顕正会員、厳虎さんのブログ、『厳虎独白』では論議が続いている。
ようやく新しい記事が更新されて、鎮火に向かっている……ものと信じている今日この頃である。
本当なら静観していた方が良かったのかもしれないが、やはりどう考えても顕正会員のブログで法華講員と学会員がギャーギャーやるのは何か違うと思い、僭越ながら口出しさせて頂いた次第である。
しかし、いつもは学会員同士で論議をしているところ、法華講員相手には仲良くタッグを組んで反撃してきた所は何気にいい感じであった。
やはり、あそこのブログは一筋縄では行かない場所のようだ。
あと、パラパラ茜さん、コメント欄開放してくれんかな?ちょっと言いたいことがあるんだが、まあ、私もドン引きの武闘派が放火してくるのは目に見えてるけどね。
いくら匿名とはいえ、怨嫉者を怨嫉してはいかんな。あれほど、とある法華講員からの折伏に対しては、
「怨嫉してくれる度、自分の罪障消滅になる」
と述べておられ、私も殊勝な顕正会員だと思っていたのだが……。
分かっておられると思うが、何も、他の信仰者からの怨嫉だけが罪障消滅になるわけではない。
むしろ、他の信仰者だからこそ怨嫉してくるのは想定内で(好例:『慧妙』のアポ無し折伏)、2次元ヲタとはいえ一般人からの怨嫉の方が罪障消滅も強いと思うんだな、個人的には。
「男には分からない女の世界の諍いだ。だからオマエは3日でフラれるんだ」
と言われればそれまでだが、あれも何か違うなと思った次第だ。
私はこのブログでも、常々こう述べている。
「何でもかんでも破折すれば良いというわけではない」
と。
武闘派から見れば、
「ハァ?」
と言った感じだろうが、私はそう思うのだ。
そもそも、どうして折伏するのか?これに対する回答は宗門、顕正会、創価学会全て同じだろう。
しかし、中には自分が成仏する為だけでやっている者も少なからずいるようだ(一部の顕正会員は「浅井先生のため」と答える者もいるだろうが、その考えは根本的に間違っているので、論外とさせて頂く)。
本来は間違った宗教に属している場合、そこから救い出し、本来の正法たる宗門に帰依させるまでが折伏だろう。
しかし、私もやられたから言うのだが、どうも慈悲を感じない折伏もどきを行う者も少なからずいるということだ。例えば、
顕正会員発見!→コテンパンにのめす。→顕正会脱会成功!→でも法華講員の折伏の態度と言動が悪かったため、そもそも仏法自体嫌になった!→無宗教へ。
これでは意味が無い。確かに異流儀または邪教への信仰をやめさせたことは1つの勝利なのかもしれないが、不信謗法というのもある。
無宗教自体も謗法だということを知っているはずなのだか、何故か宗門に帰依したくなる何かを全く感じない。むしろ、反発してしまうというのは不思議だ。
私も顕正会員時代、色々な法華講員からの折伏を受けた。
ネットでの態度が悪い法華講員とは、そもそも会おうとも思わなかった。帰依した今でも会おうとは思わない。
いや、リアルでは意外といい人達だというのは頭では分かっている。でも、第一印象が悪過ぎて一緒に登山したいとも思わない。
それでいいのか?コテンパンにやっちゃえばそれでいいのか。違うと思う。
白状するが、私は自行自体がおぼつかない。顕正会でもそうだが、宗門でも自行と化他と両方同時に行うことが奨励されている。
しかし、平時は同時に2つ以上のことができない不器用な私は、自行と化他を両方やることはできない。
何故、折伏をするのか。その理由は顕正会員時代から耳にタコができるほど聞いている。内容的には、宗門も変わらない。
私の前の教化親も仰っていたが、浅井会長の折伏理論書に書かれている折伏についての説明は、実はそのまま宗門でも通用するものである。
頭では分かっていても、まだ自分の宗教観……というか、仏法観が確立していない以上、とても折伏に動くことができない。
自分が迷っている状態で、迷っている相手を救うことはできないからだ。
自分も折伏された人間だから、分かる。
『法に依って人に依らざれ』という言葉がある。
しかし、現実は折伏される人間は法の正邪よりも折伏する人間の方を見ていると思う。
だから宗門では、
「他人から信用される人間になりなさい」
という指導もされている。だからなのか、法華講内部では講頭くらいまで出世すると会社経営者などの富裕層が多い。妙信講もそうだったね。
それに比べて顕正会員はどうだ?と指摘する法華講員もいるね。まあ、私が言いたいのはそこではない。
私は怨嫉が怖いわけではない。大仰な折伏などしなくても、自分が信仰しているとカミングアウトするだけて怨嫉してくる人間もいるからね。
「信仰していると話しただけなのに、随分と心の狭い人間だな」
と思っていたら、【とある法華講】からの『強い』折伏でトラウマになった別の信仰者だったというオチだ。
「オレは【とある法華講】とは違うから安心しなよ」
と言っても、信用してくれなかったな。まあ、ムリもないか。
分かる?おかげで、再折伏の機会が無かった。やり過ぎるとこうなるんだよ。罪だねぇ、【とある法華講】の【自主規制致します】。
えっ?仏種蒔いたからいいだろって?いや、そういう問題じゃないと思うんだが。
まあ、私は私の考えで、信仰させて頂きますわ。取りあえず、次の登山は1人で行こう。
あとは、なるたけ決まった時間に勤行すること。忙しいからってズラすと、結局できなくなる。
自行だけでも結構大変だよ。
