日に日に
陽気になり
日中20℃を越す日が
増えてきた。
できるだけ、
毎日歩くのを習慣にするのに
リュックを背負っての
ウォーキング買い物を
続けている。
この時季は
花粉の飛散量が多いので
マスクは必須だが、
アレグラのおかげで
全身症状は軽くて済んでいる。

毎日のように、
あちこちの古書店を巡っては
「背取り(ブック・ハンティング)」を
している。
稀覯(きこう)本に巡り会うのは
滅多にもないが、
それでもヤフオクの初期に
月商5万位のネット古書店を
細々と副業としていたので、
毎月100冊ほどを背取りして
仕入れていたから、
目利きには自信がある。
その商いもアマゾンの
宅配システムが登場してからは
立ち行かなくなって、
在庫を500冊ほど抱えて
倒産の憂き目に遭った。
もっとも、
全部100円本だったので
5万ほどの負債額という
みみっちい規模だが・・・(笑)。
*
昨日も、
100円コーナーから
深巳琳子の珍しい作品を見つけて
胸が躍った。
『沈夫人』シリーズで
注目を浴びた作家だが、
それ以後、6年ぶりの
第二作目のようである。
偶然にも、
先日までハマッていた
後期ルネッサンス期の
フィレンツェを舞台にした
『アルテ』に似た時代背景の旅物
という食指の動くものだった。
しかも、
珍しく書店の新刊書用ラップが
かかったままの状態で、
おそらくは閉店した書店から
買い取ったものと推察できた。
2017年4月発刊なので、
こんな準古書を発見するのも
背取りの楽しみである。

散歩の道すがら、
よそ様の庭に咲く花々にも
ふと目がとまる。
散歩道に面した花々は
瞬撮させてもらう。
黄水仙だけは
その高貴な香りをも
瞬嗅ぎさせてもらった(笑)。
毎年、驚くが、
ご近所の庭の端っこには
フキノトウがきまって
二輪だけ咲く。
それで、思い出したが、
去年、山から根っこごと
移植した我が家のフキノトウは
はたして芽を吹いてくれるのだろうか。
なんだか、
またフキノトウ・フィーバーの
スイッチが入りそうである。
今日からさっそく
自生地をハンティングして廻ろうかと
ソワソワしてきた。
人生、ソワソワ、ワクワクは
時めきにも似て、
大事に味わいたいものである。

