一浪(当時は「ヒトナミ」なんて読まれ方も流行りました)を経て、大学に進学すると益々音楽に入れ込んでいきました。
この頃になると音楽の幅も大分広くなっていて、3Jやハードロック御三家、フリーだけではなく、当時台頭してきたプログレやグラムロック、ソロになったクラプトンやベック、アメリカのCSN&Yやザ・バンド等々、ロックやフォーク、R&B、ポップスなんかを幅広く聴くようになっていました。
あまり興味が無かった邦楽も積極的に聴きはじめ、オフコースや憂歌団や柳ジョージなんかもよく聴いていました。
節約のために、敬遠していた「ベスト盤」も平気で買うようになりました。
大学1年生の夏休みにはアルバイト(時給の良いコーラの配送助手・・・重労働)をして貯めたお金でエレキギターを買い、これで手当たり次第に気に入った曲やフレーズをコピーしてました。
大学で入っていたサークルが「美術研究会」というところで当然、絵を描く訳ですが(実は小学生の頃に近所のお寺に通って画家の先生に付いて絵を習っていたことがあり、絵を描くのも好きなんです。)、となりの部室が「ロック研究会」というサークルで、その手の連中が沢山集まっていました。
絵と音楽ですから、相性が良い訳で、両方の部室を行き来しているうちに自然発生的に「バンドのようなもの」が出来てきて、即興曲を作ってみたり、学園祭で演奏してみたりして楽しんでいました。
学生時代は遊んでばかりいた訳じゃなく、ちゃんとゼミにも入って(入室試験は首席だったそうです)勉強もして、簿記検定を受けたり、卒論書いたりもしましたよ。(笑)
音楽でプロになろう等という大それた夢を持っていた訳ではなかったので、本格的なバンド活動はしませんでしたが、大学を卒業する時に友人が自主制作LPを作るために「エレキギターが弾ける奴が必要」というので誘われて、LP製作に参加しました。
歌とアコギの3人組み(一人はドラムも兼務)が言いだしっぺで、これにベースとキーボード兼任1人と、私の2人を加えて5人編成で半年くらい掛かって作りました。
曲は全て言いだしっぺの3人組のオリジナルで、彼らが弾き語り風に演奏したのを聴いて曲を覚え、エレキギターパートを私が、べースとキーボードパートをもう一人がアレンジしました。
この時にはスライドギターにも挑戦しました。
録音は代々木八幡にあったスタジオで8chだったように思います。
4~5人で一発録りした後にキーボードやギターを重ねるようなやり方で作りました。
100枚プレスして、友人・知人にバラ撒いたり、一部は売ったりもして私の手元には最終的に2枚残りました。
未だに手元にあります。
LPの出来映えは?? ・・・ ご想像にお任せします。(汗)
その時のベースマンは還暦過ぎた今でもバンド活動しているようです。
下の写真はLPの録音スタジオで撮った私で、LPの裏ジャケットに使われた写真です。
この頃は既に就職活動も始まっていたので、長かった髪(一番長かったころはオッパイのあたりまでありました)もバッサリ切った後で、7:3分けのリクルートスタイルになっています。
この頃になると音楽の幅も大分広くなっていて、3Jやハードロック御三家、フリーだけではなく、当時台頭してきたプログレやグラムロック、ソロになったクラプトンやベック、アメリカのCSN&Yやザ・バンド等々、ロックやフォーク、R&B、ポップスなんかを幅広く聴くようになっていました。
あまり興味が無かった邦楽も積極的に聴きはじめ、オフコースや憂歌団や柳ジョージなんかもよく聴いていました。
節約のために、敬遠していた「ベスト盤」も平気で買うようになりました。
大学1年生の夏休みにはアルバイト(時給の良いコーラの配送助手・・・重労働)をして貯めたお金でエレキギターを買い、これで手当たり次第に気に入った曲やフレーズをコピーしてました。
大学で入っていたサークルが「美術研究会」というところで当然、絵を描く訳ですが(実は小学生の頃に近所のお寺に通って画家の先生に付いて絵を習っていたことがあり、絵を描くのも好きなんです。)、となりの部室が「ロック研究会」というサークルで、その手の連中が沢山集まっていました。
絵と音楽ですから、相性が良い訳で、両方の部室を行き来しているうちに自然発生的に「バンドのようなもの」が出来てきて、即興曲を作ってみたり、学園祭で演奏してみたりして楽しんでいました。
学生時代は遊んでばかりいた訳じゃなく、ちゃんとゼミにも入って(入室試験は首席だったそうです)勉強もして、簿記検定を受けたり、卒論書いたりもしましたよ。(笑)
音楽でプロになろう等という大それた夢を持っていた訳ではなかったので、本格的なバンド活動はしませんでしたが、大学を卒業する時に友人が自主制作LPを作るために「エレキギターが弾ける奴が必要」というので誘われて、LP製作に参加しました。
歌とアコギの3人組み(一人はドラムも兼務)が言いだしっぺで、これにベースとキーボード兼任1人と、私の2人を加えて5人編成で半年くらい掛かって作りました。
曲は全て言いだしっぺの3人組のオリジナルで、彼らが弾き語り風に演奏したのを聴いて曲を覚え、エレキギターパートを私が、べースとキーボードパートをもう一人がアレンジしました。
この時にはスライドギターにも挑戦しました。
録音は代々木八幡にあったスタジオで8chだったように思います。
4~5人で一発録りした後にキーボードやギターを重ねるようなやり方で作りました。
100枚プレスして、友人・知人にバラ撒いたり、一部は売ったりもして私の手元には最終的に2枚残りました。
未だに手元にあります。
LPの出来映えは?? ・・・ ご想像にお任せします。(汗)
その時のベースマンは還暦過ぎた今でもバンド活動しているようです。
下の写真はLPの録音スタジオで撮った私で、LPの裏ジャケットに使われた写真です。
