毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
1学期末になり、
そろそろ各校も
今週で勤務が終わるが、
ここにきて、
安定していた生徒たちの
病態が少しく悪化して
「希死念慮」を訴える子が
増えているのが懸念される。
SCがいちばん心配するのが、
生徒に「死にたい」と
言われることである。
その点、
単なる「不登校」なぞは
まだまだ心配の外である。
ほとんどが、
「抑うつ症」で主治医から
抗うつ剤を処方されており、
睡眠障害を伴っているので、
病態・病理を理解しておらず
軽く捉えている教員のようには
いかないものである。
かく言う自分も、
オシリ痛の憎悪する日は、
コロナ気鬱、梅雨気鬱が重なり、
「厭世気分」や「希死念慮」が
フッと顔を出す。
ここ数日の曇天と長雨で
日照時間が少なく、
気温・気圧の低さも
HSP「うつ」には
メラトニンやセロトニンの作用が
低下しているようにも
思われる。
そしたら、
昨日は、そんなタイミングで、
『志らぎく会』の年次会報が
届いていた。
終活の一環として、
医大の解剖教室に
遺体を献体するという
遺志表明をして、
葬儀はやらない旨を
数年前にカミさんに遺言した。
同意書にサインさせられた晩、
一晩中、吐いたというから、
気の毒なことをした。
「うつ」の生徒同様、
常に「希死念慮」が伴うので、
普段から「死に易く」しておこう、
と絶えず身辺整理をしている。
孫のリッ君と
名誉孫のソーちゃんだけが、
今の生き甲斐になっている。
仕事は、
もうそろそろいっかな…と、
いう気もしてきたので、
「気」に入らない、
気の向かない、気の乗らない事は、
お断りすることにした。
そろそろ、本格的に
浮世の「義理を欠く」モードに
入ろうかとも思っている。
人生の残り時間を
「本質的」な事に向き合うためだけに
使いたいとも思っている。
そんな風に思うのは、
「オシリ鬱」「梅雨鬱」
のせいなのか…。
明日にもカラリと晴れたら、
気も晴れるのだろうか…。
でも、
猛暑ともなったら、
遮光カーテン閉めて
冷房寝室でお籠もりである(笑)。
食欲がない日でも、
餡子なら喰える…
というのに気が付いた(笑)。
川田某(なにがし)という
女子アナが餡子フェチというので
『松尾堂』で熱く語っていた。
常に、
何種類もの餡子を
家にストックしてあり、
餡子が切れると
離脱症状が生じるという(笑)。
それに見習って、
各種の餡子を集めてみよか…と、
思い立った。
こういう
クダラナイ事に
血道をあげてないと、
「希死念慮」や「厭世気分」に
勝てやしない(笑)。
【餡子は人類を救う】
である(笑)。
週の三日は、
ベント持ちなので、
朝の3分で
タッパーにご飯を詰め、
ソーセージを焼く。
生のソーセージだけは嫌なので、
必ずやレンチンしてから
バーナーで炙ることにしている。
すると、
キャンプファイヤーで
焼いたような
野趣あふれる味になる(笑)。
ゆんべ作った
肉なし「肉じゃが」の
残りをも入れた。
『王位戦』第二局が
二日にわたり
北海道で行われた。
きのうは
終盤まで
先手の木村王位が優位に立ち、
解説者たちも
「王位の勝勢ですねぇ…」
と、なかば決着を見たかと
諦念の境地にかられた。
ところが、
なかなか“寄せ”の段になって、
ソータの王様が捕まらない。
それどころか、
わずかな隙をみて、
ソータが逆襲に打って出るや、
AI評価値が
「20:80」から「80:20」へ
そして、怒涛の攻めを見せると
「99:1」にまで触れた。
まさに、
奇跡の大逆転である。
そうなると、
AIの申し子みたいなソータは、
「勝利への一本道」を
毛筋も間違わず
指し進んだ。
これまでも、
幾度も見た、
辛抱しながら
相手の攻めを受けきって、
「緩手」を見せた隙に
反転大攻勢をかけて
相手を圧倒するという
「藤井将棋」「ソータ劇場」は
まさしくドラマチックであった。
前回、敗れた「棋聖戦」で、
師匠から
「頭がだいぶ伸びたから
散髪してきたほうがいい」
という助言があり、
スッキリ刈り込んで
北海道入りした(笑)。
いかにも、
高校生棋士への
親代わりの師匠の指導である。
坊ちゃん刈りのせいか、
いつになく幼くも見えた。
来週の19日で
満18歳になる。