昨晩のNHKニュースで
ソータが「詰め将棋選手権」で、
またまた史上初の四連覇したことが
速報で伝えられた。
今朝のニュースや
ワイドショーでも
喧伝されていた。
朝刊を開いたら
もうトピックが載っていた。
「指し将棋」よりも
「詰め将棋」の方が好き、
と公言しているソータは、
幼少期から一万以上を解いており、
自身でも作品を作っている
「詰め将棋」オタクでもある。
インタヴューでは
「今年もいい作品に出会えて
たいへん嬉しく思いました」
と作家さんたちを讃えていた。
今回もただひとりの
全問正解だったという。
前回は、
1R目を24分で解いて、
記者たちや並み居るプロたちの
度肝を抜いての優勝だった。
行方(なめかた)八段は
「もう人間じゃないです。
バケモノです」
と呆れ果て、
朝日杯決勝の相手だった
広瀬八段は
「自分が1問解いてる間に
5問全問解き終わってました。
あと5年くらいは彼の天下でしょうね」
と桁違いの凄さに驚嘆していた。
先日の16連勝した
糸谷八段戦でも、
二局中継で
プロ解説者が5人もいても
終盤の21手詰めという
詰み筋をソータが
逸早く見つけて打った。
四段、五段の解説者では
力不足で、
「藤井六段が打ったからには、
詰みなんでしょうね」
と、打たれた手を見ても
まだその筋が読めていなかった。
これでは、
どうあってもソータに
勝てるはずもなかろう、
と思わされた。
ソータには、
一瞬で詰み筋が
映像的に見えるようである。
『レインマン』という
ダスティン・ホフマンの映画では、
床に落ちた一箱分のマッチ棒を
瞬時にその本数が正確にわかるという
驚異的な能力を示すシーンがあった。
それは、精神医学では
サヴァン症候群という
ある種の発達障害として
記述されている。
特異的能力が
高機能であって、
注意欠損や社交機能欠損が
あるような場合である。
それも
スペクトラム(連続体)として
診断され、軽度・中度・重度とある。
ソータは
注意欠損や特異的認知は
多少見られるが、
普通に学校生活を営み、
足も早く、会話も流暢なので、
サヴァンだとしても
社会性に於いては全く問題がない。
幼少期のエピソードを聞くと
対象に対する
興味関心の持つ度合いと
それに取組む度合いが
常人のそれよりも
極めて集中性が高く
遂行能力や学習力が際立っている
学校の宿題はやらなくとも、
詰め将棋を365日やらない日はない、
というし、ただただ好きだから、
それが楽しいからやっている、
と言う。
将棋と出会う以前には、
キュボロという立体迷路や
ユニット折りという
折り紙に夢中になって、
そればかりやっていた、
という。
ある種の人たちには、
「共感覚」という
音から色や動きを感じる機能が
備わっていたり、
「絶対音感」「絶対味覚」
という特異的な能力が
認められている。
ソータも
「駒の機能X」と
「詰み形Y」との間で
複数の変数が絡み合った関数が
<共分散構造分析>の図のように
瞬時に見えるのかもしれない。
それは、
サヴァン的特異的高機能認知能力
という先天的素質と
十年以上かけて一万題もの
ドリル・トレーニングをしてきた
後天的学習の相乗効果に拠るもの
なのかもしれない。
それに加えて、
瞬時にして数兆手も読むという
人間棋士が敵わないAIソフトが
学習道具として備わったので、
彼を凌ぐ相手は当分は
現れないかもしれない。
まさしく、
棋界が畏怖して呼んだ
「四百年に一人の天才」
と言えるのだろう。
*
かつて、
天才・羽生は
「まだ、将棋の神様に
『角』一枚負けている」
と言って
世間を驚かせた。
佐藤名人は
コンピューター将棋ソフトとの
電脳戦で敗れた。
ソータをもってしたなら、
将棋の神様に『金』一枚までの
レベルに達しているのだろうか。
はたまた、
彼の愛用している『エルモ』と
夜な夜な対戦して
打ち負かしているのだろうか。
・・・と、そんな、
盤外での好奇心をも
抱かせてくれる。
明後日には、
五週連続の
『ソータ劇場』の
ライヴ対局がある。
陽気になり
日中20℃を越す日が
増えてきた。
できるだけ、
毎日歩くのを習慣にするのに
リュックを背負っての
ウォーキング買い物を
続けている。
この時季は
花粉の飛散量が多いので
マスクは必須だが、
アレグラのおかげで
全身症状は軽くて済んでいる。

毎日のように、
あちこちの古書店を巡っては
「背取り(ブック・ハンティング)」を
している。
稀覯(きこう)本に巡り会うのは
滅多にもないが、
それでもヤフオクの初期に
月商5万位のネット古書店を
細々と副業としていたので、
毎月100冊ほどを背取りして
仕入れていたから、
目利きには自信がある。
その商いもアマゾンの
宅配システムが登場してからは
立ち行かなくなって、
在庫を500冊ほど抱えて
倒産の憂き目に遭った。
もっとも、
全部100円本だったので
5万ほどの負債額という
みみっちい規模だが・・・(笑)。
*
昨日も、
100円コーナーから
深巳琳子の珍しい作品を見つけて
胸が躍った。
『沈夫人』シリーズで
注目を浴びた作家だが、
それ以後、6年ぶりの
第二作目のようである。
偶然にも、
先日までハマッていた
後期ルネッサンス期の
フィレンツェを舞台にした
『アルテ』に似た時代背景の旅物
という食指の動くものだった。
しかも、
珍しく書店の新刊書用ラップが
かかったままの状態で、
おそらくは閉店した書店から
買い取ったものと推察できた。
2017年4月発刊なので、
こんな準古書を発見するのも
背取りの楽しみである。

散歩の道すがら、
よそ様の庭に咲く花々にも
ふと目がとまる。
散歩道に面した花々は
瞬撮させてもらう。
黄水仙だけは
その高貴な香りをも
瞬嗅ぎさせてもらった(笑)。
毎年、驚くが、
ご近所の庭の端っこには
フキノトウがきまって
二輪だけ咲く。
それで、思い出したが、
去年、山から根っこごと
移植した我が家のフキノトウは
はたして芽を吹いてくれるのだろうか。
なんだか、
またフキノトウ・フィーバーの
スイッチが入りそうである。
今日からさっそく
自生地をハンティングして廻ろうかと
ソワソワしてきた。
人生、ソワソワ、ワクワクは
時めきにも似て、
大事に味わいたいものである。

