万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国際社会の暗黙の了解を覆した村山談話

2015年04月27日 15時25分58秒 | アジア
安倍首相「歴史的な訪問に」=米国へ出発、28日に首脳会談(時事通信) - goo ニュース
 昨日の午後、安倍首相は、日本国の首相としては9年ぶりの米国公式訪問に向けて羽田を出立しました。訪米を前にして、首相の米議会での演説内容が関心を集めており、”侵略や植民地支配に対する反省と謝罪”を求める中韓からの圧力も報じられております。

 ところで、”侵略”と”植民地支配”という言葉は、1995年の村山談話において最初に用いられたものですが、最近の論調を見ますと、”日本国の首相が演説や談話において、これらの言葉を使わないと、戦後の国際秩序への挑戦と捉えられかねない”とする意見が見られます。しかしながら、考えてもみますと、日本国が国際社会に復帰したのは、村山談話が公表された1995年以前のことであり、サンフランシスコ講和条約の締結(1952年)と国連への加盟(1956年)を以って実現しています。この時、東京裁判については、講和条約の第11条に”連合国戦争犯罪法廷の裁判(judgementsは判決の訳の方が適切では…)を受託し”とあり、講和条約本体には、”侵略”や”植民地支配”といった文字は見られません。その後、正式な手続きを経て戦犯も赦免されており、講和に際して連合国から特段に戦争犯罪について念押しされているわけでもないのです。”おそらく、現代司法の原則に照らして東京裁判に瑕疵があることを連合国側も承知しており、双方とも深入りはせず、暗黙の了解のもとで不問に付したとも言えます。ところが、1995年の村山談話は、この暗黙の了解を覆すことになります。何故ならば、講和条約にさえ明記されなかった罪状を並べ立てたことで、その後、中韓が、”侵略”と”植民地支配”の”事実認定の受託”を迫ることになったからです。東京裁判でさえ、対中戦争は”侵略”ではなく”不当な戦争”と表現され、植民地支配”に至っては、訴因にすら挙がっていないにも拘わらず…。東京裁判における事実認定が証拠不足であり、疑わしい判決もあることは既に指摘されておりますが、”侵略”や”植民地支配”のみならず、”南京市民30万人無差別大虐殺説”や”20万人朝鮮人慰安婦強制連行説”をも事実として認めるように迫られるとなりますと、日本国もまた、事実に反するものとして実証的な観点から反論せざるを得ません。そして、日本国側の反論は、暗黙のうちに葬り去ったはずの東京裁判の判決を、実証の俎上に上げることを意味したのです。つまり、中韓にとりましては、”歴史問題”の対日提起は、対日要求の外交カードとなると共に、日米離反や国際社会における日本国の信頼低下にも有効なカードとなったのです。

 村山談話を境に、サンフランシスコ講和条約の締結国となった連合国諸国との間の暗黙の了解が覆されたとしますと、このスタンスをそのまま踏襲するよりも、村山談話以前の状態に戻す方が、よほど国際社会は安定します(史実の追求は、学問に任せる…)。19世紀初頭頃までの講和条約には、相互恩赦や相互不問等に関する条項が設けられておりますが、歴史を教訓に国際社会が日々発展していることを考慮しますと、未熟であった過去の時代の出来事に関する感情については、”忘却の彼方に葬り去る”とする、かつての講和条約の精神を思い起こしてもよいのではないかと思うのです。

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コメント (5)
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