リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~増上寺に行ってみようか

2018年10月14日 | 日々の風の吹くまま
10月14日(日曜日)。曇りがち。ちょっと雨っぽいのでホテルで朝ご飯。レジで前の人の勘定がやたらと手間取っているようなので、つい後ろでじろじろと観察。しみひとつない真っ白なスニーカーにいかにも新品といった感じのバックパックを背負った若いお兄ちゃんで、処理に手間取っているクレジットカードが何とスヌーピーの図柄。北米だったらそんなのを持って歩いたら沽券にかかわると思うだろうけど、日本や中国の文化は何よりも「かわいい」が受けるんだろうな。でも、クレジットカードにスヌーピーって、やっぱり持っている人の印象が何だか・・・。

カレシがイライラし始めたあたりでやっとカードが通ったようで、コチコチだったお兄ちゃんの勘定が済んで、私たちの番。こっちは部屋にチャージするからサインだけでいとも簡単。その足でフロントデスクに回って、けさドアのところに入っていた勘定書の支払い。なにせ18泊を現金で払うので、日曜日ごとに精算することになって、これが1回目。こっちは前回も13泊して途中で精算したから慣れたもので、言うなればウィークリーマンションを借りているような気分。このホテルは適度の広さで、空の冷蔵庫や無料のWiFiがあるし、2人してラップトップを使えるスペースがあるし、洗濯物は朝出せばその日のうちに仕上がって来る(ワタシのジーンズの伸び切ったボタン穴をかがってくれた)し、一歩外へ出たら必要なものは何でもあるしで、居心地がいい。

   

さて、カレシのレッスンが終わって、今日はどこへ行こうか。あんまり何度も来ているもので、まだ行ってないところがなくなって来た感じ。Gray Lineの観光バスのパンフレットにどこか知らないところがあると思って見たら、東京1日ツアーでは、東京タワーと明治神宮に行って、赤坂迎賓館と国会議事堂のそばを通って、皇居東庭園に行って、銀座を「通過」して、和食ランチ。午後は浜離宮庭園に行って、隅田川クルーズをして、浅草観音と仲見世に行って、かっぱ橋を通過して、上野から秋葉原に出て解散というルート。なぁ~んだ、行ったことがあるところばかり。なんてぶつぶつ言っていたら、カレシが「東京タワーのそばにある寺に行きたい」。おお、増上寺ね。いいね。さっそく都営地下鉄の大江戸線で代々木から赤羽橋に行って、東京タワーを目印にすれば迷子にはならないだろうと見当をつけて出発。首都圏の鉄道網は迷路のようで目が眩みそうだけど、Suica1枚でJRにも私鉄にも乗れるのは便利でいい。

     
   

増上寺ではたまたま宝物展示室でイギリスから100年ぶりに帰って来たという「台徳院殿霊廟模型」を展示していて、その修復作業のビデオも見られたのはラッキー。徳川将軍家の墓所にある二代将軍秀忠の墓にお江さんも一緒で、さすが。家茂の墓の隣にはラブラブだったと言われる和宮さんのお墓。いいねえ、何とも粋で。それにしても、今日もまた2人してよく歩いたねえ。おなか、空いたぁ。


旅の空から~湯島天神界隈

2018年10月14日 | 日々の風の吹くまま
10月13日(土曜日)。曇り。ちょっと涼しいね。スカイプレッスンが終わったら、どこへ行こうかと相談。カレシが前に行った谷中に行きたいというので、空港で見つけて来た無料の地図を広げて、谷中ってどこだっけ。浅草に近かったと思うけど・・・と、食べ物屋と飲み屋のマークだらけの地図をなめるように調べたけど、よくわからない。そこで、向かいの紀伊国屋に行って東京の地図を買おうということになった。東京に腰を落ち着けてからうろ覚えの方向感覚ででかけてはもう何回か迷子になった2人。いつの間にか6階のワンフロアに縮小されていた紀伊国屋で、雨にぬれても、何度折りたたんでも大丈夫そうな地図を買って来て、カレシ曰く「地図って最初に買うべきもんだよなあ」。そうだよね、普通なら迷子になってから買うんじゃなくて、迷子にならないために先に買うもんだよねえ。

新しい地図の上野駅周辺をなめるように見ていたら、「Yushima Tenjin」という文字に気が付いた。湯島天神、つまり銭形平次なんかの時代劇によく出て来る「天神さん」。地図によれば、上野駅を出たら中央通りを歩いて、春日通に曲がって、ずんずん行くとたやすく見つかりそうな感じ。あはは、そんな感じだったけど、上野駅を出たら,何だ、これ。遊歩道だか広場だかが地上より高いって、地図にはそんなこと書いてないじゃないの。大きな通りなので中央通りだと思って地上に降りてみたら「昭和通り」。あれあれ。街角で地図を広げて、えっと、えっと。名前のない道路が多いし、名前があっても表示してないところが多いから、どんなに地図が正確でも結局は迷子になるのが東京。

何とか正しい道路を見つけてたどり着いた天神さん。修理工事に余念がないようで、写真を撮れる建物は少ない。でも、さすがに学問の神様の神社だけあって、びぃ~っしりとかかっている絵馬は壮観。こんなにたくさんの人たちに合格のお願いをされて、神様はてんてこまいだろうな。神様の仕事もけっこうブラックな感じだけど、大丈夫なのかな。働き方改革した方がいいんじゃない?
   