老熟したイメージ像を眺めては、
自分はもうこの世にいない
「引退時」や「最晩年」を想像して、
『史上最強の棋士』の今を
懐かしむような気持ちでも
眺めている。
将棋という世界ではあるが、
我が生涯で、
ほんものの“天才”というのを
この目に見れて
幸せであった。
かつての
長嶋 茂雄も
山口 百恵も
マッケンローも
リアルタイムを生きた
スーパースターだったが、
老年期にも“希望の星”が
登場してくれたことを
神に感謝したい。
茶室の水屋を
いわか仕立てにした“書室”に
PCを持ち込んで、
王位戦の経過を見ながら
「長考タイム」には
書の稽古に勤しんだ。
午前中には、
破損していた掛け軸を
花柄を入れた
モダン仕立てにしてみた。
梅雨にぬれた紫陽花を
一輪挿しに活けたら
さらに“和”情緒が増した。
そのうち、
将棋見ながら
書をやる時は、
茶会で着た羽織袴姿で
やろうかしらん…
とも考えた。
いちどは、
隠居様よろしく
宗匠頭巾をかぶって
お茶を立ててみたいとも
思っている。
老いたら、
老いの愉しみを
すべきなんだろうなぁ…。
ϵ(◎θ◎)ノ☆ ホッホッホ
二十年以上前に、
創作・表具した「書」を
臨時書室に三本ほど掛けてみた。
書聖の王義之を模倣して
中国書体で
『萬里天空鳥任飛』。
榊 獏山を真似て
松煙墨の薄墨で
『舞』。
オリジナル書体での
『雪月花』。
「花」の字で、
「草冠」の後に
連綿が切れてしまった
駄作である。
夏場になって
出勤日には、
網戸のまま出かけているが、
梅雨時で部屋が湿気るのは
仕方ないとしても、
きのうは雨に吹き込まれて
窓際のベッドまで
濡れてしまった。
幸いにして
吹き付ける時間帯が
限定的だったのか、
床のコンセントは
浸水を免れた。
もし、ひとつ間違ったら、
漏電火災の危惧もあった。
タオルケットが
グッショリぬれただけで
済んだのである。
こういう時、
金光教では、
「大難を小難にお奉り替え頂いた」
と神様にお礼を申し上げる。
普段にも
「小難は無難にお奉り替え頂いている」
ので、「無難」を当たり前と思わず、
「有難い」ことだと
毎日お礼申し上げるのが
信仰心なのである。
気付かない数々のご無礼をお詫びし、
日常の無難にお礼を申し上げ、
世界の不孝災難の早期収束をお願いする、
「お詫び・お礼・お願い」が
信仰の中心である。
オシリの痛みも
完治しきれていないが、
「やれ痛や。今、みかげを…」
と、我が心を神に向けよ、
と金光教祖は説いている。
きのうは、
ソーちゃんの『王位戦』二局目を
忘れてしまい、学校についてから
思い出してスマホ中継をつけた。
つけたはいいが、
朝からご新規さん三人、
常連さん二人…と、
ミッシリつまっていて、
中継を見る暇がなかった。
ドクターへの紹介状も書き、
執務記録を書き上げたら
6時前になっていて、
ソータが「封じ手」を書く処だった。
棋譜の流れは、
解説者の「今日の初手から」で
観る始末だった。
ま、第一日めは、
中盤の入口までだったので、
要は、決着のつく
第二日目の今日である。
幸いにして、
今日だけはオフ日なので、
ゆっくり観戦できそうだ。
あさっての『棋聖戦』4局目も
勤務日なので、
忘れずに学校で
経過を追わなきゃである。
そのための、
簡易WiFi器も買った。
ソータのホーム関西での対局で、
勝てば、『棋聖』獲得である。
⁂
『竜王戦』の
決勝トーナメントも始まり、
4度目の挑戦で、果たして、
豊島竜王・名人への
挑戦者にまでたどり着けるか、
こちらも大注目である。
新聞では、
豊島・渡辺・永瀬に次ぐ
「四強」入りと喧伝しているが、
実質は、三冠・二冠を破っているので、
実力は№2まで登りつめた感じである。
ラスボスの
豊島竜王・名人には、
公式戦で4戦全敗なので、
この壁を破るのが
ソータにとっては大きな試練である。
画像ソフトで
彼の老熟期のイメージ像を
試作してからこっち、
デュアルタイム視点で
未来の『藤井伝説』の
バック・トゥ・ザ・パースト感覚で
リアルタイム棋戦を眺めている。
“ソウル・リープ”という
『時を翔ける少女』みたいな
不思議な時空感覚を近頃得て、
その意味についても
新たな思考実験をしている。
生徒は今月末まで
登校だが、
K中は年間計画により、
きのうで1学期の勤務終了になった。
