毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
梅雨にしっとりと
濡れそぼる紫陽花は
風情があるが、
晴れ間に輝くように
咲き誇る様もまたよい。
庭の紫陽花が
やっと色づきはじめ、
薄桃色や薄青色が
青々とした葉に浮かぶように
咲き誇っている。
庭には
三種の紫陽花が
植えてあるが、
それぞれ趣きの異なった咲き様で、
この梅雨の間、
目を楽しませてくる。
文章を書いていて、時々、
「佐々木」の「々」を使う場面があり、
どう読むのか、どうやって変換するのか
分らなくて、長いこと
一々「佐々木」とタイプしてから
前後の文字を消すという
まどろっこしいことをやっていた。
最近、調べてみたら、
「々」は、「同の字点(どうのじてん)」
と呼ばれるもので、
「どう」「おなじ」「くりかえし」
と入力すると変換できることを知った。
この字の由来は、
「同」の別字体である
「仝」が変化したという説や、
やはり繰り返しを意味する
「二」の字が変化したもの、
などの諸説ある。
一見、漢字のように見えるが、
あくまで反復記号の一種で
読みは無い。
「々」の字形を分解すると
「ノ」+「マ」のように見えるので、
俗に「ノマ」とも呼ばれるらしい。
「ヽ」「ゝ」なども同様に記号で、
躍り字、重ね字、送り字、
などと言うようだ。
「会社-社長」「民主-主義」のような
意味が区切れる場合は
使用しないことが原則のようだが、
「公演会々場」のように
使われることもあるようだ。
結婚や葬式に関しては、
同じ漢字を繰り返すことは、
再婚や不幸の繰り返しを連想させ
縁起が悪いため、
「結婚式々場」「告別式々場」
と表記することが多いという。
二字熟語を重ねるときにも
使うことがある。
部分部分 → 部分々々
後手後手 → 後手々々
「湯湯婆」(ゆたんぽ)のように
同じ漢字を重ねても
読みが異なる場合には用いない。
梅雨の晴れ間は
気が晴れるような
思いになるが、
街々の紫陽花が
咲き誇る頃である。
元檀家でもあった
常光寺の鐘楼と
紫陽花のコントラストが
美しかった。
福島に住んでいて
京都っぽい風景を見つけては、
フォト・フレームで
風景を切り取っている。
休日に暇ができると、
時折、自転車に乗って
ブラリと母校を見にいくことがある。
梅雨の晴れ間に
熱中症にならないように、
首に保冷剤バンドを巻いて、
清明小に出かけてみた。
3.11以後は1年近く
除染が終わるまで
雑草で覆われていた校庭も
元の姿に戻っている。
体育館には、
震災直後の避難所のときに、
ボランティアでカウンセリングに
出かけた。
除染の折に、
ここに長らく埋め込まれていた
古タイヤが全部
撤去されたようだ。
清明幼稚園も母校だが、
モニタリングポストは「0.152」と
低い値を示していた。
3.11以前の
福島市の数値は、
「0.05」だったというので、
まだ、その3倍の放射線値である。
「場面かん黙の子」と
カウンセリングで
3年付き合っているが、
最近、少しずつ話せるようになってきて、
時々、自分の先生でもある
碧水先生の歌を治療の一環として
用いている。
歌の持つ生命力と雅味が、
病んだ子どもたちの心に
響いてくれればと
願いながら祈りながら、
「短歌療法」を実践している。