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雲南の特産料理・過橋米線5

2008-11-07 22:39:45 | Weblog
写真は文山の「テュン肉米線」。朝食時には街の角角に、このミーシエンを出す店がやわらかい湯気を上げている。

これまで過橋米線初めて物語りの決定版である蒙自説、家譜に記され、歴史的にも追うことのできる建水説とご紹介してきましたが、あまり有力ではない説もありますので、触れておきます。これらは眉につばをつけてお読みください。

【文山説】
文山は建水より東に100キロほどのところにある古都で、雲南の南東部にあります。チュアン族やイ族が栄えた地域で、省都・昆明から見ると雲南省の南、つまり「デン南」の中心地として建水と並び称されるところでもあります。古来、青銅でできた「銅鼓」と呼ばれる3歳の子供ならすっぽりとおさまりそうな銅でできた独特の太鼓が出土する地域としても有名です。

そこの名物「テュン肉米線」(湯面に肉の浮いたミーシエン)を基礎に発展したという説が、文化大革命の影響から解き放たれ自由な言論がはじまったばかりの1980年代初めに「デン報」という雲南省発行の地方紙に掲載されました。

実際、私が訪れたときも文山ではミーシエンはよく食べられていましたが、文山の料理は全体に味付けが濃く、なかでも「テュン肉米線」はがっしりとした味付けで私の舌をなかなか寄せ付けませんでした。

醤油や酒、唐辛子とラードでくどいまでに濃く味付けされたキューブ状の血抜きも中途半端な豚肉を味の骨格として少しの刻み野菜の入ったあっさりスープに載せたミーシエン。

地元の人々はふうふう言いながら、あっという間に1椀を食べ干していましたし、昆明でも身体を使って働く人には安くておなかにたまると人気のメニューでした。でも、文山がミーシエン料理はデン南各地でつくられているので、ここが発祥、とする根拠が、かなり薄いと思われます。

コメント (2)
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