麻雀少女のMちゃんとも
プレイセラピーの一環として、
毎週、お手合わせしたが、
きのうの半荘でも
1万点差で負けた(笑)。
学生時代も教員時代も
家庭麻雀でも
負け越したことがないが、
初心者の彼女は
一学期は4-4のイーヴンだったから、
大したものである。
【好きこそものの上手なれ】
とはよく言ったものである。
点数計算はまだまだ
覚束ないが、
打ち回しや勝負所の勘は
動物的に鋭い。
なにより、
教育ツール、セラピーツールとしての
ゲームなので、始まりと終わりには
将棋の対局を真似て
互礼をする。
カウンセリングの時は
ぶっきらぼうな物言いだった彼女も、
数度の対戦を経て、
相手への敬意を抱いたのか、
敬語や丁寧語が
自然に使えるようになってきたのは
喜ばしいことである。
次回の対戦は、
6週間後の8月31日からである。
車検で一時帰省していた
院生のナッちゃんが、
1週間ほど自宅で
リモート授業して
帰潟した。
8月にも帰省するというので、
アパートから持ち込んでだ
自作のPCデスクを置いていった。
滞在中は、
二階の元自室を使わず、
なぜか茶室に陣取って
ベッドマットレスまで
二階から運び込んで、
持参した幾つもの観葉植物に
囲まれながら、別荘気分で(笑)
ノビノビやっていた。
普段からガランとしてる茶室は、
お点前畳一枚さえ片付ければ
丸々八畳のフロアになってるので、
フミ夫婦の寝泊りや
アキが友達3人とテニス合宿で
来た時にも使っている。
隣室は、
茶道具が置いてあり、
台所とトイレ・冷蔵庫のある
四畳半の水屋になっている。
ナッちゃんが
夏休み帰省するまでの
しばらくの間、
彼のデスクに書道具を置いて
「手習い」練習室にしてみた。
いずれ、家の一室を
「書室」にしようと考えてたので、
おあつらえ向きの簡易デスクに
文房四宝である筆硯墨紙を
セットしてみた。
なんでも形から入る方なので(笑)、
周囲に、むかし、表装した作品を
ずらりと掛けてみた。
とたんに
書室然としてきた(笑)。
掛け軸は自分でも作り、
茶室、玄関の室礼用に
何十本とあるので、
雰囲気づくりには事欠かない。
休日の昼風呂上がりに、
ロゼワインをやりながら、
梅雨に濡れた庭の紫陽花を見ながら
雨音を耳に「書」を嗜むのも
乙なものである。
もっとも、
何を書こうかで迷ったが、
普段の『執務記録』で
頻用する字句のペン字課題を
毛筆でやってみた。
万年筆とは勝手が違い、
墨を含みすぎると
最初の打ち込みで
どうしても滲みができてしまい、
そのコントロールに
しばし苦労した。
それでも、
毎日、ペン字のお稽古を
していたせいか、
“小学半年生”(1年生に満たない)
というほどの拙劣だった字が
だいぶんと整ってきた。
小学校は重症喘息の
入退院でほとんど行ってなく、
書道も習ってなかったので、
どーしようもなく字が下手だった。
それで、よく、後年、
教員になって、厚顔にも
板書してたものだと思う(笑)。
それでもアート鑑賞力と
コピー力はあったので、
「書の作品」を真似たり、
草書を造形物として
コピーすることは得意だった(笑)。
書道を習っていなかったせいで、
書家の亡伯母からは、
「やわらかい字体だ」
と褒められたこともある。
金光退職時には、
全国書道展で優勝した
教え子のヤスヨちゃんに
扇面に「花鳥風月」を
揮毫してもらい、それは、
今でも茶室に掛けることがある。
クライエントだった
書道十段のマキちゃんにも
「アートセラピーになるから…」
と言って(笑)、
作品をいくつか
書いてもらったことがある。
それらは、さすがに、
見事なもので、
今も自宅カウンセリング室の玄関に
飾ってある。
自分は今頃になって
ナッちゃんの小学校の
『書写』の教科書で
六十路の手習いをしている(笑)。
でも、
金もかからず、
楽しめてるから、
いいや…。
O( ˶˙ᴗ˙˶ )ゞ ヘヘ…
金曜日のサマコン用の
“学習チラシ”を作った。
『セヴィジャーナス』
というセヴィリア地方の
「春祭り」で踊られる
4拍子の素朴な曲は、
フラメンコ教室で2年間
バイレ(踊り)の伴奏をして
身に着いたコンパスである。
それを6年かけて、
リサイタルで弾いて、
四つの調に変化させて、
1番から4番までを完成させた。
それぞれのイメージを
