リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

日本語は日本の公用語だから公の場では日本語を話すべきって?

2022年09月18日 | 日々の風の吹くまま
9月17日(土曜日)。🌤⛅☁。起床8時半。朝ご飯が済んだら、先週はスキップした週一の断食を再開。カレシの風邪は、きのうは額が何となく熱っぽかったけど、けさは普通。咳もあまり出なくなったけど、喉から鼻の方に上がってしまったそうで、今度はちょっと鼻声。咳をし過ぎてエネルギーを消耗したからと、今日もウォーキングをスキップ。まあ、無理に出かけたっていいことはないだろうから、とにかく休養するのみ。ワタシは、いつもの洗濯とキッチンのシンクの掃除。マットが御用聞きして来たので、アンズタケ(シャンテレル)とシロカノシタとシイタケを注文。明日の朝ご飯のバナナがないのに気付いて、スーパーにひとっ走りしてバナナとカレシ用の咳止め飴を買って来て、マットに見せるトフィーノで撮ったきのこの写真を携帯にコピーして、後はひがな1日のんびり。

断食を始めたばかりの頃は、朝ご飯以外は食べない分、料理や後片付けに費やす時間が浮いたもので、何か手持ちぶさたで落ち着かなかったけど、今ではご飯支度のための「中断」に煩わされずに、まとまった時間をひとつのことに集中できるようになった気分。だらだらとクロスワードや小町横丁の散策に費やすことが多いけど、「まじめなこと」に没頭することも増えて来たから、いいことだと思うね。で、今日は心機一転の嵐の前の静けさ的な気分で、小町横丁の散策。相変わらず、恋愛も婚活も友だちも夫婦も家族も仕事も老後も何もかも、何て生き難い世の中なんだろうと嘆息するようなトピックがずらりだけど、若かったワタシがその世の中にいた頃からすでに半世紀が経とうとしているわけで、人は世につれ、世は人につれというところかな。タイトルだけで悩ましさがわかった気分になるものが多い中で、『英語で子供に話しかけるママ』というのが目に留まって、覗いてみて仰天。普通の幼稚園で、家族全員日本人なのに子供と英語で話すママがいて、「日本人なのに英語で話すなんてちょっとやりすぎじゃないですか?外でわざわざ英語で話すなんて英語教育をひけらかされているようで嫌です。他の子供に話すときには日本語に切り替えます。なんかムカつきます。そのママに英語を話すのをやめさせる方法はありませんか?他のママたちと一緒にジロジロ見て視線でやめさせようとしていますが無視されます。本当に癪に障ります」。うはぁ・・・。

案の定、ひがみ、妬み、やっかみと評するコメントが多数だけど、擁護派のコメントはトピ主には目もくれず「ここは日本なんだから日本語を話せ」というお決まり?の主張に始まって、「郷に入ったら郷に従えは国際社会で守るべき大切なマナーだ」とか「日本は日本語が公用語なんだから公の場では日本語を話すべき」とかなんたらかんたらと喧しいこと。わからない言語だと大きな声で内緒話をしているように感じるんだそうな。それ、話している内容がわからないことで自分が劣勢に置かれたような不安な気持になってムカつくってことかな。すごいのになると、現地語が日常生活や世間話に不自由のないレベルに上達してから外国に行くべきで、通訳を連れていても通訳とのやりとりに(周囲にわからない)日本語を使うべきではないという人がいて、はあ。それじゃあ大多数の人たちが外国に行けないし、通訳は商売上がったりじゃないの。島国根性の現れと言うコメントがあるけど、これって「鎖国」根性じゃないのかな。社会文化のレベルで人見知りしているみたい。そういえば大人の人見知りに関する社会心理学のエッセイを読んだことがあったなあ。(あれは演劇講座で登場人物の性格分析をやった流れだったけど。)論議はまだ続いているようだけど、「文科省が国際社会で通用する人材の育成のため、英語教育の早期化を促進しているのに、これじゃあ進展しないわけだ」というコメントと「こんな間違った欧米かぶれが増えているから日本の国力が落ちているんだ」というコメントが対照的でおもしろかった。

何とも皮肉なのはトピックを上げたママさんのハンドルネームが英語で、それもカタカナ化せずにばっちりアルファベット綴りだということかな。それに、「日本では日本語を話せ」という要求の対極は「外国では現地語を話せ」ってことになると思うんだけど、留学とかワーホリで来る日本人は日本人同士ちゃんと日本語でやり取りしているのも、郷に入っても全然郷に従ってなくて皮肉と言えば皮肉。カナダは英語(とフランス語)が公用語なんだけど、日本人に英語で話しかけると件のトピックのような反応(日本人なら日本語を話せ、ひけらかすな、外国かぶれ等々)が返って来るらしい。ワタシも日本人コミュニティの端っこにつながっていたずっと昔に何度も経験したけど、「英語ペラペラになっていかに現地に馴染んでいるか」をひけらかすなということらしかった。まあ、今は英語が押しも押されもしない第一言語になって日本語(話す、聞く)の配線が錆びて来たし、また年代の違いもあって日本人コミュニティとはほぼ疎遠になっているからめんどうなことには遭遇しないで済んでいるけどね。日本では家族と友達以外とは半世紀前の日本語よりも使い慣れた生活言語である英語の方になってしまうけど、店に入ると店員さんが中国語で話しかけて来たり、たまに日本語でやると「お上手ですねえ」とおほめにあずかったりすることがしょっちゅう。日本に行けばワタシは外国のパスポートを持った「外国人観光客」なもので、海外旅行の愉快なエピソードとして思い出になっているけど、はて、この次行く機会が来る前に少し中国語をかじっておこうかな。