万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”希望の同盟”としての日米同盟-謝罪よりも重要な行動

2015年04月30日 15時20分20秒 | アジア
【日米首脳会談】安倍首相、米議会演説で「希望の同盟」を強調(産経新聞) - goo ニュース
 本日未明に、アメリカ議会において、内外が注目する中、安倍首相が演説を行いました。メディアの中には、謝罪が足りないとして不満げな報道もあるようですが、言葉の謝罪よりも重要なのは、日本国が、”何をするのか”ということではないかと思うのです。

 直接的な謝罪はないものの、演説の一文には、アジア諸国が戦場となったことに鑑みて、「痛切な反省」という言葉が使われております。敵味方両軍の戦闘において、アジア諸国の民間人の多くが巻き添えになり、大切な家族や家屋を失うといった悲劇に見舞われたことは、否定のしようもない事実です。当時、アジア諸国の大半が植民地であり、第二次世界大戦が独立への重要な契機とはなったとはいえ、そのために払われた犠牲は決して小さくはなかったのです。歴史における犠牲の重みを考えますと、表面的であり、かつ、その場限りで消えてしまう口先だけの謝罪の言葉よりも、誠実に平和への貢献を果たす方が、よほど、払われた犠牲に報いることになります。”歴史を忘れない”とは、事実そのものの記憶を保つよりも、導き出された教訓を後世に活かし、より高次な倫理観に至ってこそ、初めて”忘れない”、即ち、人類の発展の一つの階段として歴史に刻まれるのではないでしょうか。この意味において、日本国は、自らの行動によって過去に対する反省を示すとともに、法の支配を含む普遍的な諸価値を尊重しております。

 第二次世界大戦は多面性を持つ故に、”誰が誰に謝るべきか”と言う問題は、極めて複雑な様相を呈します。双方の謝罪要求の応酬は、しばしば不毛の論争となると共に、平和の回復後にあっても対立の再燃要因にさえなります。日米同盟が、アジアの安定と平和に、そして、国際社会の発展に貢献する時、その時こそ、過去に払われた多大なる犠牲が、真に人類の歴史に記憶された時なのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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