【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

真摯な時代の青年たち Ⅱ

2009-07-11 15:56:56 | 心の宝石箱


     昨日の鬱陶しい雨は上がり、
    今日は、“朝から太陽” になりました。

     ただ、この季節のお天気は、ジト~ッ。
    何とも不快で苦手ですが、でもこの湿度・・
    悪い事ばかりではありませんね。 

     本来なら、風邪とは縁の切れる季節。
    しかしながら新型肺炎、一時のような大騒ぎこそなくなりましたが、
    巷では、まだまだ深く潜行して?・・蔓延しているようです。
    こんな事も新型の新型たる所以(ゆえん)でしょうか・・。

     さて、合間、合間に、音読で読み進めています、司馬遼太郎著、『坂の上の雲』。
    遅々としか進みませんが、2巻を読み終え、3巻も半ばを越えました。

     2巻では、日清戦争の勝利、正岡子規の壮絶な死。
    その上、日本としては到底勝ち目のない、日露戦争勃発の雲行き。

     日本としては、あらゆる外交努力をして、戦争を回避しようとしています。
    その一つが日英同盟。この当時の英国と、極東の弱小国日本との同盟など、
    驚き以外、何もないでしょう。今とは比べ物にならない、外交の巧みさ。
    
     でも、ロシアは他のヨーロッパ列強国から遅れた事もあり、
    遮二無二、南下政策を繰り広げ、満州、朝鮮、果ては対馬までやって来る始末。

     このままではロシアの植民地になってしまう・・。日本国、存亡の危機。
    そんな、やむにやまれぬ時代背景があったようです。

     開国して僅か30年。勝つ筈のない戦争。やるからには勝たなければならない。
    負けると植民地。国を思い、命を懸けた必死の戦い。
        
     のっけから第二次世界大戦とは始まりの動機が違います。
    いみじくも、日露戦争当時の国民の様子が本文に描かれています。    
・・・司令長官、上村彦之丞に対する投書、
あるいは新聞、演説会での罵倒が、いよいよ甚だしくなった。・・略・・
 この辺りが、明治の30年代国家の面白さであろう。
国民が艦隊を追い使っているような位置にあった。
租税で艦隊を作って上村に運営させている。
上村は国民の代行人であり、代行人が無能である事を国民は許さなかった。
 ついでながら昭和10年代の軍事国家としての日本は、
軍閥が天皇の権威を借りて日本を支配し、あたかも彼らが日本人の
居住地であるこの国を占領したかのような意識の匂いを持った。
当然、国民は彼らの使用人になり、末期には奴隷になった。
日露戦争当時の国家と、昭和10年代の国家とは、質まで違うようであった。



   日露戦争は、ロシアの自滅? と、強いて挙げるなら日本の優れた計画性と、
  敵軍のそんな事情のために、かろうじて勝ったものですが、
  この事を国民に教える事もなく、国民も知ろうとしなかった・・と、作者も書いています。

   勝ったために、勝利を絶対的なものにし、日本軍もその反省をせず、
  国民も、それまでの国民的理性が大きく後退して、
  日本軍の神秘の強さを信仰するようになった・・とは、皮肉なものですね。

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