万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

河野談話が問いかける『1984年』の世界はどの国か?

2014年03月12日 15時39分21秒 | アメリカ
「河野談話撤回」批判を訂正=米紙(時事通信) - goo ニュース
 先日、日本政府が示した河野談話の再検証に対しては、韓国のみならず、アメリカまでもが反対を意向を示しています。アメリカの言い分によりますと、”河野談話の再検証が実施されれば、日韓関係が悪化する”ということのようですが、河野談話見直し論争、実のところ、『1984年』の世界はどの国か、という問題を問いかけています。

 ジョージ・オーウェルの『1984年』の主人公は、真理省という役所に勤めており、その仕事とは、過去の記録を都合の良いように書き換える、というものです。つまり、国家ぐるみでの歴史の改竄が政府の重要な仕事の一つであり、国民は、この改竄された歴史を信じるよう強要されています。如何に、辻褄が合わなくとも…。『1984年』は、小説の中だけのファンタジーで済まされればよいのですが、21世紀の現代にも、この世界に極めて近い国が存在しています。韓国の歴史教科書には、史実との著しい隔たりがある記述があり、また、史料の捏造や隠滅の常習犯でもありますので、韓国が、『1984年』の世界の国と言えましょう。それでは、日本国は、どうでしょうか。河野談話の見直しについては、アメリカでもマスコミを挙げて反対の声があります。日本国政府は、歴史を改竄しようとしてるのか、と…。つまり、日本国もまた、『1984年』の世界の国であると批判しているのです。ところが、日本側からしますと、河野談話こそ韓国の”真理省”と結託した歴史捏造であり、日本人の目には、それを支持するアメリカもまた、『1984年』の世界の国のように映るのです。果たして、どちらが正しいのでしょうか?

 他者に対して嘘を真実と認めるさせる行為は、明らかに良心の自由の侵害であり、『1984年』は、人々の良心が政府によって圧殺される世界の恐ろしさを描き出しています。河野談話の再検証を機に、歴史と国家との関係をもう一度、国際社会において議論してはどうでしょうか。そしてそこでも、ならば、中立・公平な立場から”慰安婦”の実像を再検証せよ、という声は上がっても、真剣に議論を尽くせば、『1984年』の世界を肯定する結論には達しないと思うのです。

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コメント (4)
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