もと来た道じゃなくて、いかにも古くて急な石の階段を下りて、天神下の小路。日本の旅はいたるところにあるこの「小路」が楽しい。ご近所さんが利用する食べ物屋や赤ちょうちんがあって、その間に民家があって玄関先に植木鉢が並んでいたりで、何が飛び出すかわからない。小さな民芸品屋?では「お願い」と「福よ来い」というタイトルのちっちゃな置物を買って、通りがかった心城院という小さな古寺の池で泳ぐ亀と鯉を鑑賞して、ほっこりとほほ笑んでいるお地蔵さんをパチリ。(お地蔵さんは思いがけず遭遇するのが一番いい・・・。)

   

旅の空から~海外旅行は今も昔も

2018年10月13日 | 日々の風の吹くまま
10月13日(土曜日)。曇り。日本での2度目の週末。中国の「ゴールデンウィーク」が終わって、ホテルのロビーを埋めていた中国人観光客もみんな帰ってしまったようで、いたって静か。このあたりはいつも外国人観光客が多いんだけど、中国人は膨大な荷物を持って大人数(に見える)グループで来て、とにかくにぎやかで目立つ。新宿駅周辺の薬局のスピーカーからは大音量の中国語が流れて来るし、店員が中国語でがんがん客を呼び込んでいて、まるで中国に来た気分。絆創膏を買ったらレジの人ものっけから中国語で、面食らったワタシは「ノーチャイニーズ!」と英語(だって、ニイハオとシェシェとツァイチェンと広東語のドチェしか知らないもん)。ま、私たちも大挙して襲来した外国人観光客のうちの2人なんで文句を言えた義理じゃないけど。

観光庁かどこかの統計によると、欧米からの訪日客は滞在日数が長く、アジアからの客は短い傾向があるそうな。そりゃそうだ。遠く離れたヨーロッパやアメリカ大陸から3泊4日の日本旅行というのは相当にきついと思うよ。小さな島国とは言っても外国人が興味を持つような見どころで溢れかえっていて、東京を見て歩くだけだってタイヘンなんだから。ホテルのロビーやレストランでピープルウォッチングしたところでは、欧米からの観光客(特に年配層)はわりと旅慣れている感じだけど、アジアからの観光客はまだ「海外旅行初心者」という印象で、経済が飛躍的に発展した50年前に団体で海外旅行に出始めた頃の日本人(特に「ノーキョーさん」たち)を思わせるところがある。ま、初心者もやがては経験者になるから、50年後の中国人観光客も今とは相当に違っているんじゃないのかな。

渋谷や原宿では若い白人男性をかなり見かけたけど、何かみんなショボいなあって感じ。外国(特にアジア)に行けば素晴らしい人生が見つかると思ったり、ゲームやアニメに魅かれたり、バブル以来の都市伝説である「ジャパニーズガール」を求めたりして日本に来た向きも多いんだろうけど、このあたりは自分の人生にない「何か」、友だちに見せられる「何か」を求めてワーキングホリデイなどに出かける日本の若者も同じで、要するに他力本願の自分探しなんだと思う。でも、自分の幸せは自力本願でしか得られないもんだから、自国でショボい人間は世界のどこに行ってもそのままショボいって感じがするな。もっとも、デジタル時代、情報時代の今はあまりにも選択肢が多すぎて、自信を持って自己決定するのは至難の業なのかもしれないけど。

それでも、人間、人生に一度は異なる世界を見てみたいもんだな。自分の「物差し」を家に置いて出かければ、行き先がたとえ地球上の小さな一点であっても、新しい視界が開けるんじゃないかと思うんだけど。

旅の空から~隅田川散策

2018年10月12日 | 日々の風の吹くまま
10月12日(金曜日)。曇り。朝のうちは何となくぽつり、ぽつり。今日の朝ご飯は新宿バスタにある沢村。日本ではアボカドが大人気みたいで、前回カレシがアボカドエッグを食べてえらく気に入って「まだ食べたい」。ワタシは普通のベーコンと卵で、バーのカウンターでちょっといいジャズを聴きながらの朝ご飯。夜にちょっと飲みに来てみたいね。今日はスカイプレッスンがないので、どこに行きたいか聞いたら「橋の写真を撮りたい」。ちょこっとググってみて、東京の「母なる川」みたいな隅田川に行ってみようということになった。地図を見ると、新宿駅からなら各駅停車の総武線に乗って両国まで行けば目指す川はすぐそこなので、今日は迷子にならずに済みそうな感じ。

まずは洗濯物をランドリーバッグにまとめて客室係に電話。ニコニコしたおじさんが取りに来てくれて、さあおでかけ。カレシのSuicaが見つからなくて慌てたけど、バッグのポケットをあちこち探し回って無事に見つかったので、10時近くに出発。ホテルからは新宿駅新南口がすぐ近くて便利なんだけど、山手線同様に総武線も長い、長いホームの先。両国駅で降りて、川岸に出そうな方向へまっしぐら。おお、川沿いに遊歩道があるんだ。下流には蔵前橋、上流には両国橋があるけど、どっちに行こうかと考えて、2人とも何となく上流へ。あちこちに浮世絵の壁画や歴史の説明があって、ところどころに川沿いの区の小中学校の生徒の壁画作品がある。タグボートや水上バスが行き来して活気が感じられるところは、我が家から見えるフレーザー川のよう。昔から川は人類の大切な交通の要所だったんだもんね。川の上をいくつもの橋、さらに上を二重、三重の高速道路、そして電車の鉄橋。これは東京でなければ見られない景観かな。

   
   
   
   
   
   
   

遊歩道から両国橋に上がって、反対側に渡ると神田川にかかる柳橋。橋こそ何の変哲もない現代の橋だけど、川端には「船宿」があって、屋形船が何隻もつながれている。さしずめ江戸時代のパーティボートってところかな。ここから折り返してさらに上流へ。川の反対岸なので堅川水門が良く見える。どんどん歩いて行くちょっときれいな新大橋。わたる途中でさらに上流に青い覆いをしたものがあって、ズームで撮ってみたら、「橋梁工事中」。遊歩道のライトアップの作業もしていたし、どうやらオリンピック関連でいろいろな工事があるらしい。新大橋を渡って、川に沿った道路を両国駅を目指してテクテク。川べりに幅広の高層マンションが並んでいるかと思うと、食べ物屋や飲み屋がある道路沿いには玄関の幅しかないような細い4、5階建ての建物が並んでいたりする。地震が来たら倒れるんじゃないかと思ったけど、隣のこれまた細い建物とぴったり寄り添っているから、あんがいお互いに支えあって倒れないかもね。

