風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「スケッチ会。名古屋の豊国神社、そして旧中村遊郭街へ」

2014-08-27 19:19:11 | 日記・エッセイ・コラム

水彩画教室のスケッチ会で名古屋市中村区の「中村公園」、さらに足を延ばして旧中村遊郭街を歩いてきました。

中村公園は、この地の生んだ豊臣秀吉を祀る豊国神社(とよくにじんじゃ)が1885年(明治18年)に建立されたのに併せて開設されました。園内には秀吉の身内や同じくこの地出身の武将・加藤清正らにまつわる寺社も並んでいます。

秀吉を祀った豊国神社は京都や大阪、福岡など縁のあった各地にありますが、名古屋は生誕地であること(ここから800メートルほど離れたところ、などの説もあるようです)や何かと豪華で派手な秀吉のイメージからすれば、神社の建物は質素な印象です。

豊国神社を囲むように、加藤清正が名古屋城築城の際に余った材木で建てたという妙行寺、清正が出陣の際に必勝を祈願したと伝えられる八幡社、戦国時代や戦国武将の姿などを文書や絵画でたどる記念館なども。また、石畳や藤棚の古木、それに秀吉の馬印にちなんで植えられた瓢箪もカメラに収めながらの散策でした。

中村公園のあと、歩いて20分ほどの旧中村遊郭跡へ。

1923年に約10万5000平方メートルの用地を整備してできたとされる中村遊郭は、140軒ほどの娼家があり、約2000人の娼妓がいたといわれています。

1958年(昭和33年)、売春防止法によって廃業、転業。跡地にはマンションや病院、スーパーなどが建ち並び一変しました。街路の人通りは少なく、閉じられた飲食店や商店も目立ちます。

でも、ところどころに往時を偲ばせる建物や看板などが点在。うち、4軒は名古屋市の都市景観重要建築物に指定され、この日も我々だけでなく懐かしい風景をカメラに収める人が見受けられました。

その1軒である稲本。赤いべんがら塗りの塀、反り返った屋根の門が異国の風景を思わせます。

転業後は料亭として営業。夜だけでなくランチを楽しめる時代もありました。

ごく数少ない機会でしたが、料理だけでなく豪華で華麗な座敷の造り、年代物の装飾や置物、さらには日本庭園の見事さを味わったものです。

現在は他の建物とともに高齢者向けのデイサービス施設へと生まれ変わり、地域社会に貢献しています。

稲本の庭園のある風景を歌手・女優で版画作家でもあるジュディオングが創作した木版画「紅楼依緑」が2005年の日展で特選に。作品を目にした僕も、その素晴らしさに魅せられた記憶がよみがえりました。

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