リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~食べ物あふれる東京で食べ物屋探し

2018年10月09日 | 日々の風の吹くまま
10月8日(月曜日)。晴れ。暑い。台風一過のインディアンサマーかな。日本は(何のだか忘れたけど)三連休の最終日。そういえばカナダも感謝祭の三連休なんだっけ。朝ご飯はサザンテラスの端にあるフレンチベーカリーのテイクアウト。2年前に来たときは「ゴントランシェリエ」という名前だったのが今は「ブールアンジュ」になっている。でも、店内の様子も並んでいるものも変わっていないようなので、好きだったアーモンドのクロワッサンと普通のクロワッサン、りんごジュース、コーヒー(カレシはサラダとトマトジュース)をテイクアウト。ホテルはけっこう居心地が良くて、住み慣れたような感じなので、窓から見えるスカイツリーを眺めながら、のんびりと朝ご飯。(前の夜もデパ地下で和食弁当とワインとサラダをテイクアウトして、ピクニック気分の晩ご飯だった。)

東京では18泊の長逗留なので、ばたばたせずに、午前中はホテルの部屋で2人ともラップトップに向かって過ごし、昼ごろから主に2人のおでかけ、夜は友だちに会い、特に予定がない日は2人の時間、という日課を組んでいるけど、旅の空は秋空のごとくだから、ここはplay it by earで行かないとね。ホリデイなんだもの、あくせくすることないっしょ(と北海道語)。でも、それではランチをばと出かけたのはいいけど、新宿区界隈は人、人、人。特に休日だから、どのデパートもレストラン街は外にずらりと順番待ちの列。そのために椅子を用意してあるのは、待つのがあたりまえだからなんだろうな。カレシ曰く、「日本の人は行列するのが好きなんだねえ」と感心しているのか、呆れているのか。とにかく新宿駅南口界隈は絶望的と判断して、西口方面に方向転換。甲州街道沿いに歩いて、都庁ビルの後ろ側からかっての定宿の京王プラザまでてくてく。ここのカフェならと思ったんだけど、あら、やっぱり待っている人がいる。同じフロアにあるバフェのレストランなんか長蛇の列だからびっくり。

ずっと歩いて来てくたびれたので、待ち行列に参加(といっても3番目だったけど)。15分ほど待ってテーブルに案内されたのは2時過ぎで、優雅なサンドイッチとコーヒーで遅いランチになったけど、これって一時言われた「昼食難民」なのかな。もっとも三連休だから、人がどっと出てどこも混雑しているってことかな。まあ、東京圏の人口はカナダの総人口より多いんだからしょうがないけど、これだけいたるところに食べ物屋があるのに、行列して待たないと2人連れがご飯を食べられないというのはすごいことだと思うな。テレビだって何やかやと食べてるシーンばかりで、景気が良くても悪くても日本人は食べることに関しては困っていないってことだもんね。(もっとも、2人で朝ご飯やランチをして数千円というのが高いのか安いのかは、物価の水準が違うからまったくもって見当がつかないけど。)

晩ご飯は、連休のお出かけが終わって家路につくために早い時間に満席になって行列する椅子もなくなるだろうと推測して、8時を過ぎてから高島屋の上のレストラン街に行ったら図星で、ハワイ料理でゆっくり食事。うん、東京ではン千万人とレストランの席取り競争をするわけだから、食べ物があふれているところで食いっばぐれるなんて皮肉なことにならないように知恵を働かさないとね。

旅の空から~台風到来で危うく立ち往生

2018年10月09日 | 日々の風の吹くまま
10月7日(日曜日)。雨。台風25号が午前3時に温帯低気圧になったそうだけど、北海道の西側は朝から大荒れで、交通機関は陸も空も海も「欠航」。うはぁ。私たちの羽田行きの便は13時35分。ゆうべテレビのニュースで見たときは、ちょうどその頃に台風の中心が釧路の上を通るような予想だったから、温帯低気圧になったからって大丈夫とは言えないな。欠航になったら、よく月曜日の便は連休最終日とあって全便満席だから、振替便は火曜日。まあ、きのうのうちに東京のホテルには事情を説明して予約をキープしてもらったし、泊っているホテルも最悪2泊の滞在延長をOKしてもらったから、空港で立ち往生ということはないからいいけど、カレシは「帰れるのか帰れないのか」がわからないことがストレス。あのさ、こういうときはplay by ear(臨機応変)で乗り切るしかないの。これも旅の冒険のうちよ。