いつのまにか両国駅の前に出て、おお、今日は迷子にならなかった。総武線が代々木駅に停まるとは知らなかったけど、アナウンスがあったので慌てて下車。(ホテルへは新宿駅よりこっちの方が近い感じだし、人込みもないから便利。)今日はよく歩いたあ。沢村にひとっ走りしておやつのクッキーとコーヒーを買って来ようっと。

旅の空から~食べ物がおいしすぎて・・・

2018年10月11日 | 日々の風の吹くまま
10月11日(木曜日)。曇り。目が覚めたら7時半。曇り空でスカイツリーが見えない。朝ご飯はロビーにあるレストランのバフェ。バフェ(昔バイキングと言っていたあれ)は人間観察ができるのがおもしろい。ずらりと並ぶ料理を全部お皿いっぱいに盛る人、好きなものだけをたくさん取る人、少しだけ取る人、いつも食べている量だけ取る人、がっつり食べなきゃ損だとばかりに何度も足を運んでお皿を山盛りにする人。ラスベガスのバフェではタラバガニの足を何度もどっさり取って来て、ひたすら食べては殻をテーブルの真ん中にうずたかく積み上げていた夫婦がいたっけ。アリゾナあたりから来たようで、この際だからふだん食べられないカニの足を腹一杯食べようってことだったんだろうな。旅先では日常生活でお目にかからないもの、食べられないものを味わうのも楽しみのひとつだもんね。

ゆうべのご飯は友だちのボブに連れられて甲州街道沿いのベルギービールの店。大きなクーラーに並んでいるビールから好きなのを選んでカウンターに持って行くと、グラスと一緒にテーブルに持って来て栓を抜いてくれる。大きなのを3人でシェア。料理もシェアすることにして、まずサラダ、そしてベルギー名物のムール貝のワイン蒸し。ぷっくりしたムール貝を食べ終わった後に残った蒸し汁でリゾットを作ってもらったら、これがめちゃくちゃ美味と来ている。最後にとろりとしたイベリコ豚のシメイビール煮込み。おいしかったぁ。

食べるものにかけては日本は世界でもトップクラスで、特にベーカリーは星を10個くらいあげたくなるくらい。もっともデパートのレストラン街はどこに行っても同じような店ばかりでバラエティに欠けるけど、長逗留のときは今日はここ、あしたはあそこと自分なりにメリハリをつければいい。とにかく食いっぱぐれの心配はなくていいのが東京なもので、カレシが塩分とコレステロールを摂りすぎないようにするのにひと苦労。まあ、外食はどこに行っても塩分が多めなもんだけど、特に日本食は何でも醤油(と味噌)で味付けだから見るからに塩分が多そうで、カレシが好きなラーメンもカレーも今回はちょっと控えないとね。でも、2年前と比べると、グリーンサラダを単品料理としてメニューに載せているところが増えていて、野菜ファーストのカレシにはうれしい。日本の外食風景もかなり様変わりしたという感じがする。おかげで、どこへ行ってもまずサラダ。デパ地下のテイクアウトもまずサラダ。サラダがあればおなかも心もハッピーなカレシ。

外食はまたカロリーが高めなので、コレステロールと合わせてこっちも考えながら毎日食べるものを選ばないと、帰って秤に乗ったら「ムンクの絶叫」になってしまいそう。何しろ朝ご飯からして日常より格段にカロリーの高い内容になっているからタイヘン。そこで、友だちとランチの予定のない日はしっかり朝ご飯を食べて、ランチは抜きで行くことにした。東京は食べ物がおいしすぎてタイヘン・・・。

旅の空から~原宿界隈(迷子も楽し)

2018年10月11日 | 日々の風の吹くまま
10月10日(水曜日)。晴れ時々曇り。ぼちぼちと友だちと会う予定が決まり始めて、忙しくなって来た。友(私たち)、遠方より(押しかけて)来たって感じだけど、それでも会いたいねと言ってくれる友だちはうれしいね。今日の夜はワタシの仕事を通じて仲良く‘なったアメリカ人日系三世のボブと晩ご飯。ベルギーのビールと料理の店に連れて行ってくれるんだって。

午前中いっぱいのんびりした後で、今日は原宿。ホテルへのアクセスは新宿駅南口よりも山手線代々木駅北口の方が便利なので、その次の原宿駅までは20分かそこいらで行けるだろうと推測して、ランチをかねての今日のウォーキング運動に出発。ところが、JRの線路が見えているうちは良かったけど、いつのまにか見えなくなって、何だか迷子になっていそうな予感。そのうちに能楽堂があって、玄関をのぞいたりしていて方向感覚がずれてしまった感じ。行けども行けども原宿らしいところがなくて、電柱に表示されている住所は「千駄ヶ谷4丁目」。ふむ、ちょっとおかしいねえ。神宮はあっちの方向、いやこっちの方向と議論しながら、どんどん原宿から遠い所へ歩いている感じ。思いあまって信号待ちしていたおねえちゃんに原宿駅はどっちかと聞いてみたら、うしろの小路の方をさして「あっちの方」。なぁ~んだ、「あっちの方」か。

