10月も下旬になるというのにまだ夏日や真夏日になる日や地域がるという異常な気候が続いています。
サハラ砂漠に大雨が降って洪水になったり、フロリダにスーパーハリケーンが上陸したり、スルメイカが記録的な不漁になったりと、何だか地球全体の異常気象がドンドン加速しているようで怖いですが、皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
新型コロナは少し収まってきたようですが、マイコプラズマ肺炎がかなり流行しているそうなので、どうかご自愛下さい。
さて、9月末から製作を開始したエレール1/72のコードロン・シムーンがとり完しました。
2機が新規製作で、1機は何年も前に製作した物の塗り直しで都合3機です。
3機で2週間半ですから、私としては結構速いほうです。
2008年にチャールズ・リンドバーグのスピリット・オブ・セントルイスを作ったのがきっかけで始ったマイテーマ「昭和の冒険飛行家」の一環です。
年代の古い順にいきます。
先ずは、サン・テグジュペリが1935年にフランス~ベトナム間最短時間飛行記録に挑戦した時の機体です。
残念ながら途中のサハラ砂漠に不時着して大怪我をして失敗に終りましたが、この時に『星の王子さま』の構想を思いついたそうです。
これが「塗り直し」作です。
以前作ったときは色を勘違いしてブルー/ホワイトで塗ってしまいました。
今回は正しくレッド/ホワイトで塗り直しました。
コードレターの一部「Y」だけデカールが無かったので筆で手書きしました。
3機共通ですが排気管とピトー管は全部真鍮パイプに交換しています。
フィギュアは乗せていません。
2番目は1936年11月にフランス航空省が航空機の振興と長距離飛行路線の開拓を目的として行ったパリ~東京間100時間以内の懸賞競技に参加したアンドレ・ジャピーの機体です。
パリ~香港までは順調に飛行し、記録達成が有力になっていましたが、香港を出発して東京を目指す途中で嵐に巻き込まれ、 佐賀県の脊振山に墜落してしまいました。
左大腿骨骨折などの重傷を負いましたが、脊振村の村人たちに救助され、福岡の九州帝国大学病院に搬送されて治療を受けて無事に帰国しました。
ジャピーはネビゲーター無しの単独飛行だったのでフィギュアは1人しか乗せていません。
これもコードレターの「X」と「A」のデカールが無かったので筆で手書きしました。
最後は1937年5月にジャピーと同じくパリ~東京間100時間以内の懸賞競技に挑戦したマルセル・ドレーの機体です。
マルセルもジャピー同様に上海までは順調でしたが東京に向う途中、悪天候と燃料切れにより高知県高知市春野町の海岸に不時着して失敗しました。
この時も不時着現場の住民に救護され、2人共に回復し帰国しています。
この機体はエレールキットにデカールが全部揃っているので、そのまま使いました。
主翼と尾翼のストライプもデカールです。
ドレーはナビゲーターを同乗させていたので、フィギュアは2人乗せています。
3機お揃いの写真です。
次は1/48のサンテック機を作る予定でしたが、気が変わったので、ジャピーとドレーの挑戦の間で逆ルートの東京~パリ~ロンドンを飛行し、100時間を切る記録を達成した飯沼飛行士の神風号を作ろうと思います。
ちゃんとした完成写真は後日アップ致します。
<オマケ>
散歩の途中で珍しくキセキレイの集団に出会いました。
ピンボケですみません。