この頃は既に就職活動も始まっていたので、長かった髪(一番長かったころはオッパイのあたりまでありました)もバッサリ切った後で、7:3分けのリクルートスタイルになっています。
原子心母 | |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |
こんにちは
CSN&Y、ピンクフロイドは高校生時代よく聞きました。
アルバムの4way Street, 原子心母には特に感激した覚えがあります。
4way Streetは今でもウオークマンに入れて時々聞いています。
学生時代の一番の思い出は渋谷のBYGというミュージック喫茶に当時の彼女と行った時にFENでもオンエアーされ始めたばかりの「ホテルカリフォルニア」がその店で流れ出すとマスターが全員にビールを振舞ってくれたことです。
あの頃は良かったな。。
50~60年代は新しいスタイル(ジャンル)の音楽が次々に生まれてきて、そのどれもが活き活きとして素晴らしかったですね。
学生運動や反戦運動(中東じゃなくベトナム戦争)、映画(ニューシネマ)なんかとも結びついて、凄いパワーもありました。
私も新宿のライトハウスなどのミュージック喫茶にはよく出入りしてましたね。
FMやAMのラジオも日常的に聴いていました。
(今は車の運転中に聴くだけです)
今から見れば、混沌とした中にも希望や主張があって、全てが前向きでしたね。
拓郎に没頭する日々が続き、毎日ギターばかり練習していました。クラキン殿がエレキに進んだのとは真逆の方向で、アコースティックギターばかり今も弾いています。(我流ですので、知らない内に変な癖がついてしまったようで、それを指摘された時は大いに落ち込みました。)
そんな時、我が町の市民会館で高石ともやとナターシャ―セブンのコンサートがあり、無理やりチケットを買わされて見に行ったのがきっかけでデキシ―ジャズに興味を持つようになりました。フラマン、バンジョー、オートハープ、フィドル等々、色んな楽器を弄りましたが、フィドルだけはモノになりませんでした。(笑) 社会人になり、周りにも音楽好きが何人かいて、そいつらと6人組のバンドを組んで休日などに近くの公園や河川敷で練習している内に、NHK和歌山放送曲のあるディレクターの耳に我々のバンドの事が耳に入ったようで、FM放送にも出演するようになりました。(ノーギャラでした。) 当時、ヤマハポプコンが全盛期で、それにも挑戦し、近畿ブロックまで進出しました。自信満々で出演した近畿ブロックでしたが、審査員の一言にプッツンしてしまった我がバンドリーダーがその審査員と揉めて即失格となってしまいました。その光景は今も鮮明に脳裏に残っています。(そのリーダーはもうこの世にいません。)
FM放送には月1回出演していました(6人揃っての出演と言うのは1度だけだったと記憶?)が、バンドメンバーの何人かが転勤などで徐々に脱落して行き、自然消滅的にバンド活動は終焉を迎えてしまいました。私も埼玉に転勤になってしまいました。転勤になった時も、ギターとバンジョーは持参しました。因みにギターはギブソン派で、J16、J45、ハミングバード、DOVE、J200ジャンボなどを所有していましたが、今はYAMAHAの古いギターしか残っていませんし、バンジョーは友人に貸し出し中です。久々にフォギーマウンテンブレイクダウンを弾いてみたいですね。(最終回に続く)
https://www.youtube.com/watch?v=yQIJuu3N5EY
それで、つまらない質問なのですが、最上段左から2つめ、EL&Pとイエスに挟まれたレコードはThe dark side of the moonだと思うのですが、何で黒い背景ではないのですか?限定で発売されたのでしょうか?それと、同じく最上段、キング・クリムゾンのレコード、このジャケット、私、見た記憶がないのですが、タイトルは?
FMにレギュラー出演、ポプコンでもブロックまで残るとは、もう殆どプロですよ!
流石にギターも良いものを持っておられたんですね。
私なんかただギター弄って遊んでただけですよ。
FMはFM大阪でしょうか?
カントリーはニッティ・グリッティ・ダート・バンドやCCRなどでちょっと齧ったことがある程度ですが、どちらかというと好きな方でした。
イーグルスやザ・バンドなんかも結構カントリーをやってましたし・・・。
フォギーマウンテンブレイクダウン拝見しました。
フィドルやスチールギターがいいですね。
つまらない想い出話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
アマチュアミュージシャンにすら成り損なったんですから、全然えらくなんかないですよ。
アップしたジャケットはほんの一部なので漏れてしまいましたが、グラムロックも好きでしたよ。
特にT・REXは良かったですね。
デビッド・ボウイも好きでした。
アルバムのリリース時期と私が買った時期は必ずしも一致していません。
仰る通り殆どが70年代のリリースだと思います。
当時は国内版のLPより輸入盤の方が安くて音が良かったので、殆どは輸入盤で買っていました。
「The dark side of the moon」も多分輸入盤ではないかと思います。
キング・クリムゾンのは「アイランド」というタイトルのアルバムです。
あまり話題にもなりませんでしたが、私の好きな1枚です。
特にタイトル曲の「Island」は名曲だと思います。
「ヤング・ミュージック・ショー」は何となく憶えていますが、鮮明な記憶は残念ながらありません。
高校~大学時代は音楽と映像(映画)と絵が自分の中で綯い交ぜになっていました。
でも、どこか冷めていて完全に行ってしまうようなことはなかったんですね。
本当にのめり込んだ人から見れば「中途半端」な奴です。