何か原宿っぽくない小路を指された方向に歩いて行ったけど、う~ん、やっぱりヘン。明治通りはどっちだ、参道はどっちだと、住所表示板を見つけるたびに、現在位置はここで、原宿はあっちの方向だから・・・なのに、ちっとも近づいている感じがないから困ったもんだ。そのうちに国立競技場の工事現場に出て、住所表示地図でやっとそれらしい道路を見つけて、少し行ったら道路標識に「原宿」というまっすぐな矢印。よし、今度こそはどこまでもまっすぐ行こう。何となくすでに通ったような風景に出くわしてもひたすらまっすぐ。ホテルのすぐ近くのNTTのタワーが見える中、やっとのことで原宿駅の前に出た。ホテルを出てからすでに1時間30分。いったいどこをどうやって彷徨していたのやら。

   
   

駅前から人でびっしりの竹下通りの写真をパチリ。表参道をそぞろ歩きしながら写真を撮りまくり。なるほど、これが名だたる原宿かぁ。欧米アジア各地からの外国人観光客がぞろぞろ。小旗を持ったガイドに率いられたグループもぞろぞろ。東京住まいらしい(何かしょぼぉいアニメやゲームおたく風の)外国人お兄ちゃんたちもぞろぞろ。その人込みの中を精一杯ファッショナブルに装って来たらしい女の子たちがぞろぞろ。きょろきょろしているうちに結局ランチを食べ損ねて電車で帰って来たけど、みんないったい何を求めて原宿の人込みを歩いているんだろうと思ったな。

旅の空から~渋谷界隈(ハチ公と猫)

2018年10月10日 | 日々の風の吹くまま
10月9日(火曜日)。晴れというか曇りというか。起床7時。カーテンを開けると朝日が差し込んでまぶしい。今日の朝ご飯は新宿バスタのフードホールにあるベーカリー。カレシはアボカドベネディクト、ワタシは普通のベーコンと卵。日本ではアボカドを使ったエッグベネディクトが流行みたい。(北米ではアボカドトーストが流行っている。)東京ステーションホテルで朝ご飯に食べて味をしめたカレシ、帰ったら自分で作ってみたいとじっくり観察して、コレステロール満載のホランデーズソースの代わりにクリーミーなサラダドレッシングを使ってもいいかなあと胸算用。食べることは旅の楽しみのひとつだもの。

カレシは10時半にロシアのアナスタシアとのスカイプレッスン。ヘッドホンの調子が悪いらしくて、なしでやることになったので双方向の会話が聞こえる。データベース分析を専門にしている彼女は結婚して子供ができたら育休明けにヨガと健康指導の先生に転身する計画で、仕事の合間に資格を取るべく勉強中。カレシの生徒には人生の計画を持って、英語も含めてその目標に邁進する女性が多い。カレシがそういう人を選んでいるようだけど、毎週のレッスンを何年も続けるってほんとに具体的な目的がなければできないことで、頼りない英語から5年かけて英語論文で工学博士号を取るまでがんばった中国のチオンもそうだし、ボストンの留学先で修士課程卒業のためのGREと格闘中のリリーもそうだし、上海でイギリスの大手小売企業の中国代表バイヤーをやっている若いセーナもそうだし、かってオーストラリアの大学院に進学したベトナムのトレーシーもそうだった。だからこそカレシもこうして旅先のホテルでレッスンを続けているわけだけど。

レッスンが終わって昼になったらテイクアウトしたパンとコーヒーで、家でいつも聞いているFM局をスマホのアプリで流しながらのんびりランチ。カレシが渋谷を「見物」したいというのでスイカを持っておでかけ。新宿バスタの新南口から入ると山手線は長ぁい、長ぁ~いホームの端。渋谷で降りてホームの先の先の先のハチ公口に出て、ハチ公はどこだ?と見まわしたら、銅像の前はすごい人だかり。何とハチ公の前足の間に2匹の猫が座っている。この日は主にタガログ語の観光客たちがカメラやスマホをかざして押すな押すな。ワタシも跳ね飛ばされそうになりながらも負けずにパチリ。何なんだか知らないけど、猫ちゃんの方は呆れてるんじゃないかなあ。

   
   ハチ公とにゃんこたち

昼間の渋谷はあまり写真を撮りたくなるような風景がなくて、大きな通りから一歩逸れると蜘蛛の巣のように広がる裏通り?を歩き回って今日の運動。カレシが目ざとく見つけた?なホテル。「時間単位だから一目瞭然だよ」。ごもっとも。料金の数字の色が違うのは最近値下げしたのか、あるいは値上げしたのか・・・。
   

旅の空から~食べ物あふれる東京で食べ物屋探し

2018年10月09日 | 日々の風の吹くまま
10月8日(月曜日)。晴れ。暑い。台風一過のインディアンサマーかな。日本は(何のだか忘れたけど)三連休の最終日。そういえばカナダも感謝祭の三連休なんだっけ。朝ご飯はサザンテラスの端にあるフレンチベーカリーのテイクアウト。2年前に来たときは「ゴントランシェリエ」という名前だったのが今は「ブールアンジュ」になっている。でも、店内の様子も並んでいるものも変わっていないようなので、好きだったアーモンドのクロワッサンと普通のクロワッサン、りんごジュース、コーヒー(カレシはサラダとトマトジュース)をテイクアウト。ホテルはけっこう居心地が良くて、住み慣れたような感じなので、窓から見えるスカイツリーを眺めながら、のんびりと朝ご飯。(前の夜もデパ地下で和食弁当とワインとサラダをテイクアウトして、ピクニック気分の晩ご飯だった。)