今回はラップトップ持参だから、朝から釧路空港の「運行状況」のサイトを睨んで、飛ぶのか、飛ばないのか。でも、「天候調査中」だった朝1番の千歳行きが搭乗中になり、出発済みになったので、お、希望の光がちらちら。次の羽田行きの便もゲートに案内中になって、ますます明るくなって来たぞ。あとは折り返しで私たちが乗る羽田からの便が欠航にならなければ、まず大丈夫。東京に帰れる確率は70%くらいかと踏んで、とりあえず荷物をまとめて、いつでも出られる用意。

午前10時に寿子が迎えに来て、釧路で最後の予定になっていた「私を取り上げてくれたお産婆さんの息子さん」に会いに、釧路聖パウロ教会へ。寿子が吉良平治郎のリサーチをしていて、郵便局を運営していた(キリスト教徒の)津田家と平治郎のつながりを見つけ、のち助産婦になったスガさんが一時郵便局で働いていて、その息子が聖公会の司祭をしていて、寿子の博物館ボランティアのつながりでワタシのことが先方に伝わって「ぜひ会いたい」ということになった・・・という何だか「古い釧路」を思わせる話。臍の緒を巻きつけて、大変な難産の末に仮死状態で生まれたワタシを津田さんが「この子を生かしてください」とお祈りしながら手当てして命を救ってくれたのだと両親に聞いていた。

スガさんの息子さんにあたる津田司祭は涙を浮かべてワタシの手を取って迎えてくれて、いつも財布に入れて持っているスガさんの写真を出して見せてくれた。ちょうど日曜日の礼拝が始まって、ワタシも最後までいられなかったけど、祈祷書の言葉を唱和して、献金させてもらった。ワタシがキリスト教の感化を受けた教会は日本キリスト教団だったけど、カレシの家系は代々カナダ聖公会で、同じく英国国教会にルーツを持つ宗派なわけで、これも何かのご縁なのかな。フライトの状況をチェックしなければならないので、短い対面だったけど、別れ際に、あのとき救っていただいた赤ん坊は元気に70歳になりましたとお母様にご報告くださいねとお願いして来た。

釧路ではほんとに人と人の縁、社会でのつながりの不思議さをひしひしと体感して、精神的に豊かな実りの多い旅だったと思う。そう、ワタシは幣舞橋の見えるところで生まれて、霧笛を聞いて育ったちゃきちゃきの釧路っ子、そして道産子5世の根っからの北海道人なんだよね。それがワタシの人間的、文化的なアイデンティティのルーツなのだと確信できたわけで、釧路に行ってほんっとによかったぁ。

ホテルに戻って、空港の運行状況をチェックしたら、午後1時着の羽田からの便が「欠航」になっていない。とっくに出発しているはずの時間だから、うん、ANA742便はゴーだ!寿子に空港まで送ってくれる?と聞いたら「もっちろん。あっちでランチしよう」。よし、即行で荷物をまとめて、フロントデスクに降りて、かくかくしかじかでチェックアウトするけど、今夜の分を含めて清算すると言ったら、「まだチェックインの時間ではないので、昨夜までの3泊分で結構です」。でも、けさのチェックアウトの時間はとっくに過ぎているので超過分は払うと言ったら「まだ今日のチェックインの時間ではないのでよろしいです」。というわけで、当初予定の3泊分の支払いを済ませて、一路空港へ。

スーツケースを預けてから、搭乗時間まで寿子と3人でランチ。空港は何となくがら空きの感じなのは、飛ばないと思ってキャンセルした人たちが多かったのかな。742便もずいぶん空席が目立っていた。定刻に離陸した飛行機は予想された乱気流にまったく遭遇せず、全然揺れないままで予定より10分も早く羽田に着いてしまったからびっくり。あの台風は何だったんだろう。温帯低気圧に格下げされたとたんに意気消沈してしまったのかな。人騒がせにもほどがあるなあ。でもまあ、予定通りに帰って来れたのは何かの「ご縁」なのかもしれない。妹の家に直行して荷物を引き取って、義弟に送られて定宿になっている新宿南口のセンチュリーサザンタワーへ。さて、これから2週間半、腰を落ち着けて東京のホリデイを楽しもうっと。