化他もできている人は、本当にそれだけで尊敬してしまう。
ようやく新しい記事が更新されて、鎮火に向かっている……ものと信じている今日この頃である。
本当なら静観していた方が良かったのかもしれないが、やはりどう考えても顕正会員のブログで法華講員と学会員がギャーギャーやるのは何か違うと思い、僭越ながら口出しさせて頂いた次第である。
しかし、いつもは学会員同士で論議をしているところ、法華講員相手には仲良くタッグを組んで反撃してきた所は何気にいい感じであった。
やはり、あそこのブログは一筋縄では行かない場所のようだ。
あと、パラパラ茜さん、コメント欄開放してくれんかな?ちょっと言いたいことがあるんだが、まあ、私もドン引きの武闘派が放火してくるのは目に見えてるけどね。
いくら匿名とはいえ、怨嫉者を怨嫉してはいかんな。あれほど、とある法華講員からの折伏に対しては、
「怨嫉してくれる度、自分の罪障消滅になる」
と述べておられ、私も殊勝な顕正会員だと思っていたのだが……。
分かっておられると思うが、何も、他の信仰者からの怨嫉だけが罪障消滅になるわけではない。
むしろ、他の信仰者だからこそ怨嫉してくるのは想定内で(好例:『慧妙』のアポ無し折伏)、2次元ヲタとはいえ一般人からの怨嫉の方が罪障消滅も強いと思うんだな、個人的には。
「男には分からない女の世界の諍いだ。だからオマエは3日でフラれるんだ」
と言われればそれまでだが、あれも何か違うなと思った次第だ。
私はこのブログでも、常々こう述べている。
「何でもかんでも破折すれば良いというわけではない」
と。
武闘派から見れば、
「ハァ?」
と言った感じだろうが、私はそう思うのだ。
そもそも、どうして折伏するのか?これに対する回答は宗門、顕正会、創価学会全て同じだろう。
しかし、中には自分が成仏する為だけでやっている者も少なからずいるようだ(一部の顕正会員は「浅井先生のため」と答える者もいるだろうが、その考えは根本的に間違っているので、論外とさせて頂く)。
本来は間違った宗教に属している場合、そこから救い出し、本来の正法たる宗門に帰依させるまでが折伏だろう。
しかし、私もやられたから言うのだが、どうも慈悲を感じない折伏もどきを行う者も少なからずいるということだ。例えば、
顕正会員発見!→コテンパンにのめす。→顕正会脱会成功!→でも法華講員の折伏の態度と言動が悪かったため、そもそも仏法自体嫌になった!→無宗教へ。
これでは意味が無い。確かに異流儀または邪教への信仰をやめさせたことは1つの勝利なのかもしれないが、不信謗法というのもある。
無宗教自体も謗法だということを知っているはずなのだか、何故か宗門に帰依したくなる何かを全く感じない。むしろ、反発してしまうというのは不思議だ。
私も顕正会員時代、色々な法華講員からの折伏を受けた。
ネットでの態度が悪い法華講員とは、そもそも会おうとも思わなかった。帰依した今でも会おうとは思わない。
いや、リアルでは意外といい人達だというのは頭では分かっている。でも、第一印象が悪過ぎて一緒に登山したいとも思わない。
それでいいのか?コテンパンにやっちゃえばそれでいいのか。違うと思う。
白状するが、私は自行自体がおぼつかない。顕正会でもそうだが、宗門でも自行と化他と両方同時に行うことが奨励されている。
しかし、平時は同時に2つ以上のことができない不器用な私は、自行と化他を両方やることはできない。
何故、折伏をするのか。その理由は顕正会員時代から耳にタコができるほど聞いている。内容的には、宗門も変わらない。
私の前の教化親も仰っていたが、浅井会長の折伏理論書に書かれている折伏についての説明は、実はそのまま宗門でも通用するものである。
頭では分かっていても、まだ自分の宗教観……というか、仏法観が確立していない以上、とても折伏に動くことができない。
自分が迷っている状態で、迷っている相手を救うことはできないからだ。
自分も折伏された人間だから、分かる。
『法に依って人に依らざれ』という言葉がある。
しかし、現実は折伏される人間は法の正邪よりも折伏する人間の方を見ていると思う。
だから宗門では、
「他人から信用される人間になりなさい」
という指導もされている。だからなのか、法華講内部では講頭くらいまで出世すると会社経営者などの富裕層が多い。妙信講もそうだったね。
それに比べて顕正会員はどうだ?と指摘する法華講員もいるね。まあ、私が言いたいのはそこではない。
私は怨嫉が怖いわけではない。大仰な折伏などしなくても、自分が信仰しているとカミングアウトするだけて怨嫉してくる人間もいるからね。
「信仰していると話しただけなのに、随分と心の狭い人間だな」
と思っていたら、【とある法華講】からの『強い』折伏でトラウマになった別の信仰者だったというオチだ。
「オレは【とある法華講】とは違うから安心しなよ」
と言っても、信用してくれなかったな。まあ、ムリもないか。
分かる?おかげで、再折伏の機会が無かった。やり過ぎるとこうなるんだよ。罪だねぇ、【とある法華講】の【自主規制致します】。
えっ?仏種蒔いたからいいだろって?いや、そういう問題じゃないと思うんだが。
まあ、私は私の考えで、信仰させて頂きますわ。取りあえず、次の登山は1人で行こう。
あとは、なるたけ決まった時間に勤行すること。忙しいからってズラすと、結局できなくなる。
自行だけでも結構大変だよ。
化他もできている人は、本当にそれだけで尊敬してしまう。