東京では18泊の長逗留なので、ばたばたせずに、午前中はホテルの部屋で2人ともラップトップに向かって過ごし、昼ごろから主に2人のおでかけ、夜は友だちに会い、特に予定がない日は2人の時間、という日課を組んでいるけど、旅の空は秋空のごとくだから、ここはplay it by earで行かないとね。ホリデイなんだもの、あくせくすることないっしょ(と北海道語)。でも、それではランチをばと出かけたのはいいけど、新宿区界隈は人、人、人。特に休日だから、どのデパートもレストラン街は外にずらりと順番待ちの列。そのために椅子を用意してあるのは、待つのがあたりまえだからなんだろうな。カレシ曰く、「日本の人は行列するのが好きなんだねえ」と感心しているのか、呆れているのか。とにかく新宿駅南口界隈は絶望的と判断して、西口方面に方向転換。甲州街道沿いに歩いて、都庁ビルの後ろ側からかっての定宿の京王プラザまでてくてく。ここのカフェならと思ったんだけど、あら、やっぱり待っている人がいる。同じフロアにあるバフェのレストランなんか長蛇の列だからびっくり。

ずっと歩いて来てくたびれたので、待ち行列に参加(といっても3番目だったけど)。15分ほど待ってテーブルに案内されたのは2時過ぎで、優雅なサンドイッチとコーヒーで遅いランチになったけど、これって一時言われた「昼食難民」なのかな。もっとも三連休だから、人がどっと出てどこも混雑しているってことかな。まあ、東京圏の人口はカナダの総人口より多いんだからしょうがないけど、これだけいたるところに食べ物屋があるのに、行列して待たないと2人連れがご飯を食べられないというのはすごいことだと思うな。テレビだって何やかやと食べてるシーンばかりで、景気が良くても悪くても日本人は食べることに関しては困っていないってことだもんね。(もっとも、2人で朝ご飯やランチをして数千円というのが高いのか安いのかは、物価の水準が違うからまったくもって見当がつかないけど。)

晩ご飯は、連休のお出かけが終わって家路につくために早い時間に満席になって行列する椅子もなくなるだろうと推測して、8時を過ぎてから高島屋の上のレストラン街に行ったら図星で、ハワイ料理でゆっくり食事。うん、東京ではン千万人とレストランの席取り競争をするわけだから、食べ物があふれているところで食いっばぐれるなんて皮肉なことにならないように知恵を働かさないとね。

旅の空から~台風到来で危うく立ち往生

2018年10月09日 | 日々の風の吹くまま
10月7日(日曜日)。雨。台風25号が午前3時に温帯低気圧になったそうだけど、北海道の西側は朝から大荒れで、交通機関は陸も空も海も「欠航」。うはぁ。私たちの羽田行きの便は13時35分。ゆうべテレビのニュースで見たときは、ちょうどその頃に台風の中心が釧路の上を通るような予想だったから、温帯低気圧になったからって大丈夫とは言えないな。欠航になったら、よく月曜日の便は連休最終日とあって全便満席だから、振替便は火曜日。まあ、きのうのうちに東京のホテルには事情を説明して予約をキープしてもらったし、泊っているホテルも最悪2泊の滞在延長をOKしてもらったから、空港で立ち往生ということはないからいいけど、カレシは「帰れるのか帰れないのか」がわからないことがストレス。あのさ、こういうときはplay by ear(臨機応変)で乗り切るしかないの。これも旅の冒険のうちよ。

今回はラップトップ持参だから、朝から釧路空港の「運行状況」のサイトを睨んで、飛ぶのか、飛ばないのか。でも、「天候調査中」だった朝1番の千歳行きが搭乗中になり、出発済みになったので、お、希望の光がちらちら。次の羽田行きの便もゲートに案内中になって、ますます明るくなって来たぞ。あとは折り返しで私たちが乗る羽田からの便が欠航にならなければ、まず大丈夫。東京に帰れる確率は70%くらいかと踏んで、とりあえず荷物をまとめて、いつでも出られる用意。

午前10時に寿子が迎えに来て、釧路で最後の予定になっていた「私を取り上げてくれたお産婆さんの息子さん」に会いに、釧路聖パウロ教会へ。寿子が吉良平治郎のリサーチをしていて、郵便局を運営していた(キリスト教徒の)津田家と平治郎のつながりを見つけ、のち助産婦になったスガさんが一時郵便局で働いていて、その息子が聖公会の司祭をしていて、寿子の博物館ボランティアのつながりでワタシのことが先方に伝わって「ぜひ会いたい」ということになった・・・という何だか「古い釧路」を思わせる話。臍の緒を巻きつけて、大変な難産の末に仮死状態で生まれたワタシを津田さんが「この子を生かしてください」とお祈りしながら手当てして命を救ってくれたのだと両親に聞いていた。

スガさんの息子さんにあたる津田司祭は涙を浮かべてワタシの手を取って迎えてくれて、いつも財布に入れて持っているスガさんの写真を出して見せてくれた。ちょうど日曜日の礼拝が始まって、ワタシも最後までいられなかったけど、祈祷書の言葉を唱和して、献金させてもらった。ワタシがキリスト教の感化を受けた教会は日本キリスト教団だったけど、カレシの家系は代々カナダ聖公会で、同じく英国国教会にルーツを持つ宗派なわけで、これも何かのご縁なのかな。フライトの状況をチェックしなければならないので、短い対面だったけど、別れ際に、あのとき救っていただいた赤ん坊は元気に70歳になりましたとお母様にご報告くださいねとお願いして来た。

釧路ではほんとに人と人の縁、社会でのつながりの不思議さをひしひしと体感して、精神的に豊かな実りの多い旅だったと思う。そう、ワタシは幣舞橋の見えるところで生まれて、霧笛を聞いて育ったちゃきちゃきの釧路っ子、そして道産子5世の根っからの北海道人なんだよね。それがワタシの人間的、文化的なアイデンティティのルーツなのだと確信できたわけで、釧路に行ってほんっとによかったぁ。

