雲南、見たり聞いたり感じたり

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宜良ダックを探して②

2011-07-03 15:46:30 | Weblog
写真は宜良県の田園風景。畝にはトウモロコシが植わっている。(2010年夏撮影。)

【宜良へ】
 まず、湯池の場所ですがいくら地図を見ても見あたりません。そこで『宜良県志』にあたると、地図名は陽宗海で、あるときは大澤、またあるときは明湖、明の時代の文人の詩には鉄湖となるなど気ままに呼び習わされているということがわかりました。県志の注に「別名、はなはだ多し。」とわざわざ書き込まれているほどです。

 場所は昆明市郊外の滇池と、中国第2の水深を誇る撫仙湖の間で、面積31キロ平方キロの縦長の草履のような形をしています。水深29.7メートルと、おとなりの撫仙湖の157メートルには及ばないものの、ほとんど水たまりのような水深のデン池よりもは、深さもあります。水は雨水と地下水。この水も最後には珠江を通って香港とマカオの間から海へと流れていくこととなります。

 陽宗海の歴史を読むと明の初代皇帝・朱元璋 の指名で雲南を治めていた回族の沐春によりおよそ2万ヘクタール強におよぶ大改修がほどこされたことがわかりました(南京より屯田兵として送られてきた兵1万5000人を動員したとか)。この灌漑のおかげで、以来、2000ヘクタールの良田を潤す重要な一大農作物地帯となったというのです。

 つまり宜良は、水田に放せばエサは豊富にあり、また湖の東北部から温泉がわき出しているため冬でも暖かいという、アヒルを育てやすい環境にあったことがわかります。

 また、陽宗海の横には1910年よりベトナムと昆明を結ぶ「滇越鉄路」が通り、静かな湖面を見ることができます。                      (つづく)
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