、これに恵まれていれば多少の手抜きは可能であるように思われる。コーヒーごときにうるさいことを言う客など殆どいないだろうし、客は味よりも店のブランドへのこだわりのほうがはるかに強いだろう。しかし、不況が長期化すれば、そのような中途半端なブランドを指向する自称「高感度」の客が、生活のリストラを強いられるようになるものである。企業のコスト削減が徹底すれば、会議や残業のためのケータリング需要も失われるだろう。そうしたなかで、地の利と本国での成功譚に依存した商売というものがいつまで持つものなのか、興味のあるところだ。

自炊再開

2009年03月01日 | Weblog
ロンドンからの引越し荷物が届き、ある程度は片付いたので、今日から自炊を再開した。最初は酒粕鍋。頂き物の酒粕があったので、野菜と魚介類を買ってきて、鍋にしてしまった。酒粕は身体を芯から温めるので、今日のような寒い日にはちょうどよい。

帰国1週間前から昨日まで毎日のように外食だった。やはり、どのようなものであれ、自分で作る食事は落ち着く。作って、食べて、片付けるという一連の流れに、生活のあるべき姿を見る思いがする。そういう流れが一日のなかに組み込まれることによって、生活しているという実感がそれまでよりも濃くなる。

ロンドンに渡ったときと同じように、生活はミニマリズムを基本に考えている。それでも社会との諸々のつながりを保ち、限られた中で快適さを追求しながら暮らすには、それ相応の物が必要となる。身辺のあれやこれやのものを整理していて感じるのは、世の中の経済との結びつきだ。金融機関の書類が多い。捨ててしまっても差し支えないものばかりなのかもしれないが、不測の事態に備えて一応とっておこうか、などと考えてしまうと、かなりの量になる。あとは細々としたものばかりだが、細々としているがゆえに、何か容器のようなものに入れて整理しないと散らかる一方だ。必要最低限のものだけで暮らすというのは、結局のところ、「必要」の中身を吟味することの不断の繰り返しになる。しかも、「必要」の中身は、自分の現在の状況と、これからありたい状況とによって大きく変わる。そんなことは今まであまり考えたことがなかったが、ロンドンへ渡る前後から否応無く考えざるを得なくなった。大袈裟な言い方に聞こえるが、身辺整理も生き方の表現のひとつだということを、ここ数年の間に学んだような気がする。