ホテルに戻って、空港の運行状況をチェックしたら、午後1時着の羽田からの便が「欠航」になっていない。とっくに出発しているはずの時間だから、うん、ANA742便はゴーだ!寿子に空港まで送ってくれる?と聞いたら「もっちろん。あっちでランチしよう」。よし、即行で荷物をまとめて、フロントデスクに降りて、かくかくしかじかでチェックアウトするけど、今夜の分を含めて清算すると言ったら、「まだチェックインの時間ではないので、昨夜までの3泊分で結構です」。でも、けさのチェックアウトの時間はとっくに過ぎているので超過分は払うと言ったら「まだ今日のチェックインの時間ではないのでよろしいです」。というわけで、当初予定の3泊分の支払いを済ませて、一路空港へ。

スーツケースを預けてから、搭乗時間まで寿子と3人でランチ。空港は何となくがら空きの感じなのは、飛ばないと思ってキャンセルした人たちが多かったのかな。742便もずいぶん空席が目立っていた。定刻に離陸した飛行機は予想された乱気流にまったく遭遇せず、全然揺れないままで予定より10分も早く羽田に着いてしまったからびっくり。あの台風は何だったんだろう。温帯低気圧に格下げされたとたんに意気消沈してしまったのかな。人騒がせにもほどがあるなあ。でもまあ、予定通りに帰って来れたのは何かの「ご縁」なのかもしれない。妹の家に直行して荷物を引き取って、義弟に送られて定宿になっている新宿南口のセンチュリーサザンタワーへ。さて、これから2週間半、腰を落ち着けて東京のホリデイを楽しもうっと。

旅の空から~ふるさとは健在なりき

2018年10月08日 | 日々の風の吹くまま
10月5日(金曜日)。釧路は晴れ。プリンスホテル最上階のレストランでバフェの朝ご飯。おおむねスクランブルエッグとウィンナーとクロワッサンとコーヒーだけど、大好きな太いフキがあったので小皿に山盛り。カレシも気に入って山盛り。料理が並ぶテーブルの隅に自分でゆでて作るラーメンがあったので、えっ朝ご飯にラーメン?とびっくり。大型台風が近づいているという話だけど、外はいい天気。寿子が迎えに来る前にちょっと岸壁の方を散歩。後部に小船がついている変わった船があったので、通りかかったおじさんに聞いたら、「イワシ漁の船だよ。今が盛りでさ」。へえ。刺身で食べられる?と聞いたら、「食べられるさぁ。うめぇんだから」。
   
   イワシ漁船

先住民同士の文化交流の話をしたらさっそくリサーチしてくれた寿子が10時に迎えに来て、今日は吹雪の中で遭難した「アイヌ逓送人吉良平治郎」が歩いた道を南大通郵便局から辿って、遭難記念碑まで。降りしきる雪の中で気の遠くなるような距離を不自由な体で郵便の重い荷物を背負って歩いたとは超人的としか言いようがない。碑が立っている丘の上からの風景はアイルランドの僻地ディングル半島を思い出させる。今年90歳になるというおじいちゃんが碑の回りに作った花壇の手入れをしていた。この地で雪に埋もれて遭難死した平治郎を慰めたくて、釧路市内から通って来て花を育てているんだそうな。ビニール袋に雨水をためる仕掛けを作り、鹿に荒らされないように花壇には網をかけ、自分は腰に熊よけの鈴を下げて、「好きでやってんだから」とにこにこ。

丘を降りて昆布森の浜へ。その名の通り、昔から昆布を生産して来たところで、新しい家と潰れそうな古い家が混じった小さな集落。懐かしい浜の匂いに引かれてウミウが群れている波打ち際へ。写真を撮っていたら、急に私たちの後ろから大きな波が這い上がって来て、ざぶん。故郷の海に足を洗ってもらった感じだね。いつか死んで遺灰を太平洋に流してもらったら、きっとこの浜にも流れ着くんだろうな。
   
   
   昆布森の浜

ランチの後、午後は寿子に連れられて道立釧路芸術館へ。寿子とともにギフトショップでボランティアをしている級友の由美子を驚かそうという趣向で、ほぼ60年も会っていなかったのに、目が合った瞬間に「あらぁっ」。ちょうど展示中だった脚本家倉本聰の点描画を見て行けと言われて中に入ったら、鳥肌が立つような作品がずらり。紹介されている脚本家としての考え方にもすっかり感動して、共鳴して、ギフトショップで作品集を買って、ああ、来てよかったぁ。
夜は(今はない)東栄小学校の「クラス会」。1年から6年まで一緒だった百合子、由美子、敬子、順子、保、寿子、そしてワタシ。みんなめでたく70歳。漁師の息子だった保は早朝から父親と漁に出て、学校ではよく居眠りをしていた。休み時間に先生に「朝から働いて眠いんだ。寝かしとけ」と言われて、そうっと廊下に出て遊んだ私たち。戦後の日本が貧乏だった時代、道東の霧深い最果ての地にはまだテレビもなかったから、身の回りだけが私たちの世界で、津軽海峡以南は社会科の教科書に出て来るどこか遠い国。あの頃は子供が子供らしく過ごせた幸せな時代だったのかもしれないな。

☆☆☆☆☆


10月6日(土曜日)。晴れ。台風25号が日本海側から接近中。9時半に寿子が迎えに来て、今日は「アイヌ逓送人吉良平治郎」の脚本家に会いに阿寒湖畔へ。「阿寒湖アイヌシアター運営評議会」事務局長の尾田氏がその人で、まずコタンを案内してくれて、床ヌブリという彫刻家が残した作品を見せてもらった。釧路の姉妹都市バーナビーの山の公園に作品があるとか。我が家からいつも見えている山。帰ったら見に行かなくちゃ。アイヌ料理でランチをして、アイヌシアター「イコロ」で古代舞踊を鑑賞。BC州の先住民の音楽とよく似たところがあるのは、遠い祖先のつながりかな。女性がお盆を奪い合うゲームを現した踊りでは、カレシが舞台に引っ張り出されて参加したはいいけど、見事にお盆を受け損ねて大笑い。最後は観客も参加しての輪舞。
   
