ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダの作品には、「地下水道」(56)「灰とダイヤモンド」(57)「大理石の男」(77)「ダントン」(82)「愛の記録」(86)「悪霊」(87)「コルチャック先生」(90)「鷲の指輪」(82)などがあります。
いずれも社会派と呼ばれる映画たちです。なんとなくむずかしそうで、ハリウッドのアクション映画やラブロマンス、コメディなどを見慣れている映画ファンには、あんまり縁のない作品かも知れません。
しかし、ワイダ監督の名は映画ファンの間では今や巨匠。もし未見の方は、一度は見ておいてもいいかも。公開される2007年の「カティンの森」は、ワイダ監督にとって最も重要な位置を占める作品だそうです。
ワイダ監督の父親は、第2次世界大戦中に起きた“カティンの森”事件で他のポーランド将校たちと共に、ソ連軍に虐殺されました。母親も夫の帰還がなくなったことで失意の中、亡くなります。ワイダ自身の過去…。
この事件の真相を知ったのは、監督デビュー間近かの1950年代半ば。自分の手で映画化したいと強く熱望しますが、時代は冷戦下。映画化が許されるはずもなく、まして語ることさえできない時代だったのです。
事件から70年近く経ち、ようやくワイダ監督の長年の想いが叶ったというわけです。2008年アカデミー賞の外国語映画賞にノミネート。1926年3月6日生まれのワイダ監督にとって、この作品を製作した時、81歳。最後かも。
1939年9月1日、ポーランドはドイツによって侵略。さらに17日にはソ連が…。捕虜となったポーランド人将校、約15,000人が謎の行方不明になります。やがて1943年春、ドイツによってカティンで数千人の遺体が発見されます。
ドイツはソ連の仕業とし、ソ連は否定し、ドイツの犯罪と糾弾します。映画はこの“カティンの森”事件を、残された日記や手紙を元に描かれます。捕えられた将校たち、彼らの帰還を待つ家族たち…戦争によって翻弄される人たち。
事実は、1989年秋ポーランドの雑誌が虐殺はソ連軍によるものという証拠を掲載。1990年、ソ連政府は内務人民委員部(後のKGB)による犯罪と認め、2年後、ロシアのエリツィン大統領が、スターリンが直接署名した命令によるものだったと言明。
そんなことがあったなんて。まだまだ戦争の傷は癒えないのですね。
いずれも社会派と呼ばれる映画たちです。なんとなくむずかしそうで、ハリウッドのアクション映画やラブロマンス、コメディなどを見慣れている映画ファンには、あんまり縁のない作品かも知れません。
しかし、ワイダ監督の名は映画ファンの間では今や巨匠。もし未見の方は、一度は見ておいてもいいかも。公開される2007年の「カティンの森」は、ワイダ監督にとって最も重要な位置を占める作品だそうです。
ワイダ監督の父親は、第2次世界大戦中に起きた“カティンの森”事件で他のポーランド将校たちと共に、ソ連軍に虐殺されました。母親も夫の帰還がなくなったことで失意の中、亡くなります。ワイダ自身の過去…。
この事件の真相を知ったのは、監督デビュー間近かの1950年代半ば。自分の手で映画化したいと強く熱望しますが、時代は冷戦下。映画化が許されるはずもなく、まして語ることさえできない時代だったのです。
事件から70年近く経ち、ようやくワイダ監督の長年の想いが叶ったというわけです。2008年アカデミー賞の外国語映画賞にノミネート。1926年3月6日生まれのワイダ監督にとって、この作品を製作した時、81歳。最後かも。
1939年9月1日、ポーランドはドイツによって侵略。さらに17日にはソ連が…。捕虜となったポーランド人将校、約15,000人が謎の行方不明になります。やがて1943年春、ドイツによってカティンで数千人の遺体が発見されます。
ドイツはソ連の仕業とし、ソ連は否定し、ドイツの犯罪と糾弾します。映画はこの“カティンの森”事件を、残された日記や手紙を元に描かれます。捕えられた将校たち、彼らの帰還を待つ家族たち…戦争によって翻弄される人たち。
事実は、1989年秋ポーランドの雑誌が虐殺はソ連軍によるものという証拠を掲載。1990年、ソ連政府は内務人民委員部(後のKGB)による犯罪と認め、2年後、ロシアのエリツィン大統領が、スターリンが直接署名した命令によるものだったと言明。
そんなことがあったなんて。まだまだ戦争の傷は癒えないのですね。