風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

楽書き雑記「総理の功績を顕彰した銅像だったはずなのに・・・」

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             (総理大臣の銅像も今は台座だけ)
 

開園から105年の歴史がある名古屋の都市公園・鶴舞公園。面積23・7haの広い園内には、存在やいわれが意外と知られていないモノも少なくありません。正門から入って奥の方へ歩き、竜ケ池の近くにある元総理大臣の銅像が載っかっていた大きな台座もそのひとつです。花見や緑の散策の折に訪ねてみるのも一興です。


加藤高明(1860~1926)。愛知県出身で1924年6月から亡くなる26年1月まで総理大臣を務め、普通選挙法、治安維持法の成立や日ソ基本条約を締結させたといわれています。

銅像は1928年に建てられました。しかし、太平洋戦争時の金属供出で外され、現在は台座のみとなっているのです。地上から銅像のてっぺんまでの高さが12.7m、銅像の部分は4.8mほどあったそうです。

昨年12月の日本経済新聞の文化欄に「銅像はつらいよ十選」というコラムが連載され、顕彰するために建てたはずなのに、忘れ去られ、予想もしなかった運命をたどった像が紹介されていました。


例えば初代だけでなく第5、第7、第10代と4代もの総理大臣を務めた伊藤博文の像。1904年、神戸の湊川神社に建設されましたが、翌年、日露戦争の講和条約に反発した民衆に引き倒され、船の中に匿われました。

その後、神戸の別の場所に新たに建てられたものの、これも加藤高明の像と同様に戦時中に金属供出。船に匿われていた像は故郷の山口県萩市で再建されましたが、これも供出に。旧宅横に改めて建つ像は、この地の名産・萩焼でできた「陶像」だということです。

鶴舞公園の正門ゲートを兼ねたJR中央線ガードに掲げられている「鶴舞公園」の看板も、金属供出の憂き目にあっています。

公園が開園した1909年当時の総理大臣・桂太郎の筆によるもので、当時は青銅板でしたが、供出されて一時はコンクリート製に。現在の看板は1966年に復元されたものです。

         
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(桂太郎の筆「鶴舞公園」)      

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(花見の宴で賑わう鶴舞公園)
 


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