   樹木の精霊が現れたような・・・(床ヌブリ作)

若い人たちが自分のアイデンティティに誇りを持てるようになったのは大きな進歩だと思う。ワタシにはアイヌ人の地は流れていないけど、縄文人の遺伝子が濃い方だと思っているからか、音楽も踊りのリズムもすぅ~っと心の奥に響いて来て、ワタシは「縄文系北海道人」なんだという自分なりのアイデンティティができたような実感を得られた気がする。単一民族を鼓舞する日本にだって独自の高い文化を持つ先住民族がいるってことをもっと世界に知らせたいね。そのためにもやっぱりすぱっとリタイアして文化交流プロジェクトにエネルギーを向けることにしよう。うん、新しい勉強が始まるぞ。
釧路へ帰る尾田氏と別れた後はちょっと阿寒湖畔の散策。昔ながらの温泉旅館がたくさん。うん、小学校の修学旅行は3泊の阿寒の旅だったな。6年生は8組か9組あったから、連なった観光バスもすごい数だったけど、今のように立派なバスじゃないから、座りっぱなしでお尻が痛かった。止まった旅館での騒ぎもすごい音量で、今さらだけど、ご迷惑をおかけしました。ボッケと呼ばれる泥火山を見に行ったけど、何か乾いて固まってしまって、昔のようにぼこっ、ぼこっと大きな泥のあぶくが見られないのが残念。でも、阿寒湖畔からの帰り道、丹頂鶴が刈り終わった牧草地で草を食んでいるのか、虫を食んでいるのか、あっちに2羽、こっちに3羽と見えて、写真を撮るために路肩のない車線に車を止めてちょっとした渋滞を起こしている札幌ナンバーの車。道路近くにいた鶴が何かに驚いたのか、そそくさと私たちの車の前の空を横切って飛んで行った。
   
   丹頂鶴が飛ぶ

旅の空から~冒険の始まり

2018年10月08日 | 日々の風の吹くまま
10月3日(水曜日/日本時間)。出発が遅れたので、定刻より1時間近く遅れて成田着。入管の外国パスポートのセクションは1時間はかかってしまいそうな長蛇の列。そこで機内でもらった「ファストレーン」用のクーポンを見せて通りかかった職員にそういうのがあるのかどうか聞いてみたら、ある。ファーストやビジネスクラスの外国人客だけがもらえるのものようで、案内されたのは誰も並んでいない窓口。おかげで入国管理はすいすいと進んで、遅れた時間を取り戻した感じ。すぐにバスの切符を買って、ソフトバンクのカウンターでSIMカードを入れ替えてもらって、お、鳴った。何かと幸先がいいねえ。

東京ステーションホテルについて、おなかがすかないのでそのまま銀行のカードを受け取りに行くことにして、勇んで総武線快速に乗ったら、ありゃ、どこかで人身事故があって、馬喰町でストップ。乗り換えや代替ラインのアナウンスは皆目見当がつかないし、いつ動くかわからないしで、外に出てタクシーを捕まえようとしたら、「空車」の表示をしているのに止まるそぶりも見せずに通過。何で?「外国人の方お断り」なのかな?それって差別でしょうが。オリンピック主催国がそれでいいのなかあ・・・。

何とか新小岩駅に着いて、迎えに来てもらって妹の家に到着。やれやれ。銀行のカードをもらって、カレシが疲れる前にホテルに帰るつもりで、駅まで送ってもらって、駅前の銀行で軍資金をどかっと引き出して、総武線各駅停車に飛び乗ったのはいいんだけど、お茶の水で停まったってことは東京駅には行かないってことじゃないの。慌てて次の水道橋で降りて、秋葉原駅で山手線に乗り換えて、やっとホテルにたどり着いて、ああ、くたびれたぁ。


東京ステーションホテルの部屋の窓から見た丸の内南口

10月4日(木曜日)。晴れ。朝食込みの宿泊なので、東京駅の中央部分の三角屋根の中にあるレストランで朝ご飯。ホテルは1915年開業当時の姿に復元したというだけあって、古き良き文明開化の香りといった感じでエレガント。だけど、部屋は少々オーバーデザインという感じで、トイレに入ってドアを閉めると自動的に蓋が空いたり水が流れたりで、えええ?という気分で何か落ち着かない。ま、長逗留にはちょっと向いていないかも。でも、朝ご飯のブッフェは良かった。特にシェフがアボカド半分にツナサラダとポーチドエッグを載せて、ホランデーズソースをかけて焼いてくれた「アボカドベネディクト」は絶世の味だった。

朝ご飯が済んだら、釧路に持って行かない荷物をまとめた大きいスーツケースを妹の家に預けに行って、ランチ。日本のデニーズはカナダのデニーズとは全く違って何倍もいいね。羽田まではタクシーとモノレールを乗り継ぎ。国内線の搭乗手続きは国際線のような緊張感がなくていい。襟裳岬の向こうに壮大な夕日が見えた。たんちょう釧路空港からはタクシー。運転手さんのこてこての釧路弁がまさに「ふるさとの訛り懐かし」。日本にはいつも「来る」という感覚だけど、北海道に来ると「帰って来た」と実感するワタシはやっぱり「北海道人」なのだ。

ホテルのロビーで小学校1年生からの大の仲良しのJ子が待っていてくれて、「あらぁ、げんきぃ~。うれしぃ~」と抱き合って飛び上がっての再会のあいさつ。荷物を置いてさっそくの夕ご飯はホテル裏の古くからある酒場。オーナーのおっちゃんと釧路の昔話をしながら食べた獲れたてのサバとさんまの刺身はおいしかったぁ~。あの人、この人と子供のころの記憶にある名前がポンポン飛び交って、あらぁ、あれぇの連発。昔の釧路っ子はみんなどこかでつながってたのかなあ。

