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雲南の誇り・ヤン・リーピン②

2010-01-17 10:26:02 | Weblog
写真は雲南映象パンフレットより。

【歓迎会に出席する】
驚くべきことに、ヤン・リーピンは優勝直後から行われた6ヶ月で201会場にもおよぶ全国巡演中、ほぼ連日、各地の政府関係者主催の熱烈な歓迎会に出席した。このことでも新聞記者のみならず中国のあらゆる関係者の賞賛を集めた。(中国では、このことがどんなに大事かとわかっていても、とても難しいことも、誰もが身にしみている分かっているのです。)当然、政府筋でも彼女の株はますます跳ね上がった。

 10月に昆明に戻るとさっそく「雲南映象」の凱旋公演が始まった。昆明中心部の昆明会堂という大講堂で毎晩8時より2時間の公演(除く日曜)。これが連日大入りで、地元の旅行社やタクシー会社をも大いに潤し、商業的にも大成功を収めた。

 【幻想的な舞踊】
出し物は、彼女の舞踏人生の集大成といったもので、
・満月の中にシルエットとして浮かび上がるヤン・リーピンの手先や肘のなめらかな動きから、体全体を使った舞踊へと変化する「月光」
・手先で炎の揺らめきから燃え上がりまでを細やかに紡ぎ出す「炎」
・右手を高く掲げ親指と人差し指で輪を作り、シルエットで作り出す「孔雀の舞」

などのヤン自身の独演の他、

・演技者の70%を雲南各地の農村の若者で構成し、服装や小道具すべてを雲南の少数民族の各地で収集、または手作りしたもので設計した、生の迫力が圧倒的なイ族の「煙草入れの踊り」など、少数民族の伝統的な踊り
・「太陽は休むか? 休む。月は休むか? 休む。女は休むか、休むことなどできない」というつぶやきからはじまり、曲とともに激しく衝動的な踊りへと変化していく群舞「女の国」

など、ハイレベルな演目が続く。

 細身に、まっすぐな長い髪。すらりと伸びた手足から指先まで駆使するヤン・リーピン主演の舞台は幻想的ですばらしい。だが、私はレーザー光線のチカチカがまぶしすぎて目が痛くなり、翌日は頭痛で寝込んでしまった。冬だというのに暖房概念のない昆明で長すぎる夜を過ごして冷え切ったせいもあった。演目数も多いため、後半は、やや見疲れてもいた。

 商業的にも成功した舞台だが、当然、連日、ヤン・リーピンが出続ける、というわけにも行かなくなる。(海外公演をこなし、2軍の稽古を付け、オーディションを呼びかけ、取材対応、次回作の想を練り、小道具などの準備まで、彼女なしではなし得ないのだ。)

 そのため団員2組に分け、彼女が出ない日もあった。だから昆明の会場では「今日は女史(ヤン・リーピン)が出るそうだ」「それはツいてるな」などというささやきが、よく聞かれた。(私も何度、足を運んだことか・・)

 ヤン・リーピンは「この舞台は雲南の誇りです。100年は昆明で続くでしょう」と2004年当時、語っていた。

 共同プロデューサーの荊林(1992年よりヤン・リーピンと組む)が
「2002年から始まる準備期間中に資金が欠乏したとき、省委員会宣伝部から100万元を助けてもらい、ようやく設備を揃えることができた。これが、各方面の保証ともなった」
 と語るように、雲南政府をも動かした「舞台芸術の、市場化への努力」こそが『雲南映象』プロジェクトの核だった。                    (つづく)

*今年3月にヤン・リーピンが来日し、東京・渋谷Bunkamura、大阪・梅田で踊ります。(2年前の初来日の際はチケットが早い段階で完売し、今回もS席は通常ルートではすでに完売ずみだとか。ヤン・リーピンとはどんな人物なのか、雲南の現状と「雲南映象」の現在などを知りたい方は、ぜひ、次回もお読みください。

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