風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き水彩画「子どものころ『あこがれ』だった『特急 つばめ』の機関車」

2018-01-07 07:28:21 | アート・文化

 

 

「特急 つばめ」。
この名前を目にして、その力強さとスピード感あふれる姿・形を懐かしく思い出されるご同輩は少なくないでしょう。僕もそのひとり。名古屋市港区の金城ふ頭でJR東海が運営するリニア・鉄道館で「特急 つばめ」の機関車と出会い、子どものころをよみがえらせつつ8号サイズで描きました。

幼児から小学生時代にかけて、東海道線沿いの村に住んでいた僕は、線路に出かけるのが大好きでした。
100両以上連結した貨物列車を、1両ずつ声をあげて数えながら見送ったこと、近づくお召し列車に見とれていたら、お辞儀をするように背後にいた祖母に頭を押さえられたこと・・・。

より心に残るのは、この「特急・つばめ」を目にする時の感動でした。もう一つの特急「はと」も走っていましたが、名前の鳥の飛ぶスピード感を意識したせいか、僕は「つばめ」こそ「超特急」だと思っていたようです。

つばめがばく進してくると、ドキドキ、ワクワク。磨かれたような機関車、勢いよく噴き上げる煙に「早く大人になって乗りたいなあ」と、あこがれたものです。
もっとも、この「あこがれ」。正直にいうと「機関車の運転士になりたい」というよりも「(運賃が高そうで格好いい)つばめに乗れるだけの人間になりたい」でした。

結局、どちらにもなれず、つばめに乗ることもありませんでした。
中学生になると同時に、高知の片田舎へ引っ越したせいもありますが、ウイキペディアなどによれば、つばめも1964年の東海道新幹線開通で山陽本線=鹿児島本線へと移行。65年からは名古屋=熊本間で走るなどし、75年には山陽新幹線博多駅開業によって元祖「特急・つばめ」の幕を閉じました。
2004年開業の九州新幹線に、新しい「つばめ」が走っています。

リニア・鉄道館にある「特急つばめ」の機関車の下はコンクリートですが、絵では走っていた当時のように砕石と枕木のバラスト軌道にしました。