『春祭りの子どもの踊り』
『カルメンの恋の踊り』
『ジプシー老婆の踊り』
『現代男性の踊り』
とした。
これは、
視聴者参加もあり、
一曲ごとの〆に
「オーレッ!!」
をかけてもらう。
なので、
4曲目のエンディングのあとでは、
ワッ!! と盛り上がる
仕掛けになっている(笑)。
『コーヒールンバ』も
簡単なパルマ(手拍子)講習を
10秒もやると、
誰でも曲に、本格的な
コントラ・ティエンポ(裏拍)の
手拍子を入れることができるので、
生徒に実習させてみようと思う。
ちなみに、
小学生には、
「ウン・コガ・デッ・タ」
と教えると
大笑いしながら
たちまちマスターしてしまう(笑)。
弟子のハッシーにも
それで教えて、
リサイタルのギター&パルマの
シーンでは、ちゃんと通用した(笑)。
知らぬは観客ばかりなり…
である。
ꉂ(ˊᗜˋ*) ヶラヶラ
去年もそうだったが、
一学期最後の勤務日を
サマコンで〆た。
奇しくも、今年も
翌日から夏休みに入る。
なので、
編曲を終えた三曲を
毎日のように
さらっている。
生徒たちとは
一回こっきりの合わせだったので、
あとは本番で上がらずに
好演してくれることを
信じようと思う。
演奏とは不思議なもので、
稚拙で下手であっても
懸命に演奏すると、
観る者、聴く側にも
その真摯さが伝わって
ある種の感動をもたらすものである。
幼稚園や保育園の
音楽発表を見聴きすると
そのことがよく実感される。
ギター発表会でも、
上手な人がサラリと弾くよりも、
初心者が緊張しながら
タドタドしく弾く方が
むしろその心の必死さが伝わり、
思わず拍手したくなるものである。
福田 進一さんから聞いた話では、
プロともなると、
プロモーション会社から
ドサリと新曲の楽譜を渡されて、
旅先のホテルで
電話帳を繰るような感覚で
必死に譜読みして
咀嚼しきれないうちに
コンサートやレコーディングに
なることがあるという。
だから、
感動を喚起するような
演奏がそうそうないものだ、
というのである。
オケにも似たようなことがあり、
アマオケが時間をかけて
懸命に練習したコンサートの方が、
プロオケが地方公演で
それなりに演奏したものよりも
はるかに感動的なものである。
今日は、
カウンセリング予約が
前日までに確認メールが
入らなかったので、
こちらから
キャンセルにした。
そうでないと、
一日の行動予定が立たず、
迷惑を蒙るのである。
当日、無断ドテキャンは論外だが、
それとて時折あり、
そういう場合は
如何なる謝罪も受け入れず、
二度と予約は受け付けない。
頻繁に予約変更される
クライエントも
お断りすることにしている。
開業している以上、
クライエントはお客様ではあるが、
「契約関係」を遵守できない方は、
治療動機が低く、
自我が脆弱なので
セラピー効果も期待できないのである。
もう、残り時間の少ない
カウンセラーにとっては、
「労多くして益少なし」
は避けたいのが心情である。
人の時間を大切にしない人との
お付き合いは
もうけっこうなのである。
そうは言いながらも、
常連さんの予約を
失念したり勘違いして
すっぽかしたことも
二度、三度ある…(笑)。
幸い、
“お見捨て”されなかったが、
こっちは“見捨てる”というのは、
いささか得手勝手かなぁ…(笑)。
“人に厳しく、自分に甘く”
“わたくしが、ルールブックです”
“この宇宙は、I am が創出したもの”
(^◇^;)ゞ
山下町の
「フォアズ・マーケット」の
酒コーナーで、
ミニボトルの『カルーア』と
『グレンリヴェット12年』があったので、
買ってきた。
2本で800円だから
安くもない。
どちらも、
コーヒーやコークハイの
アロマタイズに用いる。
かつては、
大瓶で買っていたが、
それだとシングルモルトは
数千円にもなる。
だので、
ミニボトルは
安価で助かる。
『おしり探偵』フェチの
JKの影響で、絵本やアニメを
観るようになった。
先日、
治療に通っている接骨院の先生が、
臀部から腰の出来物を
スマホで撮って見せてくれた。
そしたら、
志村けんの「半けつオジサン」や
『クレヨンしんちゃん』の
「ケツだけ星人」みたいに
ちょい割れ目まで
写ってしまった(笑)。
なので、
“腹踊り”みたいに
『おしり探偵』に
仕立ててみた(笑)。