おっちゃんに、住吉町の幣舞橋の見えるところで生まれて、米町で夜な夜な灯台の霧笛を聞いて、弁天浜で遊んで育ったのと言ったら、じゃあ、あんた、正真正銘の釧路っ子ってことだべ」。ああ、ふるさとは健在なりき・・・。

旅の空から

2018年10月05日 | 日々の風の吹くまま
10月1日(月曜日)曇りのち晴れ。ゆうべは8時過ぎにホテルにチェックインして、ホテルを
出て階段を下りてすぐのアメリカ線チェックインカウンター、国際線チェックインカウンター、
国内線ターミナルと歩いて戻って来て運動代わり。主に中国行きの便に乗る人たちで大賑
わいで、表示板には午前1時とか2時というもろにレッドアイ(赤目)便の出発時刻がずら
り。部屋の窓から見えるアメリカ便のゲートに止まっている飛行機はさすがに少なかったけ
ど。

ホテルのバーでナイトキャップを引っかけて寝たのが12時近くで、起きたのが8時近く。ファ
ストフードは健康的に見えなかったので、朝ご飯はホテルのレストランでコンティネンタルの
バフェ。カレシの提案で、チェックアウトの前に預けるスーツケースだけを持ってエアカナダ
のカウンターに行ったら、すごい行列。とっくに搭乗券があって荷物を預けるだけなのに並
ばされて、やっと入り口にたどり着いて手荷物のタグを印刷する機械の方に行かせてもらっ
て、搭乗券のバーコードをスキャンしたけど、ダメ。係の人を捕まえて助けを求めたら、ビジ
ネスクラスはあっち(国内線ターミナル)に入ってすぐのカウンターで国際線の手荷物も受け
付けているから、そっちへ行きなさい。えええっ~。

そういえば、前回も機械でタグを作れなくて、預けるカウンターでやってもらったっけ。ビジネ
スクラスのタグには赤い「優先扱い」のタグを貼るから、機械は使えないのかもしれないな。
入り口で整理していたおっちゃんに搭乗券を見せたのに、見てなかったんだろうな。(私たち
も搭乗券の下のほうの但し書きを読んでなかったから、そこに書いてあるんなら五分五分っ
てところかな。)おかげで20分くらい無駄にしちゃったけど、もうひとつ賢く?なったってこと
で、この次はしかるべきカウンターに直行すればいいだけの話だよね。ホテルに戻って、身
軽になってチェックアウトしてそのまま検査場へ。日本に帰る修学旅行の子供たちがぞろぞ
ろいてびっくり。

荷物のコンベアが故障したとか、遅れている乗り継ぎ客を待っているとかで、結局は1時間
近く遅れて離陸。ビジネスクラスは全席が「通路側」で、お互いの姿が見えないようにしてあ
るので、カレシと話をするのに通路に身を乗り出さなければならないのがちょっとめんどうで
はあるけど、こうしてブログなんぞを打っていられるおひとりさまの空間はいたって快適。

東京は台風一過、こっちは旅の準備台風

2018年10月01日 | 日々の風の吹くまま
9月30日(日曜日)。雨。じゃぶじゃぶと降っていて薄暗いので、朝から照明を点けていない
と気分までがどよぉ~んと暗くなってしまう。でも、今日はどんよりしているヒマなんかないの
だ。まずはなぐり書きのチェックリストを見ながら、持って行くものを集めて、預ける手荷物に
入れるものとキャリーオンに入れるものを仕分けする作業。カレシがあれを持って行く、い
や、持って行くのはやめる、いや、やっぱり持って行くと、なかなか決まらないから困る。そ
れでも、(ワタシが)真空パックする衣類はまとめてスツールの上にどんっ。ワタシも衣類を
バスケットにひとまとめにして、着るものの算段は終了。

次は会う人たちの電話番号やメールアドレスのリストを作る作業。前回は電話番号を間違
えて記入したりして、東京についてからひと苦労したから、今度は念入りに打ち込んで、念
入りに見直して印刷。今までは何ともつながりの悪いガラケーをレンタルしていたけど、今
回はスマホ用に音声通信のできるソフトバンクのSIMカードをレンタルすることにして、番
号の予告を選択しておいたら、今日東京での「携帯番号」のお知らせが来た。これで、東京
に着いてからの連絡体制はオッケー。デジタル時代になって、こういうところはほんとに便
利になったと思うね。昔は赤電話、青(緑?)電話が頼りで、連絡は一方通行だったもん。

後はメールを2、3本書いて、最後に留守番サービスに来るシーラが使うビジター用延長駐
車パスを作って、印刷して、ほぼ準備は完了。ビジター用駐車場は地上階と地下1階の有
料駐車場を通り抜けて下りて行くと、居住者用駐車場(地下2階と3階)に入るゲートのすぐ
外にあって、約30台分のストールが指定されている。ここに止めるには居住者が持ってい
るビジター用パスが必要で、最大月に7回まで。(居住者の利用は厳禁。)夜通し止めるに
は別に夜間駐車用パスが必要で、最大3夜まで。さらに3日以上連続して止める場合は延
長パスが必要になる。シーラの場合は24日なので、管理人のバレンティナと相談して7日
分ずつ4枚。ま、シーラは所有者の私たちがお金を払って泊ってもらうのであって、(規約で
禁止されている)民泊ではないと説明してあるから問題はないけど。

明日は午後にシーラが来て留守中のチェックリストを確認して、夜に空港のホテルに行くま
でたぶん大車輪になるから、今夜はゆっくり寝ておかなくちゃね。