たにしのアブク 風綴り

87歳になります。独り徘徊と追慕の日々は永く切ない。

久しぶりに実家に立ち寄りの記

2015-06-03 11:51:38 | Lyricism

善光寺御開帳参拝のあと5月12日、
たにしの爺、立ち寄ったもう一箇所は育った実家でした。
数年ぶりになるでしょうか。
生家を引き継いだ総領も孫も居て同じ歳になりました。



5月の実家は久しぶりで、庭の木々の緑が爽やかでした。
名園カタログにも載っている一本のモミジの木があります。



5種類の異なる枝に分かれていて、
新芽時や紅葉時にそれぞれグラデーション模様に染まります。
枯れてしまった枝もあるようで、
幼いころに見ていた樹形とはかなり変わってきています。



裏の土蔵の脇の松ノ木の下に埋もれるようにあった、
総家の鎮守様も移動してコンクリで固められていました。
天保年間の建立の記録が彫られていると言う。





庭木も知るころに比べ、かなり大きくなってしまって、
石蹴りなどした庭がすっかりなくなってしまっている。



家の周りは畑と田んぼであったが、
すっかり消えて家が建て込んでいる。



庭先から田んぼへ通じる道に出ると、
千曲川に掛かる北陸(長野)新幹線の斜張橋が、
畑の向こうに見えます。
佐久平駅を出て蓼科山から続く依田窪のトンネルを出ると、
すぐに千曲川に掛かるつり橋を通過します。



あっという間です。その間、実家がちらりと見える。
千曲川の堤防まで行って撮ってきました。





通った小学校は家の東木戸を出ると5分でした。
間には田んぼしかなくて、隣りが木造の小学校でした。
入学したのは昭和20年4月で、すぐに敗戦になりました。



校庭には防空壕もあって、イモ畑だったと記憶しています。
ウシも飼っていて、ある日ぬ盗まれてしまったという記憶があります。
今は立派なコンクリ校舎になっています。



昨今、小中学の東京や故郷を離れている同年生が、
実家が空き家になっていて、ときどき管理に帰省するという話も、
今回のクラス会で話になりました。





わが生家は立派に維持されているのを見て、
総領夫妻も苦労しながらも維持管理に精を出していてくれて、
家督を護っていることに感謝しつつ、
これもご先祖様のおかげですと、
仏壇にお線香を上げて辞しました。



最後までお付き合いありがとうございます。