昨晩のNHKニュースで
ソータが「詰め将棋選手権」で、
またまた史上初の四連覇したことが
速報で伝えられた。
今朝のニュースや
ワイドショーでも
喧伝されていた。
朝刊を開いたら
もうトピックが載っていた。
「指し将棋」よりも
「詰め将棋」の方が好き、
と公言しているソータは、
幼少期から一万以上を解いており、
自身でも作品を作っている
「詰め将棋」オタクでもある。
インタヴューでは
「今年もいい作品に出会えて
たいへん嬉しく思いました」
と作家さんたちを讃えていた。
今回もただひとりの
全問正解だったという。
前回は、
1R目を24分で解いて、
記者たちや並み居るプロたちの
度肝を抜いての優勝だった。
行方(なめかた)八段は
「もう人間じゃないです。
バケモノです」
と呆れ果て、
朝日杯決勝の相手だった
広瀬八段は
「自分が1問解いてる間に
5問全問解き終わってました。
あと5年くらいは彼の天下でしょうね」
と桁違いの凄さに驚嘆していた。
先日の16連勝した
糸谷八段戦でも、
二局中継で
プロ解説者が5人もいても
終盤の21手詰めという
詰み筋をソータが
逸早く見つけて打った。
四段、五段の解説者では
力不足で、
「藤井六段が打ったからには、
詰みなんでしょうね」
と、打たれた手を見ても
まだその筋が読めていなかった。
これでは、
どうあってもソータに
勝てるはずもなかろう、
と思わされた。
ソータには、
一瞬で詰み筋が
映像的に見えるようである。
『レインマン』という
ダスティン・ホフマンの映画では、
床に落ちた一箱分のマッチ棒を
瞬時にその本数が正確にわかるという
驚異的な能力を示すシーンがあった。
それは、精神医学では
サヴァン症候群という
ある種の発達障害として
記述されている。
特異的能力が
高機能であって、
注意欠損や社交機能欠損が
あるような場合である。
それも
スペクトラム(連続体)として
診断され、軽度・中度・重度とある。
ソータは
注意欠損や特異的認知は
多少見られるが、
普通に学校生活を営み、
足も早く、会話も流暢なので、
サヴァンだとしても
社会性に於いては全く問題がない。
幼少期のエピソードを聞くと
対象に対する
興味関心の持つ度合いと
それに取組む度合いが
常人のそれよりも
極めて集中性が高く
遂行能力や学習力が際立っている
学校の宿題はやらなくとも、
詰め将棋を365日やらない日はない、
というし、ただただ好きだから、
それが楽しいからやっている、
と言う。
将棋と出会う以前には、
キュボロという立体迷路や
ユニット折りという
折り紙に夢中になって、
そればかりやっていた、
という。
ある種の人たちには、
「共感覚」という
音から色や動きを感じる機能が
備わっていたり、
「絶対音感」「絶対味覚」
という特異的な能力が
認められている。
ソータも
「駒の機能X」と
「詰み形Y」との間で
複数の変数が絡み合った関数が
<共分散構造分析>の図のように
瞬時に見えるのかもしれない。
それは、
サヴァン的特異的高機能認知能力
という先天的素質と
十年以上かけて一万題もの
ドリル・トレーニングをしてきた
後天的学習の相乗効果に拠るもの
なのかもしれない。
それに加えて、
瞬時にして数兆手も読むという
人間棋士が敵わないAIソフトが
学習道具として備わったので、
彼を凌ぐ相手は当分は
現れないかもしれない。
まさしく、
棋界が畏怖して呼んだ
「四百年に一人の天才」
と言えるのだろう。
*
かつて、
天才・羽生は
「まだ、将棋の神様に
『角』一枚負けている」
と言って
世間を驚かせた。
佐藤名人は
コンピューター将棋ソフトとの
電脳戦で敗れた。
ソータをもってしたなら、
将棋の神様に『金』一枚までの
レベルに達しているのだろうか。
はたまた、
彼の愛用している『エルモ』と
夜な夜な対戦して
打ち負かしているのだろうか。
・・・と、そんな、
盤外での好奇心をも
抱かせてくれる。
明後日には、
五週連続の
『ソータ劇場』の
ライヴ対局がある。