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三七・栽培の歴史

2009-10-18 14:00:56 | Weblog
 写真は文山州の古くからの政治・経済の中心都市・広南の市場にて。民族衣装もまばゆいおばあさん達が、ネズミ、ウサギなどの形をしたかわいらしい饅頭を買って、みんなで品定め。なんでそんなに真剣なの? と驚くほどの気迫があった。
 一個〇.五元のお饅頭の傍らの漢方売りの店では、三七は一個売りではないけれど「二〇元~五〇元」という、一般住民には法外な値段。漢方がいかに高級品かを思い知らされる。
 
【野生種の消滅】
 明代(1368-1644年)には、あまねく知られた三七。いつごろから栽培されているのでしょうか。

 清の道光年間(1820-1850年)の雲南巡撫・呉其浚による『植物名物図考』には三七について

「生育されており、野生はない」(蓋皆種生、非野卉也)
「土司(地元における最高の地位の人)が利殖のために、栽培に勤めている」(土司利之、亦勤栽培)

などと書かれていて、当時、すでに野生種はなく、雲南では高値で取引される三七の栽培が盛んだったことがわかります。

 文山州科委員が編纂した『文山科技』という雑誌をみると「一九五六年に全州で調査をしたところ、馬関、西畴といった深山の密林に野生種があった。それは人工のものとは違って、地下茎と根が棒のように長く伸び、きめも粗かった。」とあります。残念ながら、現在では野生の三七はその後、見つかっていないとのことで、野生種を確かめる方法はありません。

 この点、高麗人参は、少ないとはいえ、野生種が存在し、高値で取引されています。(吉林省長白山で、1989年に見つかった推定年齢500年のものは国宝に指定され、今年7月に同山で見つけられたものは9月8日に326万元〈約5200万円〉で売却されている。)

 高麗人参は年数が高く、形が大きいほど薬効が高いため価値も高くなるのですが、三七の場合、薬効が高いのは3~10年ほどの短い期間しかないため、地元の人も野生のものを見つける情熱が薄いだけなのかもしれません。
薬効のある期間が限られているなど、考えてみれば、じつに不思議な漢方の植物です。 (三七の章おわり)

*三七の話が、雲南の地下の話にまで突入するなど、脱線続きでしたが、ようやくおわりです。お付き合いくださり、ありがとうございました。
 次回からは、また、おいしいものオンパレードにするつもりです。肩の力を抜きまくってくださいませ。
 ここで読んで、近くの雲南料理の店に行くもよし(最近、増えて、不況下でも結構、繁盛しているのですよ。)、旅行もよし。ただ、そんなとき、こちらにご報告いただけると、励みになります。よろしくお願いします。
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