河野談話見直さず=検証作業は実施―菅官房長官(時事通信) - goo ニュース
68年前の今日、東京は、米軍機による焼夷弾投下を受けて一面火の海となりました。逃げ道を火の手で塞がれ、防空壕に逃げ込んだ人々さえ圧死したとされ、その痛ましさは筆舌に尽くしがたいものがあります。女性や子供を含め、10万人もの人々が苦しみのうちに命を失ったのです。
本日の日経新聞の『春秋』では、空襲による被害予測が10万人と算定されていながら、政府の方針で集団疎開先の宮城県から東京に帰郷した児童が被災してしまった事例を挙げて、当時の日本政府の人命軽視を批判しておりました。東京大空襲を立案した米軍のル・メイ氏は、後に”仮にアメリカが戦争に負けていたら、自分は間違いなく戦犯となったであろう”と供述しておりますので、民間人の大量虐殺は、戦争法に反するとする認識は、当時のアメリカ側にもあったようです。『春秋』の筆者は、人命の軽視を言うならば、まずは、民間人に対する計画的な殺戮こそ批判すべきであり(今日ではジェノサイドに当たる…)、どこか、大きく焦点がずれているように感じするのです。集団疎開が終了したのは、終戦の年の11月であったそうですので、おそらく、この事例は、ごく一部の例外的な出来事であったのでしょう。しかしながら、この論調では、先の戦争での民間人被害は全て日本国の責任ということになり、学童疎開の一例も、河野談話と同様に、一部が全体と化してしまうかもしれません。
そして東京大空襲があったこの日に、アメリカ政府が河野談話の見直しに対する懸念を日本国政府側に伝えたとなりますと、あまりにも無神経であると思うのです。”日本人が大量虐殺されたのは戦前の日本国が絶対悪であったからであり、河野談話は、この構図を維持するために変えてはならない”と迫っているように聞こえてしまうのです。つまり、事実はどうあれ、アメリカの行為を正当化するために、日本は、悪役に徹しよと…。これでは、日本人の多くが、アメリカに対して釈然としない感情を抱くことになります。それとも、今日という日が、東京大空襲の日であることも、アメリカは忘れてしまったのでしょうか。
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68年前の今日、東京は、米軍機による焼夷弾投下を受けて一面火の海となりました。逃げ道を火の手で塞がれ、防空壕に逃げ込んだ人々さえ圧死したとされ、その痛ましさは筆舌に尽くしがたいものがあります。女性や子供を含め、10万人もの人々が苦しみのうちに命を失ったのです。
本日の日経新聞の『春秋』では、空襲による被害予測が10万人と算定されていながら、政府の方針で集団疎開先の宮城県から東京に帰郷した児童が被災してしまった事例を挙げて、当時の日本政府の人命軽視を批判しておりました。東京大空襲を立案した米軍のル・メイ氏は、後に”仮にアメリカが戦争に負けていたら、自分は間違いなく戦犯となったであろう”と供述しておりますので、民間人の大量虐殺は、戦争法に反するとする認識は、当時のアメリカ側にもあったようです。『春秋』の筆者は、人命の軽視を言うならば、まずは、民間人に対する計画的な殺戮こそ批判すべきであり(今日ではジェノサイドに当たる…)、どこか、大きく焦点がずれているように感じするのです。集団疎開が終了したのは、終戦の年の11月であったそうですので、おそらく、この事例は、ごく一部の例外的な出来事であったのでしょう。しかしながら、この論調では、先の戦争での民間人被害は全て日本国の責任ということになり、学童疎開の一例も、河野談話と同様に、一部が全体と化してしまうかもしれません。
そして東京大空襲があったこの日に、アメリカ政府が河野談話の見直しに対する懸念を日本国政府側に伝えたとなりますと、あまりにも無神経であると思うのです。”日本人が大量虐殺されたのは戦前の日本国が絶対悪であったからであり、河野談話は、この構図を維持するために変えてはならない”と迫っているように聞こえてしまうのです。つまり、事実はどうあれ、アメリカの行為を正当化するために、日本は、悪役に徹しよと…。これでは、日本人の多くが、アメリカに対して釈然としない感情を抱くことになります。それとも、今日という日が、東京大空襲の日であることも、アメリカは忘れてしまったのでしょうか。
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